故郷(1972)のレビュー・感想・評価
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48年も昔の瀬戸内海の小島の物語では有りません 21世紀の現代の私達の物語だったのです
本作は1960年公開の新藤兼人監督の裸の島に似ています
瀬戸内海の小島で暮らす一家のドキュメンタリーのような映画です
その映画は台詞が一切ない映画として有名です
本作も冒頭しばらくは台詞がありません
私達はこの一家の暮らしを過去から含めて、あたかも家族の一員となって体験していきます
映画が終わった時、私達もまた故郷を離れる辛さ寂しさをこの一家同様に感じています
おじいちゃんになついている小学生低学年の千秋が、笠智衆のおじいちゃんに抱きついて離れようとしないシーンとして、監督は私達のその気持ちを代弁してくれます
高度成長による産業構造の転換は、この一家だけでは無く日本中に起こったことです
こうして地方は空洞化し、過疎化し、高齢化していったのです
時の流れとか、大きいものとはこの事です
ラストシーン
島から一家を乗せて船は離れて行きます
小さくなっていく倉橋島
それは過去の日本の姿です
そして本作公開から48年も過ぎ去りました
島に残ったおじいちゃんはとうに死んでいることでしょう
この一家がきっと盆正月のたびに帰省していたであろう島のおじいちゃんの家ももうないのです
あの集落すらもう限界集落に化しているはず
消滅しているのかも知れません
故郷は消滅しようとしているのです
尾道の向島の造船所もどうなっているのでしょうか?
70年代は花形だった造船産業も斜陽化して長く、今や閉鎖されたところも多いのです
時の流れには逆らえないのです
大きなものには勝てないのです
産業構造は空洞化してしまいました
今や日本全体が倉橋島になってしまったのです
私達は毎日毎日老朽化した小さな木造船の大和丸に乗って石を運んでは海中に捨てています
このままずっとこうして暮らしていたいと言っているのではないでしょうか?
そのことに気付かされます
48年も昔の瀬戸内海の小島の物語では有りません
21世紀の現代の私達の物語だったのです
高度成長期の波
石崎夫妻が『家族』と一緒なので続編なのかと勘違い。珍しいことに、渥美清が最初から目立っている。彼が登場するとドラマになるけど、その後はドキュメンタリー風の映像が続く。船の仕事を辞めて、普通の労働者になる心理描写は上手いが、『男はつらいよ』の合間をぬってこうした作品を撮るのも大変だったろうに・・・実験的作品としか思えなかった。
民子三部作第二弾。 高度経済成長の波に飲まれる夫婦の話。前作「家族...
民子三部作第二弾。
高度経済成長の波に飲まれる夫婦の話。前作「家族」のような大事件は起こりません。船から石を降ろす最後の仕事のシーン、絶対事故が起こるとドキドキしてしまいました(笑)
しかし何だろう、この懐かしさは。場所は全く違うはずなのに、確かに私が子供の頃の風景なのです。本作、時代の記録としての価値もあると思います。
そして何より倍賞千恵子。素敵すぎます。私のような倍賞フリークにはもうたまりません。井川比佐志、偉そうに怒鳴りつけるんじゃねえ!(笑)理想の女性像なのです。
あっ、そうそう、寅さんは魚屋さんです。
みんなが経験すること
日本の産業構造が変化、これまでの仕事が変わってしまうことは、これからもあること。
瀬戸内海の小島で石船をやっていた一家が、船の老朽化を機会に街に出て給与生活になる。
倍賞千恵子と井川比佐志が夫婦で笠智衆がお爺ちゃんで、「家族」と同じだが、こちらはいたってシンプル。
祖父母を失うということ
