さびしんぼうのレビュー・感想・評価
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「転校生」「時をかける少女」
と並んで尾道三部作と言われているらしい。私は「転校生」がとても好きで、同じ感動を期待して、この「さびしんぼう」を見に行った。
「アイコ16歳」でデビューした富田靖子さんが初々しかった記憶がある。
久しぶりに見返してみたいと思いつつ、なかなか見返すことができないでいる。
【”永遠に連鎖する真実の恋”思春期特有のときめきやロマンチシズムを仄かな郷愁とともに描いた作品。”さびしんぼう”を始め、四役をこなした富田靖子さんの魅力にヤラレル作品でもある。】
ー 写真が趣味の高校生・ヒロキ(尾美としのり)は、憧れの美少女・百合子(富田靖子:不老の人である。今でも美しさは変わらない。)をレンズ越しに見つめ、「さびしんぼう」と呼んでいた。
ある日、実家の寺の本堂を掃除していた彼は、母(藤田弓子)の古い写真をばらまいてしまう。するとその日から、ピエロのような格好をした謎の少女(富田靖子:4役)が現れて…。ー
◆感想
・ある日突然、ヒロキの前に現れたピエロのような格好をした謎の美少女は”いったい誰?”と言う疑問を見る側に抱かせつつ、”健全な”高校生活を送るヒロキを軸に物語は進む。
・ヒロキの父(小林稔侍)は僧侶で、ヒロキのナレーションによると、”何を考えているか分からない・・”と呟かれるが、ヒロキと無理やり風呂に入るワンシーンで父の善性が分かる。
そして、母の事を愛していることも。
・ヒロキの母も”勉強しろ”と口煩い、とヒロキのナレーションでは語られるが、母が如何にヒロキを大切にしているかが良く分かる。
・憧れの美少女・百合子とヒロキの関係性も何だか切ない。
- ”私の側面だけを観ていて・・。”貧しき私生活を知られたくない百合子の乙女心・・。-
・今作が、何より魅力を放っているのは永遠の16歳である、ヒロシが新たに”さびしんぼう”と名付けた白塗りの表情でピエロのような格好をした謎の少女を演じた、富田靖子の百合子役の抑制した演技とは違うお茶目で可愛らしい演技である。
■白眉のシーンは水に塗れると”死んでしまう・・”と言う”さびしんぼう”が、百合子に会いに行ったヒロキを雨の降る寺の階段で待っているシーンであろう。
ヒロキは彼女に優しく上着を掛け、”さびしんぼう”はヒロキの肩に顔を埋める・・。
<全編に流れる、ショパンの「別れの曲」が意味する事。
それは、大人になり僧侶になったヒロキの脇に座る女性(富田靖子)の姿と二人の子供であろう女の子(富田靖子)がピアノで弾くショパンの「別れの曲」を聞けば、分かるのである。
今更ながらではあるが、佳き作品である。>
青春映画の金字塔
共感を呼ぶストーリー。
尾道の美しい風景。
富田靖子の奇跡の演技。
大林作品のなかでも最高に好きな一本です。
近年では、振り返って語られることもなく、TVでの再放送なども見かけませんが、もし何かのきっかけがあれば、ぜひ見て欲しい作品。
私が好きなのは、後半の、富田靖子のセリフ。
「こっち側の私だけを見ていてください。」
男のコに、一方的に好意を寄せられても、現実の自分は、今日食べるオカズにも事欠くような生活。
それを、短いセリフで端的に表現した、素晴らしいシーンです。
尾美としのりの、分かっていて、何も気づいていない(いや、本当に何も気づいていないように振舞っているのですが)ような受けの演技も最高で、ごく自然に撮影したのが、偶然あのような展開になったのか、それとも狙って撮ったのか、今となってはわかりませんが、機会があれば、私ももう一度見てみたい。
2013.3.5
尾道三部作終焉。青春恋愛ファンタジー。 昭和の広瀬すず、富田靖子が...
尾道三部作終焉。青春恋愛ファンタジー。
昭和の広瀬すず、富田靖子が可愛い。しかし、白塗りはキモい(笑)
終盤までは全く面白くなかった。オウムのたんたんタヌキは笑ったが、あまりにしつこい。秋川リサのパンツも見たかない(笑)
終盤、一気に面白くなる。ショパン「別れの曲」は蓋し名曲である。
・男は母親似を好きになるということか?著しく否定(笑)
・尾身としのりのストーカー行為…私も経験がある(笑)
・それまで存在感すらなかった父親(小林稔侍)のセリフが響いた。「おまえ人を好きになったことあるか。好きになれ、思いっきり好きになれ。その人の喜びも悲しみもみんなひっくるめて好きになれ」
・ひとがひとを恋うるとき、ひとは誰でもさびしんぼうになる
BS12録画鑑賞、「特別編」。何か違うのかな?
