劇場公開日 1995年9月23日

静かな生活のレビュー・感想・評価

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4.0監督は伊丹十三。原作は大江健三郎。

2023年4月26日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

ホームドラマ的お洒落に始まって、のほほんと観ていたら、
大変な火傷をしちゃったみたいな映画でした。
おまけに大江健三郎の家族(一家)をかなり連想させる私小説的映画。
有名作家のパパ。
専業主婦のママ。
長女で大学生のマーちゃん。
長男でちょっとだけ障がいのあるイーヨ。
浪人生の次男のオーちゃん。

そこに虚構の小説が映像として挿入されています。
この作中小説のシーン。
後半に持ってくるのですが、強烈すぎて、違和感あり。
無い方が良かったと思います。

長男のイーヨ(渡辺篤郎)と、
長女でイーヨの姉のマーちゃん(佐伯日奈子)が主役。

作家のパパとママが8ヶ月の予定でオーストラリアに研修や講義などする
仕事と静養を兼ねて家を留守にします。
その留守中の「静かな・・・」とは言い難いマーちゃんにとっては
過酷な日常を、一見暖かい筆致で描くと見せかけて、
マーちゃんはとんでもない経験をすることになります。
イーヨのなんとも不器用でほのぼのした姿に、助けられてこの風変わりな映画
は独特の風味を醸し出す。
一見ハートウォーミングみたいだけど、とんでもない毒味のてんこ盛りで
ございます。

不穏分子の新井くん(今井雅之)
彼はイーヨの水泳コーチとして力を発揮。
イーヨは20メートル泳ぎ切るほどの上達をみせる。
マーちゃんも感激して新井くんを信頼する。
ところが彼はとんでもない前歴の持ち主で、
なんと保険金殺人事件で無罪放免された曰く付きの人物だった。
そしてマーちゃんを毒牙にかけようとする。
ここで新井くんがパパの小説のモデルだったことも判明する。

このモデルとなった小説が、
実録映画のように挿入されている。
原作ではどういう構成なのか不明なので、困るのですが、

新井くんは高校生です。(別の俳優が演じている)
高校生の新井くんは好きな女子生徒がいて、通学路で待ち伏せして、
花を渡す。そしたら女子生徒は怯えて逃げる→追う→逃げる→
なんと新井くんは女子生徒を押し倒して殺してしまいます。
このシーンがエグい。
AV女優が演じていて、更に闖入者が現れて、
エグさはエスカレートする。
ここが毒テンコ盛りのシーン。

そして現実に戻りマーちゃんはイーヨと新井くんのマンションに
半ば強制的に誘われて暴行されそうになる。
イーヨはなんと新井くんに反撃を仕掛けるのです。

マーちゃんの献身的な弟思い。
時々てんかんの発作まで起こすイーヨ。
マーちゃんは実に健気にイーヨをサポートします。
佐伯日奈子も渡辺篤郎も凄い演技。
佐伯日奈子は個性的でコケティッシュで魅力的です。
独特の個性と美しさ。
渡辺篤郎の障がい者演技も、研究し尽くした精巧なもの。

犯罪者?
今井雅之は一見して普通なのにその不穏さはリアルで、
こういうストーカーに狙われたら逃げ道はない。
リアル怖い。

斯くしてホームドラマは、異様な盛り上がりを見せるのでした。
伊丹十三。
流石というべきか?
毒盛り過ぎというべきか!
だからあなたは鬼才!!
原作もかなりシュールなものらしい。

ノーベル賞作家。
俗人には計り知れない。

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琥珀糖

4.0物の見方を他感している

2023年3月24日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:VOD

大江健三郎氏が亡くなったので、あるアメリカの大学のハリー・クラウスラーのインタビューを聞いた。そのインタビューで大江健三郎はどう自分の生活・困難を克服していったかについて答えた。このインタビューはそれだけでなく、日本のノーベル賞をもらった小説家である彼の見解は日本文化の中で文化を見つめるのではなく文化の枠組みの外のそばに立ってみるらしい。具体的に数多くの作品を読んでいないが、この意味が映画「静かな生活」にも
現れていると思う。たとえば、家族の問題点も問題点として立ち向かってみるより、一歩離れた家族の枠の外側から観察しているようである。

