「これは最高の映画なのです」ゴジラVSキングギドラ モアイさんの映画レビュー(感想・評価)
これは最高の映画なのです
〇何度も見返したくなる映画
映画好きなら折に触れ見返したくなる映画ってありますよね?自分にとってはその一つがこの作品です。特にゴジラシリーズの最新作を見た後に見返したくなる事が多いのですが(最新作の良し悪しにかかわらず!)その度に『やっぱこれだよなぁ~』となります。いかに名作でも見るのに気合がいる作品ってあると思うのですが、音楽をかけるぐらいの気軽さで見られるのも本作のいいところなのです。
〇オープニングの素晴らしさ
いつもの東宝のロゴに重苦しいピアノの旋律が重なります。「2204 A.D.オホーツク海沖」の緑字の字幕。海底探査艇のライトが照らすキングギドラ。しかし首が一本ありません―。探査艇の謎の乗員の会話で20世紀末にキングギドラとゴジラが戦ったことが示されると同時にBGMが転調。そして対峙する二大怪獣をバックにタイトルが表示され、1992年の東京上空へ飛来する謎の円盤へ場面は移ります。もうね、この2分半位しかないこの流れで、一気に映画へ惹き込まれ、否が応にも期待感が高まります!とにかく音楽が最高です。ひとつ前の「~VSビオランテ」(89年)は すぎやまこういち先生 でしたが、ゴジラにはやっぱり伊福部昭先生です!!
〇一見荒唐無稽でも社会を風刺し、警鐘を鳴らす確かなテーマ
映画は作家の寺沢を追って展開されていきますが、真の主人公は新堂会長でしょう。
新堂会長は元・日本陸軍少佐であり、かつての大戦末期に結果的にではあるものの、ゴジラ(に後になる巨大生物)に命を救われます。自分たちを救ってくれ、傷つき虫の息であるゴジラに対し深い感謝と何もしてやれないことを謝罪し、涙を流し帰国した彼は、戦後の日本で屈指の民間企業の総帥にまで上り詰めます。
そんな20世紀末の日本に23世紀から未来人がタイムワープしてきます。なんでも21世紀になりますます経済成長を果たした日本は赤字国の領土を買いたたき、ついに世界一の大国になっているのだというのです‼
失われた10年がいつの間にか30年となり、一向に上がり目が見えない現状では、ギャグでもできない発想です!が、まだバブル経済の渦中にあった当時(崩壊の始まりの頃の時期ではありますが…)としては予見しうる未来だったのかもしれません。(個人的にはこういう昔の作品に出てくる未来予想が大好きです。)
未来人はタイムマシーンを使いゴジラを歴史上から抹殺し、代わりに自分でコントロールできるキングギドラを生み出し、20世紀末の日本を破壊し始めます。
自分が作り上げた街を破壊され、復讐心に燃える新堂会長はゴジラを復活させ、もう一度自分のために戦わせようとするのです。その手段として、なんと自身が海外の海域に所有する核兵器搭載の原子力潜水艦を使うというのです!!到底人の手に負えない強大な力を、一個人の私怨のために利用しようとする驕り高ぶりは当然裏目に出ます・・・。
復活したゴジラはキングギドラを壮絶な死闘の果てに撃破しますが、当然、今度はゴジラがキングギドラの代わりに日本列島を破壊し始めるのです。
未来人は『キングギドラはもういらない。代わりにゴジラが目的を果たしてくれる。核兵器の信奉者どもが復活させたゴジラによって日本は叩き潰されるであろう!』と、とんでもない皮肉を吐いて高笑いするのです―。
シリーズ自体がまだ子供向けの娯楽として作られていた頃の作品ですが、当時の世相を反映し、人の在り方に警鐘を鳴らす場面が上手く盛り込まれています。
〇ゴジラと人間の関係性の描き方
VSシリーズのゴジラは人類(日本人)にとって災害の様な位置づけです。時に人の側がゴジラに助けられたり、温かい何かを感じたとしても、それは人の側が勝手に感じているに過ぎません。本作、VSキングギドラではその関係性の描かれ方がとてもクールです。
新東京都庁舎での最終決戦直前、約50年ぶりの再会を果たすゴジラと新堂会長のシーンはシリーズ屈指の名シーンでしょう。果たして二者間の胸中に去来するものは何か?見る側に色々想像させてくれますが、直後のゴジラの行動によって、そんなものは人が一方的に抱いている感傷なのでは?そもそもゴジラは再会なんて認識を抱いていたのだろうか?と、人の思いなど到底届かない超然とした存在である事を強く再確認させられるシーンだと個人的には思っています。
しかし、心を通わせることが出来ない存在であっても、あまりにも強大な力の前に畏敬の念を抱いてしまう、そんな存在。ただ倒すべき目標としてだけにとどまらない存在がゴジラであると、自分にそう植え付けたシーンでもあり、この感覚は日本人が持つ無自覚な宗教観にも繋がっているような気がするのです。
〇特撮が積み上げてきた技術の結晶
怪獣が活躍するシーンはいずれも見所だらけですが、特撮の三元素(と私が勝手いに言っているもの)である“着ぐるみ”“模型(ミニチュア)”“爆発”の水準が異様に高い!
