「記念すべきゴジラ初の総天然色カラー作品、怪獣キングのコングとの共演。ゴジラ映画最高動員歴史的作品。」キングコング対ゴジラ 菊千代さんの映画レビュー(感想・評価)
記念すべきゴジラ初の総天然色カラー作品、怪獣キングのコングとの共演。ゴジラ映画最高動員歴史的作品。
独自採点(74):主演高島忠夫、昭和ゴジラとして初めて「自衛隊」の記載が劇中に出た作品。昭和黄金期ゴジラ人気をモスゴジと二分する傑作。市街地ミニチュアセットスケール1/ 25
制作田中友幸、監督本多猪四郎、特技監督円谷英二、音楽伊福部昭
通称:キンゴジ・登場怪獣:キングコング/大ダコ/オオトカゲ(全長1m)・防衛:自衛隊=85'キングコングを空輸するヘリに自衛隊の文字/防衛庁=28'(ノンクレジット)「東部方面隊」・97分・上陸地(松島湾上陸シーン無し)・破壊地(東北〜関東・熱海城)・特撮爆破炎上破壊規模B(特撮シーンは多いものの炎上シーンはややおとなしめ)
ゴジラの逆襲から7年、満を持しての対戦相手は特撮怪獣の目標でもあったキングコング!キングコングとゴジラの激闘は娯楽映画の色彩が非常に強い作品となっている。既にテレビの普及はだいぶ進みカラー放送も始まっていた(60年)がまだ白黒番組も多く怪獣ブームの火付け役ウルトラマン等の放映前、対戦相手がキングコングということもあり、観客動員は実に1120万人(当時の日本人口は9千万人台)!当時の期待度はずば抜けている、当時の東宝特撮はどれもドル箱だったがそれでもベスト10ランクインした特撮は「ゴジラ・太平洋の嵐・世界大戦争」とこの作品のみ。監督の本多猪四郎は、当初キングコングの起用には抵抗があったが、会社からの強い要望でキングコングとの対戦になったそうだ。今作から脚本を書いた関沢新一は当初『ゴジラ対キングコング』のタイトル予定をアメリカ側への配慮から『キングコング対ゴジラ』にしたと語っている。
本作品では環境への警鐘を問うシーンがあり、映画冒頭で海水の水位が上昇している原因は北極の氷が溶けたからと当時から温暖化を指摘するような場面も。この当時「温暖化」という言葉はなかったのかもしれないが既に温暖化が問題になっていたのだという事を知ったのは興味深い。
造形特徴は上目使いの黄色味がかった目、足指3本、耳が無く爬虫類的風貌にボリュームある下半身、初カラーで体色はフィルムの影響か緑がかったグレー、横顔は精悍だが正面からは幅広口により目が特徴のキンゴジは今でも人気がある、熱戦放射で背びれが青く光るところとか当時の人はさぞ興奮した事だろう。
特撮では、ゴジラが東北本線特急「つがる」を襲うシーンやキングコングが丸ノ内線をわしづかみ窓越しのアップや国会議事堂に登るシーンは名シーン。ゴジラスーツも3作目になると改良著しい、対決は丹沢山系とやや地味な場所で熱海城を破壊するのだが、やはり街を破壊するシーンは見たい。
因みに、ゴジラ映画に協力的だった自衛隊(全身の防衛隊含む)この作品で初めて空自ヘリの側面に自衛隊の文字がアップされた、しかし自衛隊機がゴジラの熱線に撃墜されるシーン(66’)があり以後しばらく空自の機体撃墜はタブーとなったのか出てこない。また、マーチでも有名な「宇宙大戦争(1959)」までは自衛隊が実際映画にも出演(クレジット無し・広報・演習の一環)していたが、当時国会で「自衛隊が一企業に協力するのは如何なものかとの横槍が入りモスラ(1961)以降の防衛隊出演は役者のみ(と言っても戦後間もないので戦争経験者の役者が演じているのでリアリティがある)となって行きヘドラまで自衛隊の記載は見られない。
ゴジラの上陸シーンはなし・ラストキングコングと海に落下。
