「新劇運動の歴史を知る意味はあるが、島村抱月と松井須磨子の実録に縛られた溝口映画」女優須磨子の恋 Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)
新劇運動の歴史を知る意味はあるが、島村抱月と松井須磨子の実録に縛られた溝口映画
「女性の勝利」で女性の解放をテーマにした溝口監督が、更に問題提起を絞り、女性の自由恋愛の先駆けとして実在の人物を取り上げる。原作は長田秀雄という人の実録小説『カルメン逝きぬ』で、明治・大正期の新劇運動のリーダーのひとり島村抱月と、その草創期に一世を風靡した大スター松井須磨子の恋愛悲劇の物語。これは、溝口監督に適した題材と思われた。だが、結果的に成功したとは言えない。ドラマに昇華されないストーリーを観るような、迫力に欠けた作品である。それは、松井須磨子役の田中絹代の、イプセンの女性解放劇『人形の家』のノラを演じて、芸術座ではカルメンに扮し踊るのが、どうしても無理がある。明治・大正の文明開化の正直な再現ではあるのだろうが、まだ消化しきれない西洋文化の真似事に観えるからだ。
坪内逍遥を中心とした演劇研究所は、『人形の家』の公演にあたり主演女優を探す。と偶然にも抱月の目の前に、夫婦喧嘩をしている所員の須磨子が現れる。その物怖じしない須磨子を抜擢して舞台稽古が始まり仕事に打ち込む反面、抱月の私生活への不満が露になる。彼は養子の立場で自由を束縛されていた。封建的な家制度の犠牲者のような抱月は、須磨子と恋愛関係になり、家も妻子も学校も全て棄てて、二人は一緒になる。浮気をする男の言い訳みたいな話の展開で、溝口監督らしい男女の切実な情感は盛り上がらない。抱月の娘ハル子の結婚話のエピソードはあるものの、それによって抱月の父親の立場がクローズアップされることもない。
後半は、地方巡業の芸術座が成功する過程を説明的に表現している。観ている分には興味深い演劇の歴史だが、ここにも溝口監督らしいリアリズム表現が弱く、抱月の急死が淡々と描かれる。妻子が悲嘆の表情で登場して、須磨子と対面する場面。ここが唯一のクライマックスと思われるのだが、須磨子の心理描写は意外とあっさりしていた。本来の溝口演出なら、迫力ある見せ場を創造したであろうと惜しまれる。ラストは、須磨子が静かに自殺をして終わる。舞台の幕と電話のベルの音で暗示した映画的な結末である。が、しっくりこない。溝口健二と松井須磨子に距離感があるのだ。
1978年 7月10日 フィルムセンター