「鉄砲玉ではなくなった広能の立ち位置に注目。」仁義なき戦い 代理戦争 すっかんさんの映画レビュー(感想・評価)
鉄砲玉ではなくなった広能の立ち位置に注目。
◯作品全体
冒頭のナレーションは、前作と同様にマクロな時代背景を語る様式美から始まる。本作が放映された70年代は米ソ冷戦の真っ只中で、サブタイトルにも使われている「代理戦争」という言葉はトレンドだったのかもしれない。
世界情勢を語ったうえで「日本の…」と一気にクローズアップするのは結構無理ある繋ぎ方だな、と思いつつ面白くもあったが、作中で代理戦争が行われるのは鳥取での抗争だけで、あとは神戸と広島の策謀に終始する物語だ。
代理戦争というよりかは真っ当な「仁義なき戦い」なわけだが、前作と大きく異なる部分もあった。広能の立ち位置だ。
広能は一作目では鉄砲玉として戦い、二作目では脇役として助言を送るだけの存在だったが、本作では明石組や旧村岡組の相談役として立ち回る。広能を通して物語を俯瞰し、時には広能が狂言回しとなる。打本の離反や山守の思惑によって広能が翻弄される場面もあるが、それでも事態の収拾を図るのは仲介人・広能だ。長老・大久保を使って山守の二心を阻む策略を仕込ませる広能を見ていると、仲介のみならず広能自身が自らの生存戦略を意識して動いていることもわかって面白い。いいように使われる鉄砲玉・広能とは一味違うことを印象付ける広能の立ち位置である。
カメラの構図もそれに準じて、前作までとは違う印象を持たせるカットが多かった。本作では広能と旧村岡組幹部、場合によっては山守と槙原が加わって方針を練るシーンが多い。そこでは基本的に広能が一番手前で、奥に他の人物が座るという構図となる。いわば広能が山守と旧村岡組幹部のやりとりを傍観するような立ち位置で、山守の本心や「山守の涙」という技をすべて見抜いていることを強調するような構図だ。明石組から広島対神戸の抗争は広能だけやる気になっているというタレコミがされ、武田が若頭になってからは、広能は武田たちに背を向けてカメラ側を見ていることが多い。介入しすぎると自身が危うくなることを察知した広能の警戒心が伝わる構図だ。さらに言えば広能とその他で境界線を引くような演出にもなっていて、広能に近い席は空席だったり、広能だけ居間のような場所にいることが多い。武田が若頭になった場での宴会シーン以降、この境界線を越えてくるのは武田から「広能とねきにしている」と指摘された松永だけだった。広能の孤立感と併せて、広能が俯瞰していることを印象付ける演出として、この構図が活かされていた。
広能組・倉元の暴走によって広能の立場は危うくなり、今までであれば邪魔者として弾かれていた広能だが、本作では立ち位置を変えて活路を切り開いていく。
次作へと続く広島抗争で、広能がどんな存在として駆け回るのか楽しみだ。
◯カメラワークとか
・鳥取の抗争で、どこかの組長が電車内で刺殺されるシーン。トイレで切りつけるカットでは俯瞰が使われていた。カット頭では組長を下手側に押しやるが、切りつける時に画面が転回して組長を上手側に映す。意図としては狭い空間のアクションを見せるために俯瞰にしているけれど、俯瞰にしてしまうと切りつけたときの動作が分かりづらくてインパクトが伝わらない。そこで素早く転回させることで画面自体にアクションをいれた、って感じだろうか。面白いアイデアだ。
・倉元が映画館で槙原を襲撃しようとするシーンで使われていた夜間カメラの演出は臨場感があってすごくいい。2作目でも使われていたけど、あまりにも暗くて何が映っているか分かりづらすぎた。繁華街を映すカメラだから舞台も良く映えるし、画面の粗さが緊張感に繋がってる感じがしてとてもよかった。
◯その他
・広能が槙原組に襲撃されたとき「安全装置が外れてないぞ」って言ってた。
・ウィキペディアの倉元の登場人物紹介に「走り方が少し変」って書いてあって笑った。一回目の槙原襲撃の時にしくじって車を追いかけるカットがあったけど、確かに変だった。パニクってる芝居なんだろうなって思ってスルーしたけど、ウィキペディアに「走り方が少し変わっている」って書かれてるとギャグ作品のキャラ紹介っぽくて面白い。
・旧村岡組幹部の面々は本音の部分があまり描写されないから、逆に底が知れなくてかっこよく感じた。明石組と緊張が高まった時に江田たちは遊んでた、みたいなことを明石組が垂れ込むけど、本当のところはよくわからなかったし。広能も交えて話してるシーンは互いに力を認め合ってる雰囲気があって、そこもよかった。
・広能役・菅原文太の「タコのクソが登りよって」の良い方が気持ちいい。「タコのクソ」というワードに溢れる破裂音。
・槙原も地味に好きなキャラなんだけど、めったに凄むことがないから西城への凄みはレア感あって好きなシーン。