それに、監督伊丹十三は大江健三郎の友達であるし、大江健三郎は伊丹十三の妹と結婚している。監督伊丹十三はこの映画の中で団藤(岡村喬生)のように友達のけい(パパー山崎努)のなんでも知っている無二の親友に思える。

映画の冒頭の方はまるで彼の生活と同じようだった。特に、身障者の息子が言葉を覚えるまでの道のりは大江健三郎がハリー・クラウスラーに話しているのと同じだった。

ハリー・クラウスラーとの会話で、大江健三郎は第2次大戦中9歳ごろ、母親が、1KGの米を人形とハックルベリーフィンに交換してきた話をした。亡き父親が母親にベストの小説だと言ったアメリカのマーク・トエインの文学だった。

映画に戻るが、なんでもありの世界だが、現実は多様的でない。それをどう生きていくか娘まーちゃんの(佐伯日菜子)生き方とイーヨーと家族を中心に描いていく。それにパパの友達、団藤さん(岡村喬生)からの影響は多大だ。
人間は気高く、純粋に生きていいるように見えても、父親が精神的に不安定になる時もあるし、精神障害を抱えた、兄弟を持つ時もある。ましてや、まーちゃんの兄のように精神障害で思春期を迎えている時、性の反応について、家族はどう受け止めるか。人生において、誘惑もあり、信頼していた男に暴行を加えられそうになってしまうこともある。でも、傷ついても人生はそれで終わりじゃないよ。徐々に「静かな生活」を取り戻したけど、まだまだ、人生には険しい道がある。それをどう生きていくかはあなた次第だと。

家族のサポートで生きられるならそれが一番いいね。まーちゃんはサポートを家族から、団藤さんからも受けている。幸いだ。親は子より早く死ぬから、兄弟が助け合って生きられるのが大事と考えているのではないか。そして、息子を障害者としてでなく健常者として接していこうとしているのがこの映画のテーマのようにも思える。これは大江健三郎の人生の哲学で、それがよく描かれている作品。『書くことと生きることが一つ』パパ(けい)の友達の団藤さんが言っているが、これは大江健三郎のこと。『小説の中で答えが見つかれば、人生の中で答えが見つかる』それが、お父さんの小説家としての生き方だと、団藤(岡村喬生)さんはいう。魂のことのために全てを捨てることができるだろうか?これがパパ(けい)の問題。子供の頃、セント・フランシスの話を水車小屋で読んで、『人を助けるためにはなんでも捨てる』親も兄弟も友達もと覚悟したようだ。まーちゃんの夢の意味、両親の芝居を見にいって、粗末な扱いをされる。親が亡くなった場合、どうなっていくのか?孤児になってしまうのではないか。パパのお兄さんの葬儀でみんなが考えている。
これが、イーヨーの捨て子を助けることに結びついている。(捨て子という作曲のタイトル。)

団藤さんのワルシャワでの『政府に物申す』の動きは同じ人間なのに政府高官が優先される。それも、社会主義の国なのに。おかしいという問題意識。
パパは自分は特別な人間じゃなく、なんでもない人として生きていくと。なんでもなければ、ゼロにかえって死ぬのは容易いと。何気なく死んでいくのだと。何か、宮沢賢治の雨ニモマケズのようだ。
団藤さんの伴侶(宮本信子)はポーランドの作家に対する弾圧に抗議をするビラを配る。問題点は声に出して叫べと。こういう思想を伝授し、まーちゃんたちも一体となってビラを配る。静かな生活をしながら、立ち上がるところは立ち上がるという草の根運動家だ。

まーちゃんの家族を通しての生き方だが、話題が盛りだくさんすぎて、ちょっと整理がつかないように思えるが、これが人生だとして受け止めて歩んでいる。

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Socialjustice

3.0原作は大江健三郎

2023年2月2日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

大江健三郎の原作を伊丹十三が映画化した。
父(山崎努)が小説家の一家、母(柴田美保子)はとても優しい。
主人公である娘(佐伯日菜子)には、障害を抱えた音楽家の兄(渡部篤郎)と大学受験を控えた弟がいる。
両親は故あってオーストラリアに行ってしまい、兄の面倒は主人公が見ることに。
才能豊かな一家は大変、主演の佐伯日菜子は雰囲気があってとても良かった。

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いやよセブン