大林監督を偲んで
父が映画好きだったので、大林監督の作品を鑑賞したのは小学生の時。特に尾道3部作である『転校生』『時をかける少女』『さびしんぼう』は大のお気に入りで、父と一緒に尾道を訪れたこともあります。
今作はもう何回目かの鑑賞ですが、大林監督を偲んで改めて大林作品を見直しています。
とにかく、監督はとてもロマンチスト。『異人たちとの夏』でも若き日の母親と主人公が同じ時を過ごしていましたが、今作もそれは同じ。監督は、一生自分とは恋愛関係にならない母親と作品を通して恋愛しているのかな?と思います。それくらい、愛しているのですね。
35年も前の作品なので、今鑑賞すると?なところもあり評価は色々と割れていますが、私はこの時代の尾道の風情と文化を残した貴重なフィルムだと思います。『奥ゆかしい』が分からなければ、百合子みたいな子と言えばいいかもしれません。
別れの曲を初めて聞いたのも、今作です。小学生ながらとても悲しい気持ちになりましたが、今では大好きな曲です。監督のおかげですね。
『男の子っていつでも母親に恋してるものなのよ』
木魚と別れの歌
ラストの解釈。木魚のリズムに合わせて、別れの歌を弾くシーンがあるが、ヒロキは後に木魚を叩くと別れの歌を連想するに至るようになる。周りから何を考えているかわからんオッサンとなった坊主は、ポクポクと叩きながら頭の中では、青春の若い切ない想いが溢れかえっているようだ。オッサンでもそんなもんだという監督の自白かな。
コメディであるが、藤田弓子は出てくるだけで笑えた。樹木希林と小林聡美の親子コンビは空前絶後。
昔数えきれないほど見返した
この映画が好きで何度も何度も見返した。
あの当時はノスタルジックな雰囲気が好きで見てたが、
内容は今ひとつ理解してなかったと思う。
今日数十年ぶりに見てようやく話を理解した。
モヤモヤしていた部分がすっきりして懐かしい気持ちと同時に
あの時強烈に感じたノスタルジックな気分はだいぶ薄れてしまった。
純粋な気持ちで見ていたあの頃と違い歳を取ってしまったのかな?
因みにこの映画が好きで尾道もわざわざひとりバイクに乗って旅したっけ。
とても素晴らしい景色で料理も美味しかった。
夕焼けに照らされた寺院が映画の様に綺麗だったのを思い出しました。
「そんな光景を皆さんは何とお考えになるだろうか」
先のレビューで、ハッピーエンドとなったことが納得できないと書いていらっしゃる方がおいでますが、ご安心下さい。大林宣彦さんは妻となったのが百合子かどうかは作者としては答えを出していないとおっしゃておられます。それは、ヒロキのナレーションで「そんな光景を皆さんは何とお考えになるだろうか?」と一人一人に委ねる事で締めくくっておられるのだど思います。ところが、ラストがあのオルゴールであった事から大半の方が妻となったのが百合子であると思ってしまった。いわゆる映画がひとり歩きをしてしまったようです。監督としては結末を明確にしていないと言う事です。では、監督としてではなく大林宣彦さん御自身としてのあのラストシーンの思いとは、二人の恋は成就しておらず、妻や娘が百合子に似て見えるそんな日にはヒロキの心には「別れの曲」が聴こえて来るのです。と言う事のようです。
この事は監督の書物、「a move book 尾道」に書かれております。
また、監督は百合子の家を娼家と設定しており、この事から身を引いたとなっています。それで「恥ずかしいから」とヒロキに送ってもらうのを拒んだようです。そしてこの明らかにされていない百合子の反対側の顔が後の
「はるか、ノスタルジィ」で石田ひかりさんが演ずる三好遥子の物語となって行きます。
物語としての繋がりはありませんが、「さびしんぼう」の完結編とされたようです。
こちらは、1997年度版「さびしんぼう」のレーザーディスクのライナーノーツに書かれております。
小林聡美さんの「廃市」のDVDの映像特典 監督インタビューでは原作者の福永武彦さんの「草の花」について触れ、ショパンのピアノコンチェルト第1番が登場すると話しておられ、「さびしんぼう」には「別れの曲」を、そして「はるか、ノスタルジィ」の事を
「さびしんぼう」のその後の物語と言われる「はるか、ノスタルジィ」のテーマがまさに「草の花」と同じショパンのピアノコンチェルト第1番であると紹介されています。
この中で監督にとっては福永武彦さんの小説やショパンの伝記映画「別れの曲」の影響が多大であるように話されています。「別れの曲」をモチーフとされているのならば、「さびしんぼう」においてヒロキと百合子の恋が成就することはなかったでしょう。もし、「廃市」のDVDをお持ちならばチェックしてみて下さい。
富田靖子・・・いつ見ても美しい・・・
突然現れた不思議な格好をした少女「さびしんぼう」と少年を、少年の初恋を絡めながら描く物語。
大林監督の倉敷3部作の1作で、他2作と比較して余り目立ちませんでしたが、個人的には最も感銘を受けた作品です。
全編に流れるショパンの別れの曲と、倉敷のセピア色の街並みが、物語を感傷的に盛り上げます。
普通の少年に起きた、ちょっと不思議な出来事。そして、誰にでも訪れる初恋。大袈裟にせず、派手にもせず、難しいストーリー展開もなく、それでもじんわりと切ない気持ちが湧き出てきます。
若い頃は自分に重ね合わせ、大人になったらセピア色の想いでと共に、いつでも感動を与えてくれる作品です。
別れのフェリーの場面
見よう見ようと思っていて、見てなかった。
若い時、「転校生」や「時をかける」を見て、
わざわざ尾道や竹原に行ったのに。
ついにBS12で見られました。
良かったですね。
もっと若い時に見ておけばと後悔。
富田靖子が別れを告げる夜のフェリーに乗る時
プレゼントの赤いリボンを落として去って行くのが
気になりました。
でも、最後に娘の弾くピアノの上に、
あのオルゴールが…
落としたリボンは彼女の心を象徴しているのか。
だから、ハッピーエンド!