時代:(封切料金¥260※実勢価格約半額)ラーメン一杯48.5円、日本で最初に造られた大規模ニュータウン千里ニュータウン、白黒テレビ普及率80%超え、生活保護世帯にもテレビが認められ日用品となった(電気洗濯機は63年)、首都高京橋~芝浦間開通
1970・78年東宝チャンピオン祭り(74分)
時代(1956〜62):
1956:「ラドン(初の怪獣カラー作品)」(封切料金¥140※実勢価格約半額)経済白書が「もはや戦後ではない」と明記、2代目現在の通天閣再建、鳩山首相が「自衛隊は憲法違反の疑いがあるので憲法改正をしたい」と国会で発言、大阪府堺市国内最初の金岡団地2DKが初めてできた住宅公団初めて入居者募集 、東海道本線の全線直流電化、日本国連加盟、日ソ共同宣言、南極観測船宗谷出港、日本初の分譲マンション四谷に(一戸400〜700万円)、三宅坂の最高裁や国立劇場の辺りはまだGHQのカマボコ兵舎が残っていた、環八着工、一億総白痴化・ロックンロール・深夜喫茶・3種の神器(白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫)、会社員平均月収¥30,776、LP¥1,800、都内人口800万、東京港拡張の為お台場取り壊し
1957:「地球防衛軍」(封切料金¥160※実勢価格約半額)夢の島ゴミ埋め立て開始、ソ連から最後の引き揚げ船、NHKFM放送開始、選抜で王貞治早実が優勝初めて紫紺の大旗が箱根を超える、長島巨人入団、東京都宅地分譲開始、千葉光が丘団地で初めての「ニュータウン」という言葉が使われる、有楽町で逢いましょうのキャッチフレーズでそごう開店、渋谷駅前地下街開店、YKKズボンファスナー販売、白黒テレビ普及率一桁、コカ・コーラ、日本での販売を開始、 東京都の人口がロンドンを抜き世界一、ソ連が人工衛星スプートニク1号の打ち上げ、美空ひばり所属神戸芸能社登記この頃の興行会社は大概ヤクザが絡んでる、浅草国際劇場で塩酸をかけられる。
1958:「大怪獣バラン」(封切料金¥170※実勢価格約半額)国内観客動員11億、東京タワー竣工とミッチー(ご成婚)ブーム、関門トンネル開通、白黒テレビ普及率10%超え、日清チキンラーメン発売¥35円、スバル360発売、団地族・神様仏様稲尾様、初のブルートレイン「あさかぜ」運行、フラフープ流行¥270、神戸にスーパーマーケット「主婦の店ダイエー」開業、サハリンのホルムスク(真岡)からの引き揚げ最終船 白山丸舞鶴入港、、会社員平均月収¥34,663
1959:「宇宙大戦争」(封切料金¥170※実勢価格約半額)白黒テレビ普及率20%超え、丸ノ内線(池袋 - 新宿間)全線開通、渡辺プロダクション設立
1960:「ハワイ・ミッドウェイ大海空戦太平洋の嵐」で東宝大プールが完成以後の東宝作品で大活躍する(封切料金¥200※実勢価格約半額)・所得倍増計画、60年安保、国内スクリーン7457館白黒テレビ普及率45%、1960年9月10日にカラーテレビ本放送開始(東京のNHK・日本テレビ・TBSテレビ・大阪のNHK・朝日放送・読売テレビの6局8波)、だっこちゃん、ポータブルトランジスタテレビ、自動車の輸送率が20%を超え都内各地で渋滞深刻化、都区内下水道普及率2割、ホリプロ設立
1961:「モスラ」(封切料金¥230※実勢価格約半額)白黒テレビ普及率72%、ベルリンの壁が出来る
1962:「キングコング対ゴジラ・妖星ゴラス」(封切料金¥260※実勢価格約半額)ラーメン一杯48.5円、日本で最初に造られた大規模ニュータウン千里ニュータウン、白黒テレビ普及率80%超え、生活保護世帯にもテレビが認められ日用品となった(電気洗濯機は63年)、首都高京橋~芝浦間開通
好きなショット:50’松島の東北本線を歩くゴジラ