劇場公開日 1984年3月17日

「シン・ゴジラへの道は、本作から始まっていたのだ 全否定してはいけない映画であり、ある意味重要で画期的な作品だったのだ」さよならジュピター あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5シン・ゴジラへの道は、本作から始まっていたのだ 全否定してはいけない映画であり、ある意味重要で画期的な作品だったのだ

2021年7月4日
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鑑賞方法:VOD

黒歴史
思い出したくもない

本作ほどこの言葉に相応しいSF映画は思いつかない
本作を知る人は今では少ない
改めて観てみたいと思う人もまたほとんどいないだろう

しかしなにやら俄かに注目を集めているらしい
それは何故か?

主題歌は松任谷由実の「VOYAGER(ボイジャー)~日付のない墓標」だ
その曲が「シン・エヴァンゲリオン劇場版」のクライマックスで林原めぐみの歌唱で流れたからだ

それで自分も超ひさびさに観てみたくなった
なぜ庵野秀明監督はこの曲をつかったのか?
その理由を知りたくなった
またそれによって本作への評価が覆る新しい発見があるかと期待したのだ

しかしやっぱり変わらない
黒歴史だ

では無価値なのだろうか?
いや意味はあった
日本の特撮映画にとって、本作がなかったなら取り返しのつかない損失になっていたはずだ
全否定してはならない映画であり、ある意味重要で画期的な作品だったのだ

1984年3月17日公開
その年の12月にはリブートされた「ゴジラ」が公開されている

しかしそれよりも重要なことは
3月11日に「風の谷のナウシカ」が公開されているということだ
本作公開の6日前の公開だ

知ってのとおり、庵野秀明は「風の谷のナウシカ」の製作に参画してプロとしてのキャリアをスタートさせたのだ
彼がいきなり巨神兵の作画を任されたことは伝説の逸話だ

庵野秀明に取っては、キャリアのスタートを切った映画とほぼ同時公開の特撮映画であったのだから、特に思い出深い作品になったのは間違いない

それゆえに本作の主題歌をシン・エヴァンゲリオンでどうしても使いたかったのだと思う

それだけでなく、庵野秀明監督は、本作はダメな映画と思われているが、自分は好きだとコメントされている

それは何故だろうか?
理由はいくつもある

本作は日本映画にはとても珍しい本格的なSF映画であるということ
1962年の「妖星ゴラス」以来だから、実に22年ぶりのこと

日本SF小説界の巨人、小松左京が日本でも本格的なSF映画を作りたいと情熱を傾けた作品なのだ
内容はハードSFと言えるものだ
豊田有恒、山田正紀、野田昌宏、高千穂遥など当時の錚々たる日本SF作家が結集した内容なのだ

メカデザインは、スタジオぬえの宮武一貴が担当しているから、素晴らしいクォリティで世界水準なのは間違いない

そもそも庵野秀明がアニメ業界に関わることになったのは彼のダイコン3でのオープニングアニメでスタジオぬえがメカデザインした機動歩兵が動くのが会場にいた彼らの目に留まったことがきっかけなのだ

特撮用のミニチュアの出来も見事だ

スターウォーズで使用され、当時の日本の特撮にはまだなかった為に決定的に立ち遅れていた特撮技術がモーション・コントロール・カメラだった

これを「アマダ製作所」の協力で工業用ロボットを改造してモーション・コントロール・カメラに仕立てて使用することで、この技術ギャップを解消しているのだ
これによって、日本で初めてスターウォーズのように滑らかに宇宙船が宇宙空間を進む特撮を撮れるようになったのだ
それまではピアノ線の操演しか特撮技術がなかったのだ
世界水準から大きく立ち遅れていたのだ

CGが多用されているが、ショボいと批判してはいけない
当時はまだ海外の映画でもCGが使われることは少なかった
1982年の「トロン」、1983年の「ウォーゲーム」、本作の7ヵ月後の1984年10月公開の「ターミネーター」ぐらいだ
日本では皆無だった
しかし本作では、当時の16ビットパソコンを数台使用するだけでなく、当時世界で40台しかない、日本には2台しかなかったスーパーコンピューターを三菱総合研究所に借りて、このようなCGを作りだしたのだ

これらは全て小松左京自身が自ら動いて、しかも自腹で用意したことだ
日本の映画会社に任せていてはいつまで待っても実現出来ないことだからだ
何をしなければならないのか自体さえ、日本の映画会社には分かっていないことを知っていたからだ

この小松左京の努力により、日本の特撮が世界水準に達する為の各要素が、本作の製作によって日本でも揃ったのだ

24歳、プロとしてのキャリアをスタートさせたばかりの庵野秀明に取ってはどれも嬉しいことだったに違いない
これらの要素を縦横に使って、将来自分が特撮を撮ることを夢見たに違いないのだ
いつか必ずその日を実現させてやると野心を燃やしたに違いないのだ
つまりシン・ゴジラに至る道は本作から始まっていたのだ

だから彼は本作が好きで、本作の主題歌をエヴァンゲリオンの総決算に使用したのだ

なのに本作は黒歴史になってしまった
何故だ?!

