「社会現象の渦中で『なんかキモい』と言われながら」THE END OF EVANGELION 新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に フレンチクローラーさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0 社会現象の渦中で『なんかキモい』と言われながら

2025年10月17日
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怖い

興奮

斬新

当時エヴァはまさに社会現象でした。1990年代の日本は世紀末オカルトブームの真っただ中であり、エヴァの持つオカルト・内面世界の要素はクリエイターの意図を超えて反響を呼んでいたと思います。その結果、エヴァは難解で意味深な作品であるというパブリックイメージが醸成され、バス停で待つ小学生達から「あんなアニメにのめり込む奴はおかしい」「なんかキモいよね」という声が日常風景として聞こえる程でした。インターネットの普及期だった事もエヴァのハイテク・近未来描写に説得力を与えていたかも知れません
小学生~中学生だった私は「あんな作品にのめり込む、なんかキモいやつ」でしたが、いわゆる考察とは無縁のまま、単純にロボットアニメとして楽しんでいた為に肩身の狭い思いをしていました。そして本作(通称:旧劇場版)に関しては、「面白い。圧倒される。でも意味がわからないし怖い」という感想を抱いていました

大人になって改めて旧劇を見ると、「シン~」と物語の骨子に大きな違いはない事が理解出来ます。シンジ、ゲンドウ、ユイ(綾波)の核家族におけるエディプス・コンプレックスのストーリーが決着し、自立した主人公がヒロインと出会って終わるのです。テレビ版で各キャラクターが抱えた課題は同一ですから、終末世界をテーマにしたものが旧、終わりそこねた世界(つまり我々が今生きている日常です)をテーマに視野を広げたものがシンであるという認識で良いでしょう

旧劇のわかり辛さについては、監督が「テレビ版の課題を素直に消化すると、物語がストレート過ぎて観客の期待に応えられない」と感じたからでは? という邪推も沸きました。本作は終末論的な映像がひたすら続き、観客の中で情動と意味(破滅のスペクタクルと家族の物語)のリンクが中々成立しません。演出と宗教用語による意図的な煙幕と、テレビ版の結末として妥当なプロットを提示する監督の誠実性が同居する本作ですが、家族の物語としてよりストレートな表現を選んだシンを経たことで、両属性の峻別がより容易になったと言えるのではないでしょうか

フレンチクローラー
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