五人の斥候兵のレビュー・感想・評価
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日本兵の日常と心情
戦後の戦争映画は結構見ましたが、戦中の戦争映画というのは初めて見ました。戦中の映画ですから傍から見たような悲惨さや愚かさは描かれておらず、さりとて作中の人物がとり立てて英雄的な行動を見せるわけでもなく、5人が斥候に出るシーンにアクション的要素がある他は淡々と兵士の日常と心情が描かれています。描写の完成度は高いです。
ただ気になるのは作中では村を占領したのに中国の民間人は一切出てこないということです。メインテーマである兵隊たちの日常を描くのに邪魔だから消したのかもしれませんが、やはりどうしても描けなかったのかもしれないとも思えました。
あと兵隊たちの休憩中はともかく、作戦中の優秀さは戦後の映画ではなかなか見ることができない実際の精鋭部隊の様子を映す貴重な場面と思います。伝令の復唱などあれほど見事にできるものなのでしょうか。私などは間違ってビンタを喰らいそうです。
「戦場の現実は、戦場に出た者にしか分からない」
1937年(昭和12年)7月7日、盧溝橋事件。12月13日、 日本軍が南京を占領。1938年(昭和13年)1月16日、近衛内閣は「国民政府を対手とせず」の声明を出し、日中和平工作を打ち切った。まさに日中戦争が拡大の一途を辿っていた同年、本作は公開されました。国威発揚の目的に創られた映画ですが、戦中の日本人による貴重な記録映像でもあります。
舞台は中国の前線。上官の戦死により、岡田中尉が隊長として部隊を率いています。200名いた将兵は、激しい戦闘の末にいまや80名にまで損耗したことがセリフで語られます。岡田部隊は城壁のある街を占領し、城門の上に日の丸を掲げます。生き残った兵隊達に、つかの間の安らぎが訪れます。銃の分解結合、タバコの回し飲み、大鍋での炊飯…。兵隊達の興味深い日常スケッチです。どこからか手に入れたスイカを抱え、カモを引き連れて戻ってくる男。「うまいかい?」刀で切ったスイカを負傷兵にも食べさせます。すき焼き、松茸、秋刀魚、トロの握り、ぜんざい…。「食いたいなー」と食べ物の話で盛り上がる兵隊達。空に友軍機を見つけるとみんなで手を振ります。本作は日本兵が戦死する生々しいシーンを描きません。兵隊達が、飯盒飯をフォークでかき込みながら、戦友の戦死した様子を語り合うシーンで、日本兵の死が間接的に表現されます。
台詞回しが三船敏郎にそっくりな小杉勇演じる隊長殿(岡田中尉)は、人格者です。「おれはな、陣中日誌がかけてないと、それが一番気になる。兵士たちの辛苦は日誌だけが知っているんだ。日誌さえ書いて仕舞えば、俺はいつ死んでもいいと思う。俺は暇があると日誌を繰り返して読むんだ。軍曹も読んでみるといい。どんな苦しい時でも、勇気が湧いてくるぞ。戦死した兵たちの魂が自分の体に集まってくるような気がするんだ」軍曹に体調を気遣われた際の、隊長のセリフです。隊長は部下に「ありがとう」「すまない」と一々きちんと頭を下げます。この部隊では隊長はお父さん、軍曹はお兄さん、まるで疑似家族です。後送されたくないと駄々をこねる負傷兵、「早く良くなって帰ってこいよ、待ってるぞ」と口々に声をかけ後送トラックを見送る仲間達、斥候が帰ってこないと心配し、帰ってくれば寄ってたかってみんなで世話を焼く。本作が強調して止まないのは、日本陸軍の兵隊達の仲間意識です。同じ釜のめしを食い、同じ戦場で生死を共にした仲間は、本当の家族よりも濃い関係になるのでしょう。それを理解できるのは、戦友同士だけなのでしょう。欧米の戦争映画とは全く異なる、人のつながりを描いた、戦争人情映画でした。おそらく食い入るようにスクリーンを見上げたであろう当時の男性たちは、どんな思いでこの映画を観たのでしょうか。
新たな任務が下り、次の戦闘に向けて岡田部隊は宿営地を後にします。以下は隊長の最後の訓示です。
「部隊はこれより出動する。今更お前たちに、何も言うことはない。全員覚悟はできているはずである。一死をもって大君の高恩に報い奉るは、まさにこの時である。海行かば水漬く屍、山行かば草生す屍。我が部隊の名誉のため、帝国軍陣の名誉のため、正々堂々心置きなく働いてもらいたい。東洋の平和、アジアの平和はかくして来ることを確信する。故郷の親、兄弟、妻、子供は、われわれのこのめざましい働きぶりをどんなにか待ち望んでいることか。それを思うとお前たち一人をも殺したくない。だが只今限り、お前たちの命を、この岡田に預けてもらいたい。そうして、俺と一緒に死んでもらいたい」
前進と後退のクライマックスにある映画美と田坂監督のジレンマ
戦意高揚の醜さと国威発揚の美しさを兼ねた、危うい時局の日本映画。この田坂作品には、”戦争と人間”についての感慨なしでは論じることが出来ない、とても深刻で抜き差しならない映画制作の状況が迫って来る。上官の命令通りに人殺しを遂行する兵士を、戦争のかっこよさとして描けば扇動的なメッセージしかなく、映画が単なる情報に堕ちていく。それを避けるためには、兵士一人ひとりの人間本来のまなざし、吐息、言葉を映像美に昇華させなければならない。それが作品の主軸になれば、戦争の愚かさを訴えかける普遍的な表現芸術になりえるのではないだろうか。この作品には、それがある。ある村落を占拠し駐屯した部隊の軍内部の描写が、人間の営みとして説得力を持っている。勿論ショットがひとりの兵士をクローズアップすれば、日本国の為に命を捧げる主張が語られるし、追い詰められたまなざしが戦争の残酷さを物語る。また部隊長が見せる戦いに挑む男の意地は、戦意高揚の何物でもない。登場人物を温かく見詰める田坂演出が、それを強調しているのも確かだろう。
五人の斥候兵の敵の情勢を調べる前進と後退の移動撮影のクライマックスが、そのまま戦争映画に挑んだ田坂監督のジレンマを具象化したような感慨を抱かせて、危険な映画と身構えていたにも関わらず、不覚にも感動を覚える。軍国主義に凝り固まった部隊長に飽きれ果て軽蔑しても、実直な日本兵士の犠牲的な姿を憂国の精神で描く演出の素晴らしさが勝った映画美は、素直に認めたい。
戦前の大作「土と兵隊」と、この「五人の斥候兵」は、戦争と日本人の歴史をもう一度客観的に見直す遺産として推奨するが、実は田坂監督では「爆音」「路傍の石」が好みであり、特に「路傍の石」は日本映画の傑作と評価している。
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