本編監督の橋本幸治の責任であると自分は思う
「小松さんの言うことはあまり聞かなかった」「小松さんが描いた絵コンテもほとんど見なかった。コンテ通りに撮っても面白くないので」
「小説も読んだけどイマイチわからなかった」
その上、「テーマは愛である」
「英二とマリアの愛をしっかり描くことが最も重要な課題だった」などと本人が語っているからだ

つまりSFが分からない人だったのだ
SFには何ら愛の無い人だったのだ
特撮は特技監督の仕事であり、本編監督はそんなもの何の関心も無かったのだ
そんな人が、日本で世界水準の本格的SF映画を作ろうとした作品を監督したのだ

だから結果はこれだ
大惨事になってしまったのだ
黒歴史にしたのは彼だ

黒歴史とは、期待が大変に大きかったのに裏切られたからそうなるのだ
最初から期待してなければ黒歴史にはならない
日本発の世界水準のSF 映画を!とのSFファン、特撮ファンの期待をぶち壊したから黒歴史なのだ

日本の特撮映画の最大の問題点はここだ
本編監督とその現場の無理解にこそあるのだ

アニメではSFやファンタジーのことが分かる、それを愛してやまない監督が心を込めて作品を作れるのに、実写ではそれが出来なかった
原作者であり総監督の小松左京ですら、現場に何も口出し出来なかったし、現場は言うことを聞かなかったのだ
関心も興味すらなかったのだ

しかし特技監督は川北紘一だ
円谷英二、中野昭慶に連なる正統なる後継者
平成ゴジラシリーズを背負って立った人
世界水準に達しているいくつかの目を見張る映像はこの人の功績だ

特にブラックホールの映像は秀逸
単純な特撮ながら、超重力により宇宙空間がドップラー効果で赤方偏移して漏斗状の赤い渦に見える映像は見事だった

モーションコントロールカメラを上手く駆使している映像が嬉しい

宇宙船のコクピット窓内に小さく動く人影、コクピットのディスプレイのはめ込み映像、回転する宇宙基地のドックに、回転を同期させて進入する宇宙船の特撮は「2001年宇宙の旅」の特撮を16年かかってようやく追いついたところをみせてくれる
それまでは真似しようにも、日本の特撮はそれだけの技術すらなかったのだ

ただ、どの映像も「空気」が見える
スターウォーズのように真空の宇宙空間であるという映像には至っていない
当時のカメラさん、照明さんには言っても理解出来ないことだったのかも知れない
それでも日本の特撮が、なんとかここまで追いついたのだ

1978年の「スターウォーズ」、「未知との遭遇」という2隻の黒船に為す術もなかった日本の特撮が、ようやくここまできたのだ
そこは評価されなけばならないのだ

全否定してはならないのだ
シン・ゴジラへの道はこの本作から始まっていたのだから

因みに主題歌のボイジャーとは、宇宙探査機のボイジャー1号、2号のことをイメージされたタイトルと歌詞のように感じる

打ち上げは共に1977年
木星最接近は1979年
土星最接近は1980年(2号は1981年)
その後、2003年と2018年にそれぞれ太陽系を脱出していまも恒星間宇宙を飛行している
恒星間は英語でいうとインターステラーだ
高名な天文学者カール・セーガンによる宇宙人へのメッセージとして地球の生命や自然の音を収録したゴールデンレコードを積んでいることは有名だ

本作の公開の頃は、このボイジャー探査機が撮影した驚嘆すべきカラーで鮮明な美しい木星や土星の写真が沢山出回っていた
カールセーガンのベストセラー「コスモス」が日本でもテレビ放映されたのは1980年の11月のこと
天体精密画家の岩崎一彰の画集がベストセラーになったのは1983年と1984年のこと
この頃はちょっとした宇宙や惑星ブームだったのだ

ボイジャーの撮影した惑星写真集は今もたくさん販売されている
センスオブワンダーそのものだ
これを数時間でも飽きずに眺めていられる人しか、SFや特撮を撮ってはいけないのだ

あき240