・着ぐるみ
ゴジラの動きは基本的にゆっくりです。歩く姿も堂々と雄大で、戦闘中の動きもさほど速くはありませんが、そのゆったりとした動きが巨大怪獣の重量感を、力強さを見事に表現しています。そして戦い方が容赦ないのです。相手を徹底的に叩きのめすその姿勢には恐怖を覚えますが、その力強さにやはり痺れるのです。
・模型(ミニチュア)
相当な労力と技術を注いで手作りされた精巧なミニチュア都市。それらが怪獣の進行によってドンドン破壊されていく際のカタルシス!!
正常な街並みが徐々に破壊され、非日常へと変貌していくその様は、崩落する巨大ビルが、飛び散る瓦礫が、立ち上る爆炎が、これらが一々見せ場となっているのです。ハリウッドのモンスターバースのゴジラは正直言ってここが全然ダメ!破壊されていく都市を眺めるカタルシスが一つもないのです!怪獣にばかり焦点が当たっているため、気づいたらボロボロになっている街を背景に怪獣が暴れているだけなんですもん!この途方もないマゾッ気のある行為に悶える感覚をまるで分っていません!!
・爆発
本作はとにかく火薬の量が凄いです(「~VSメカゴジラ」(93年)はもっと凄いですが)とにかく舞い上がる煙と飛び散る火花で画面がけむり、怪獣が見えない!!しかしそれがまた奇跡的な臨場感を演出しており、画面を覆いつくす煙を割って怪獣が浮かび上がる瞬間は震えます。
CGを駆使すればもっと怪獣を俊敏に動かすこともできるし、カメラワークも自由自在でしょう。しかしこの制約だらけの特撮で演出された怪獣たちの迫力はCGにより演出された物とは全く別物です。この最早断絶されてしまった技術により作られた作品には、それでしか味わえない感覚が確かにあるのです。
この三元素が三位一体となった特撮の極致は格好良さに泣けてくるという訳の分からない感情に陥ります。
〇もう一人の主人公:アンドロイドM-11
この作品を語るうえで欠かせないのがこのアンドロイドM-11の存在です。
M-11は未来人が、自分たちのサポートをさせるために連れてきたアンドロイドです。見た目は人間そのものですが、その超人的な能力を表現するシーンが…、まぁ何というかアレなんですよね…。うわぁ…って感じです。
また演じた方の顔つきが元々優しいんですよね。なので未来人の刺客として主人公に迫りくるシーンでもなんかホンワカした気持ちで眺めてしまいます。が、そんな風に油断していると急にターミネーターをはじめるのです!!見ているこっちが恥ずかしくなるクオリティで!!子供の頃はそのシーンを見るたびに『日本人でごめんなさい‼』と心の中で謝ってしまったものです……とまぁ、素晴らしいところとアレなところの差が両極端な作品なのですが、アレなところも最早ご愛敬。私にとってはこの作品を鑑賞する際の楽しみの一つなのです。
この映画は20世紀末の日本特撮界が作り上げた特撮映画の歴史的1本です。この数年後に同じように日本特撮映画のマスターピースである平成ガメラ3部作が制作されますが、これらの作品は映画の特技効果がCGへ変わっていく歴史の変革期において、時代の必然から淘汰されていく文化の風前の灯火、その最後の煌めきなのです。
現代の感性から見ると(もしかしたら当時の感性で見ても!)チャチだとか、展開に粗や疑問が残るという意見もある事でしょう…そうでしょうともよ…。でもね、この映画には公園でソフビ人形と花火で火遊びに興じたり、親の運転する車のリアシートや電車の車窓から眺めるビル群や山並みの向こうに巨大な怪獣の影を見ていた子供の夢が溢れんばかりに詰まっているのです。
もしかしたら時代の流れとともにその価値が軽んじられていく映画なのかも知れません。しかし決して完璧ではなくとも私にとって最高の映画なのです。
