「「記念すべき平成VSシリーズ第一作。川北特技監督デビューにして防衛庁が全面協力した記念碑的ゴジラ IMAX大画面で観たいゴジラ作品の一つ!」」ゴジラVSビオランテ 菊千代さんの映画レビュー(感想・評価)
「記念すべき平成VSシリーズ第一作。川北特技監督デビューにして防衛庁が全面協力した記念碑的ゴジラ IMAX大画面で観たいゴジラ作品の一つ!」
公開当時も映画館で観たが、ゴジラ生誕70周年記念上映「ゴジラ・シアター」第3弾『ゴジラVSビオランテ 4Kデジタルリマスター版』として劇場鑑賞!満席。4Kリマスターで観ると当時映画館で見たのとは一味も二味も違う“新作”感が凄い!今回もスクリーン鑑賞で相当楽しめた。
★独自採点(88):記念すべき平成VSシリーズ第一作。前作からの続編ではあるが平成VSシリーズとして従来のゴジラとは違う新しいゴジラを作るをコンセプトにスタートした意欲作。興行収入的には必ずしも成功では無かった(観客動員数200万人)が、「作りたいものができた」と言わしめるほどの新たなゴジラ像は以降のゴジラシリーズに確実に継続される事になった。そして、このビオゴジの存在をはじめとする川北平成ゴジラが現在の“ゴジラ”というブランドを決定付けたと言っても過言では無い。
市街地ミニチュアセットスケール1/50
制作田中友幸、監督大森一樹、特技監督川北紘一、音楽すぎやまこういち、造形:安丸信行、品田冬樹、ゴジラ造形小林知己・ビオランテデザイン西川伸司
通称:ビオゴジ(身長80m)
防衛:スーパーX等兵器に自衛隊表記・防衛庁(クレジット)陸自/海自/空自
登場怪獣:ビオランテ(花獣形態・植獣形態)・105分・上陸地(三原山登場・小田原=上陸映像無し→芦ノ湖→駿河湾→大阪湾=上陸映像無し→中之島→ビジネスパーク→若狭・高浜原発近辺→若狭湾)
破壊地(芦ノ湖周辺・大阪)
特撮爆破炎上破壊規模AAA
ゴジラスーツ:新規造形スーツ2種→海用(三原山ver)/陸用(大阪ver)=白目が少なく茶色の虹彩、小顔頭部、耳は小さく三角で目より高い、歯列が二重
1984年9年間の沈黙を破り復活したゴジラはそこそこのヒットとはなった、しかし本編と特撮を撮影するゴジラ作品としてはやや物足りない興行収入だったことやゴジラ復活の期待に反して評価は芳しくなく、前作はどちらかと言えば期待はずれで本当に見たいゴジラとはならなかった。
結果として新たなゴジラを求めるべく監督はじめスタッフには新しい息吹が取り込まれる事になる。
ゴジラの設定としても、初代ゴジラのみオキシジェンデストロイヤーで消滅しているが、決して死なない設定。逆ゴジ以降昭和ゴジラとの関連性は無く84’で復活したゴジラが再始動したという設定となっている。
原案はゴジラシリーズ初の公募となり6歳から76歳まで実に5025編の作品の中から見事に小林伸一郎氏(当時29歳)の原案が受賞、敵怪獣が植物という斬新なゴジラ作品が選ばれる事になる。審査員は手塚治虫・夢枕獏・川又千秋・石上三登志。復活ゴジラ2はスタートをきったかに見えたが安易に続編を作ってもヒットしなければゴジラの寿命を縮めかねないという事もあり納得いく内容に練り上げるまで5年の歳月を要する事になる。その間に、既にメガホンを取る事になっていた大森監督は1986年 『恋する女たち』(監督・脚本)・1987年 『トットチャンネル』(監督・脚本)・1987年 『「さよなら」の女たち』(監督・脚本)と着実にヒット作を制作し、VSビオランテにも通ずる地盤固めとなった。1986年11月たまたま大島三原山が噴火、東宝スタッフが現地で撮影を行い。その衝撃的な映像は本作でも大迫力のショットとして作品内で効果的に使われている。
クランクインは初稿の公募から実に4年、熟慮の色がうかがえる。富山P曰く「なんとかしなくちゃ」という思いの元、特に難航を極めたのがビオランテの最終形態らしいがそれだけの苦労の結果が見事に結実しゴジラシリーズでも屈指の敵怪獣となった。最終デザインはその後のゴジラシリーズ怪獣デザインでも活躍する西川伸司氏・造形品田冬樹氏。
