「社会現象の渦中で『なんかキモい』と言われながら」新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に フレンチクローラーさんの映画レビュー(感想・評価)
社会現象の渦中で『なんかキモい』と言われながら
当時エヴァはまさに社会現象でした。1990年代の日本は世紀末オカルトブームの真っ只中であり、エヴァの持つオカルト・内面世界の要素はクリエイターの意図を超えて反響を呼んでいたと思います。その結果、エヴァは難解で意味深な作品であるというパブリックイメージが醸成され、道行く小学生達から「あんなアニメにのめり込む奴はおかしい」「なんかキモいよね」という声が日常風景として聞こえてくる程でした。インターネットの普及期だったこともエヴァのハイテク・近未来描写に説得力を与えていたかも知れません
小学生~中学生だったあの頃の私は「あんな作品にのめり込む、なんかキモいやつ」でしたが、いわゆる考察とは無縁のまま、単純にロボットアニメとしてエヴァを楽しんでいました。立ち位置が中途半端で肩身が狭かったことを覚えています。そして本作(通称:旧劇場版)に関しては、「面白い。圧倒される。でも意味がわからないし怖い」という感想を抱いていました
大人になって改めて旧劇を観ると、「シン~」と物語の骨子に大きな違いはないことが理解出来ます。シンジ、ゲンドウ、ユイ(綾波)の核家族におけるエディプス・コンプレックスのストーリーが決着し、主人公がヒロインと出会って終わるのです。テレビ版で各キャラクターが抱えた課題はほぼ同一ですから、終末世界をテーマにしたものが旧、終わりそこねた世界(つまり我々が今生きている日常です)をテーマに視野を広げたものがシンであるという認識で良いでしょう
旧劇はわかりにくい作品です。終末論的な映像がひたすら続き、観客の中で情動と意味のリンクが中々成立しません。破滅のスペクタクルや宗教用語による衒学的な側面と、家族の物語として終着点を示そうとする監督の誠実性がそれぞれ矛盾したメッセージを発しているのです。それは加熱する一方だった観客の期待に対し、監督がどう応えるか苦心した結果の産物だったのでしょう。家族の物語としてよりストレートな表現を選んだシンが存在することで、今ではその二面性の整理が容易になったと言えるのではないでしょうか