ジジイの勝手な推測です。
は、母親に恋する…?
さびしんぼうが出てきてから、俄然話が面白くなって切なくなってきたと引き込まれて、最後の雨の中でのお別れもクドいのに感傷的になる。でも、その後すぐに母親の昔の姿だったと知り少し拍子抜けする。
「男の子は誰でも母親に恋しているのよ」みたいなセリフを母親役の藤田弓子が主人公に言うてましたが、おっさんで感受性が疲弊しまくった自分にはちょっと気味悪く感じてしまった。
なつかしい
30年ぶりくらいに見ました。
大林監督作品は、とにかく風景が美しくかつ懐かしい。あの美しい風景を映画の中に残しておいてくれたことが、こんなに大切なものになるとは当時考えてもみなかった。
話も、青春時代がフラッシュバックしてくるような内容で、ニヤニヤしてしまった。
ショパンのピアノが暫く耳の中に残りますね。
とても素敵な作品です。
その人の全存在を受け止めて愛するということ
前半は無邪気な16歳の少年の世界
ゆえにドタバタコメディ然とした面白おかしい毎日がつづいていることが描かれます
しかし後半は百合子との接点を得てから、ヒロキが大人になりつつある日々はすっかりセンチメンタルなトーンにかわります
その前半と後半の目一杯に振り切った対比は後半のセンチメンタルさをより盛り上げています
まさに心の状態ひとつで世界の見え方がすっかり違ってしまう
そのことの映画的表現です
そこを大林監督は観なさいといわれだのだろうと思います
藤田弓子が演じるもうすぐ42歳になる母タツ子
すっかりどこにでもいるオバサンです
そんな彼女にも16歳の少女時代はあったのです
忘れられない永遠の恋
成仏しない恋慕
あなたの母や、友達の母、道ですれ違う知らない中年女性にもそんな思い出が心の奥底に封じ込められているのではないでしょうか?
そしてラストシーンのようにあなたもすっかり大人のオジサン、オバサンになって、すっかりそんなことは忘れていても、アルバムが棚から落ちてバラバラになった古い写真を見返した時、16歳の日々を振り返えれば鮮明にその頃の素敵な思い出が蘇るのかも知れません
あなたが好きになったのはこっちの顔と百合子は右顔を差します
そういえば彼女の左顔が撮されることは無かったのです
ラストシーンで初めて左顔が撮されます
父の風呂に浸かりながら話す言葉
その人の喜びの悲しみも、昔の素敵な思い出も全てをひっくるめて好きになりさい
それができたなら左顔もひっくるめてその女性の全存在を受け止めて愛することができるということなのです
父はヒロキの名前も、ショパンの別れの曲も、子供に口喧しく勉強しろという理由も何もかも分かっていて全てを飲み込んで母を愛しているのです
自分はそんな大人になれたのだろうか?
あなたはなれたのでしょうか?
その奥の部屋でピアノを弾く少女の左側は良く見えませんが、次のカットで右顔が大きく撮されます
彼女もまたいつの日にか左右の両方の顔を愛してくれる男性が現れることでしょう
ピアノのオルゴールがあったのは、もしかしたら百合子と結ばれたのかも知れませんし、そうで無いのかも知れません
その終わり方もまた味わい深い余韻でした
やはり名作です
ファンタスティック!
富田靖子がとっても可愛ゆい!
尾美としのりは大林宣彦監督の映画にしょっちゅう出演しているわ。
彼の父母が藤田弓子と小林稔侍、脇役陣が凄い。
佐藤允、峰岸徹、樹木希林、小林聡美・・・・・
ヒロキの淡い恋が実って幸せ!
映画の良さが全て詰まっている映画!
黒澤明監督が自らのスタッフ全員に、「この映画には映画の全てが詰まっているから必ず観なさい」という趣旨の命令をしたとのこと。
とても素敵な映画。とても切ない映画。全ての十代の少年少女に観てもらいたいと思う映画です。
キュンとする思いの部分は現代でも共感できるはず
ノスタルジックな青春映画として見るほうが面白い。設定は前世代のものではあるもの、キュンとする思いの部分は現代でも共感できるはず。恋愛映画に限らず、映画としての完成度の高い作品(15/01/24)
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