本作は同年の日本アカデミー賞で数々の賞を受賞した『黒い雨」で主演を務めた田中好子が出演。核と切ってもきれぬゴジラの存在を際立たせている。
特撮シーンの見所は満載、まずはとにかくビオランテがカッコいい!そしてこれぞゴジラな平成ゴジラのデザインが秀逸。前作で三原山に散ったゴジラが、たまたま現実に噴火した三原山から復活するという偶然とは思えない運命的な出来事も当時はとてもリアルに感じた。本作で(シン・ゴジラが鎌倉で再出現する稲村ヶ崎にも近い)七里ヶ浜駐車場から大島三原山を望むシーンは噴火当時、夜になると溶岩が山肌を流れ落ちた現実の情景と重なるシーンでもあった。
芦ノ湖の攻防後、ゴジラ再上陸前に関西空港建設予定地のヘリポート近くにゴジラが現れるシーンがあり、関空開港前のまだ海上だったロケシーンはその後出来上がった関空を思うと時の流れを感じさせる。大阪上陸後の大阪ビジネスパーク近辺のセットでは爆発火炎も見応え十分だ。
また、若狭決戦シーンは市街地セット以上に大迫力!集結した自衛隊重火器車輌(富士演習場で撮影)はゆうに100台を超え壮観そのもの(陸自のみならず空自・海自も登場するが実車シーンでは当然自衛隊員が参加。勿論訓練なのだが演技を超えたキビキビした動きは正に迫真)、進化したビオランテ植獣形態との若狭攻防・ビオランテの爆走シーンの操演はゴジラ史上NO1ではないかと思われるほど圧巻だ(操演には20人あまりのスタッフがキングギドラを上回る32本のピアノ線を使用して行っている)。若狭湾攻防戦ビオランテ怒涛の前進シーンはゴジラ作品屈指の超絶映像で本当ならIMAX大スクリーンで見たいのだが、いつかIMAXで観られるのだろうか?
本作の設定は、前作のゴジラ東京襲撃(1985年)から5年後ゴジラ痕跡記念物などから1990年設定として前作からの一連のつながりがある。ゴジラとの対戦はビオランテという対怪獣の側面を持ちながら対ゴジラ災害を担当する国土庁特殊災害研究会議=自衛隊との全面対決というのも架空の存在である怪獣をリアルな世界へ引き込んだという意味で大きな作品だ。
Gルームには何故かオキシジェンデストロイヤーとキンゴジの彫像(恐らくイノウエアーツのキャスト製ガレージキット)が置かれていた(オキシジェンデストロイヤーは勿論初ゴジへのオマージュでもあり現物が保存されていた物を使用している= ※オキシジェンデストロイヤーは特撮のDNA展などで展示もされたアップショット用とゴジラ博などで展示された物の二種存在)。彫像は初ゴジではなくキンゴジが置かれていた事から、初代とは別個体が存在したと暗に示しているのだろうか?何かしら意味があって置かれていたのか知りたいところだ(謎笑)。
残念なところとしては、とにかく音楽のすぎやまこういちが・・・悪くは無いのだが、イマイチ(ドラクエの世界じゃないんだよな〜)あのゴジラのテーマ「ドシラドシラドシラソラシドシラ」も何故かエレキverでポップに使われたりするのは違和感があった、伊福部昭ゴジラのテーマが映画とリンクするのは次のギドゴジからかもしれない、やはりゴジラにはあのテーマが必須だ(因みに昭和ゴジラであのドシラのテーマは「メカゴジラの逆襲」まで使われていない)。そして、外国人俳優の格闘演技が嘘っぽくて下手すぎなのも残念。
ゴジラが水中を泳ぐ姿(シルエット)が描かれた(58‘)のも本作が初めて。また、本作ではゴジラ細胞という新たな設定が初めて盛り込まれ以降のゴジラシリーズでも重要なキーワードになる。ゴジラ三大ルール・ゴジラは食物を食べない・絶対に死なない・喋らせない(ちびゴジラは除く)にも繋げられる重要で画期的な設定だ、その生命力を人間にも応用したのがゴジラ−1.0の典子が生き残っていたシーン。またシン・ゴジラとエヴァンゲリオンが合成されるなどの派生設定を産むことにも繋がり今後のゴジラシリーズでも世界観を大いに広げてくれる偉大なコンセプトが生み出された。
