「これはゴジラ映画では無い。本多猪四郎の作品」メカゴジラの逆襲 ヒロさんの映画レビュー(感想・評価)
これはゴジラ映画では無い。本多猪四郎の作品
前作は「メカゴジラ」というアイデア一発をド派手に見せるということに振り切ったお祭り映画で物語のツッコミ所などお構い無し、子供が喜ぶ怪獣プロレス映画だった。
前作がヒットしメカゴジラシリーズ第二作として作られたのが本作である。だからタイトルも「メカゴジラの逆襲」(ゴジラ第二作の「ゴジラの逆襲」を連想させる)
ド派手におバカに作った路線を継承するかと思いきや、メカゴジラ第二作はメッチャクチャシリアスな作品だった。
この映画の主軸となる怪獣はゴジラでは無い。はたまたメカゴジラでも無い。サブ怪獣の立ち位置のチタノサウルスである。そして主人公は人類の敵側に居るサイボーグ少女・桂である。
この作品は本多猪四郎の世界観で構成されたチタノサウルスと少女の物語だった。
人類側の組織としてインターポールが出てくるが登場する男達は皆、プロフェッショナルで冷静だ。そして会議がやたらと出てくる。会議によって物語が進むと言っていい。行動を決めるプロセスをすごく丁寧描写している。
そして物語の主人公、サイボーグ少女・桂である。彼女は初めて登場した瞬間から全く生気が無い。一度、事故死した体を宇宙人・ブラックホール第三惑星人にサイボーグ化されチタノサウルスとメカゴジラを操れるように改造されていた。桂の父でマッドサイエンティスト・真舟博士はブラックホール第三惑星人に「サイボーグ化して娘の命を二度も救ってもらった」と言っているが彼女は救われたのだろうか?
彼女はもう人間では無い。同性の友人も作れない、男性とも肉体的な繋がりを取れない、もう誰も愛せないし、誰も自分を愛してくれないという絶望と孤独を突きつけられた魂だけが残った存在だ。この彼女の絶望、孤独そして怨念が人類に降りかかる。
本多猪四郎監督の作品はこの人間では無くなった、また異形になってしまった者の魂の怨念が人類に襲い掛かる、という世界観がずっと共通している。
第一作ゴジラは放射能によって異形化した怪獣・ゴジラが東京を襲い、サンダ対ガイラも人間みたいな人間では無い存在の脅威、マタンゴも異形化した人間の話だ。
そして人類と異形の存在との間に知識人が居ることも本多猪四郎監督の特徴だ。
この知識人は世間から隔絶しており彼らの目的は「人類を破滅させるかもしれない自分の力を試してみたい」という欲求である。
第一作ゴジラの芹沢博士、海底軍艦の神宮寺大佐、そして本作の真舟博士だ。
ラスト、メカゴジラの頭がもげて桂とシンクロする中枢回路が剥き出しになる。異様な造形なのだがあの姿が本来の桂の姿のように思える。
人類の脅威となってしまった桂に対し海洋学者の一ノ瀬はどんな姿でも君が好きだと告げる。この一ノ瀬の愛が桂の魂を救い桂は自決する。(ここでも桂自身が自分を壊してくれと主張するあたり彼女の気持ちが伺える。殺してとは言わないのだ)
愛によって魂が救われるという展開だが本作は女性の脚本家が執筆しており納得した。
敵のブラックホール第三惑星人も真の姿が前作のような類人猿タイプではなく、ケロイドのような皮膚をもつ人間タイプに改変されている。
彼らが地球の侵略を行う目的はこれ以上同族を失わない為に新たな居住地として地球を奪い、東京に新しい都市を作る、ということだ。彼らは明確に告げていないが恐らく母性が核戦争による放射能で住めなくなってしまったのでは無いか。
彼らの怨念がメカゴジラとなって人類に襲い掛かる。
また真舟博士は学会から追放され社会的地位を失った科学者だ。人類に復讐を果たす為にチタノサウルスを起動させるが、これは第一作でオキシジェンデストロイアをゴジラ消滅では無く、自己顕示欲の為に使ってしまった暗黒面に落ちた芹沢博士だ。彼らの怨念の依代となったのが桂である。
ここで興味深いのが放射能の影響が間接的に生み出した存在のメカゴジラと自分の力を証明するための科学者の破壊は第一作ゴジラと同じ脅威である。
この脅威にゴジラが人類でもない、怨念でも無い、全くの第三者として戦う。このゴジラの戦いがなんか凄く悲しいのだ。
劣勢の中、桂の自決により制御不能となったメカゴジラとチタノサウルスを破壊し終えたあとのゴジラの表情が凄く冷たい。「俺も人類によって異形にされた存在なのに、何やってんだろ」というような虚無感を感じた。
そしてそのやりきれない思いを抱えたまま海にそっと帰っていく。
本作が昭和ゴジラ最後の作品となった。その作品がシリーズの生みの親である本多監督によって第一作と共通する脅威に同じ脅威から生まれたゴジラが幕を引く話だと感じた。
特撮については前作から引き続き中野昭慶が担当しており凄まじい迫力!メカゴジラシリーズは特撮がいい。前作のヒットから予算も増えたのか都市破壊を大量の火薬で見せてくれる。また怪獣と人の大きさのギャップを見せる演出が凄くうまく、ミニチュアの中から見上げるように撮るカットや逃げ惑う人々の後ろから迫る怪獣など本作の特撮は要所、要所に怖い演出が入っている、それが凄く効果的だ。この破壊と恐怖を得られる昭和シリーズ屈指の特撮シーンだった。
本作は当時のシリーズ史上、最低の興行収入だった。恐らく前作のような娯楽お気楽路線を期待した観客を見事に裏切った作品である。前作のように子供向けに明るくメカゴジラとゴジラの怪獣プロレスを見せれば結果はまた違っただろう。
だがそうしなかった。本作をシリアス路線で作った東宝に、ゴジラ本来のテーマに戻そうとする作り手の誠実さと、凄さをを感じた。
本作の結果を受けてゴジラシリーズは一時休止に入る。しかし、本作の虚無感が怒りとなったゴジラが1984年、再び日本を襲う…。