兎にも角にもこのビオゴジと次のギドゴジによって確立された平成三代目ゴジラ(逆ゴジ以降の昭和ゴジラを2代目とする)という存在が”ゴジラ”という存在を大きく飛躍させた事は間違いなく、そんな平成ゴジラが生まれたvsビオランテはゴジラ史の中でも欠くことが出来ない名作の一つである。
時代背景:時代はバブル期(1986〜1991年、多くの人が好景気の雰囲気を感じ始めたのは1987年10月19日のブラックマンデーを過ぎた翌1988年頃から)の真っ只中日経平均株価が3万8915円の史上最高値をつけ世の中浮かれ気分であったが、既に綻びの序章が始まっていた激動の年。平成という新しい元号が始まった年でもある。また、ビオランテ公募選定委員でもあった手塚治虫先生が逝去。
1985:全国の小・中学校で「いじめ」が横行,社会問題となる/日航ジャンボ機墜落/ファミコン「スーパーマリオ」ブーム、「乱」『ニュースステーション』『天才たけしの元気が出るテレビ!!』、『夕やけニャンニャン』
1986:伊豆大島の三原山が大噴火、写ルンです、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」、『男女七人夏物語』「ドラゴンクエスト」
1987:世界の人口50億人超える、国鉄が分割・民営化しJRに、スーパードライ発売、『あぶない刑事』、ファミコン国内出荷1千万台超す、「ファイナルファンタジー」日本ビクターS-VHSビデオデッキ(HR-S7000)発売、「トップガン」「プラトーン」
1988:青函トンネル・瀬戸大橋が開通、東京ドーム完成、ボディコン、コードレス電話、リゲイン、『ねるとん紅鯨団』「ラストエンペラー」
1989:昭和天皇崩御、新元号は平成、消費税(3%)スタート、中国・天安門事件、宮崎勤連続幼女誘拐事件、ベルリンの壁崩壊、ゲームボーイ、流行語:「セクシャルハラスメント・24時間戦えますか・山が動いた」『ちびまる子ちゃん』「黒い雨」「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」
因みに、「平成ゴジラ」という呼び名が使われ始めたのは当然平成になってから。84ゴジラ(昭和59年)〜平成ゴジラと名乗る書籍もあるが(「ゴジラの超常識」や「ゴジラ大解剖図鑑=造形の観点からはビオゴジの原型として84ゴジラが使われているのであながち間違いではない(※1)」など、便宜上平成の中に入れてしまっている事が混乱の元になっている)、平成ゴジラはvsビオランテからvsデストロイアまで。ミレニアム以降も年号は平成だが平成ゴジラとは呼ばないし、84ゴジラも平成ゴジラではない。平成改元当時、84ゴジラ〜vsシリーズに続く流れは「復活vsシリーズ」という呼び方を東宝関係者も使い、シリーズとしての認識もあったようだが、恐らくvsメカゴジラ辺りから、”一旦国産ゴジラが終了する話が出始めた事、大森・川北コンビのゴジラ像が定着した事”そんな区切りから平成ゴジラと呼ばれるようになったと記憶している、以後ミレニアムの新シリーズ再開時にはすっかり平成ゴジラという呼び名が定着、書籍などでも昭和ゴジラ・復活ゴジラ・平成ゴジラ・ミレニアムシリーズと区分するようになった。(Wikipediaでは平成ゴジラシリーズとして「ゴジラの超常識」を出典として紹介しているが当時の肌感覚では84ゴジラは平成ゴジラには含めていない、確かに話のつながりとして川北ゴジラと84ゴジラは継続性があるがゴジラの造形は全く異なりかつ昭和ゴジラとも異なる昭和の末裔とでも言おうか。実際1994年刊行のゴジラ大全集では「vsビオランテから平成ゴジラは始まった」とはっきりと記載されている、他「平成ゴジラ大全」「平成ゴジラパーフェクション」「東宝特撮映画大全集」も同様)
※1:本作製作前に84ゴジラの原型から型取りし、頭部を小林知巳氏が造形した川北ゴジラが作られ平成ゴジラの原型となった。デスゴジ公開時日比谷ゴジラ像として飾られたのち、現在のシン・ゴジラを原型とする新ゴジラ像設置に伴い、現在はTOHOシネマズ日比谷ロビーに移設されたゴジラがそれである。