『男はつらいよ』と並行して作られた山田洋二監督の作品。俳優たちが被る。山田監督は某政党支持で弁護士と不倫した女性政治家の肩を持っていたのがショックで、人間としての評価は下げたが、作りだした映画の作品群は変わらない。昭和で言うと昭和47年。経済成長からの職種の変化に翻弄されてしまう夫婦を描いていた。農業も商店もそうした変化を浴びせられてきただろうが、この映画では砂利運搬船の個人営業の家族が、そうした仕事への需要が減り、日給月給の大手建設の下請けの会社を妻を連れて見学に行ったりする夫。夫婦は井川比佐志と倍賞千恵子。しっかりした寅さんのような人物として渥美清も出演している。船長さんから労働者になるのかと男が夫に言う。船長さんも労働者も同じだと夫が言うと、男は、船長さんよりも労働者のほうが金になり、船長さんのほうが労働が辛い。と言う。そして男は、どうして先祖代々やってきた仕事から出ていくしかならないのかねえ。こんな綺麗なところで住んでいられたのによお。というようなことを夫に言う。夫は長年やっていた仕事を捨てる。金にならず生活にならなくなってしまったために。大きな企業と労働者の社会に変遷してしまった。そしてこの文章を書いているのは45年後である。この職種の家族の他にも、さまざまな家族生産が同時になされていた生活が、企業化、集約化されていき、人生の在り方が変わっていった。山田洋二が共産党という、共産主義という思想を背景にする団体を支持している理由とは。だが、これは共産主義のような企業主義では無く、家族生産への哀惜の作品のように思える。監督の思想の変遷はなんだったか。それに不倫な話などは嫌っているのではないかという山田作品である。寅さんも紳士だった。どうしてそうした監督が不倫女性政治家を応援したのかわからない。現在はこの映画のような砂利運搬船の仕事の描写をドキュメンタリータッチでリアルに見せるような映画は見られないのかも知れない。仮想通貨などという、仮想な時代にまでなってしまっている。夫の労働も辛いが、それに合わせる倍賞千恵子の演技。妻の労働は男性より非力なはずなのに一緒に作業する。それは農業にも見出されていた事柄であるが、女性の強さと哀しみが身体の動作によって表される。現在はソフト化されて、カフェの夫婦経営などに残されているかも知れないが、夫婦で一緒に稼ぐという形態がもっとあれば、離婚も不倫も少子化も現在よりも無かったのかも知れない。合理化とは失わせることでもあるなら、失った後の世代では、それ以前の感覚はわかるはずもなかろう。事実は近い時期に記録されればされるほど事実が記録されるだろう。そこに記録された動画の意義がある。山田監督が非農業的な映画を撮影していったのもどうした意味だったのだろうか。妻が船のだろう免許をとれたのを、最初落ちたふりをして夫に心配させておいて、取ったよと喜ぶと、「馬鹿たれ」と夫が妻の免許証で妻の頭を数度叩く場面があるが、けっこう強い描写だが、それが現在などは夫からの妻への暴力などと感じてしまう人もいるだろう。それも何らかの失われた弱さなのかも知れないし、昔の野蛮性かも知れないし。だがそれは愛情行為だったのはわかるのだが。別の人の船が使えなくなり燃やしているのを見ながら、夫が妻に「時代の流れとか、大きなものには勝てんというが、大きなものとはなんだかの。大きなものにはどうして勝てんのかの」というような問いかけのセリフがある。夫婦で出来た仕事への哀惜である。そして、夫婦生産だけではなく、消費中心の家庭での夫婦の在り方も、離婚が3組に1組とか、不倫問題とか、現在はひどいことになっているのだ。一人残る笠智衆演ずる老人の祖父と夫婦の船での別れの時に、孫娘が別れを祖父にしがみついて船に乗るのを嫌がった場面は、核家族が当然となり、淡い祖父母と孫との関係となった現在との比較として、今の子供たちに孫娘の気持ちがわかるだろうか。言葉づらだけの三世代同居復活の自民党と、核家族が当然のリベラル野党か。
時代の流れ・・
昭和の高度経済成長期のある島の夫婦の物語。老朽船に乗る夫婦が商売替えをして、皆に送られて島を出て行く。広島の町や尾道が舞台。山田洋次監督で寅さんのメンバーが出演する心がほっこりするドラマ・・昭和は夫婦の絆が強いなぁと改めて思う。賠償千恵子や渥美清の演技がいい。1972年の松竹の邦画。
綺麗な瀬戸内
なんで、こんな良いとこを皆離れなければいけないのか。
大きなものってなんだろうなぁ。
どうして、好きな海と船で、お前とここで暮らしていけないのか。
泣く船長。
思わず私も泣けてきました。
故郷を捨てて働きに尾道へ行く家族。
おじいちゃんが孫に、この景色を見ておけと言う。
最後、孫がおじいちゃんと離れたくなくて…
私もまた泣いてしまいました。
故郷とは離れて初めて故郷の有り難みを分かるもの。
一家の姿に自分を重ねる人も多いはず。
今こそ、この作品を若い世代に沢山観て欲しいと思う。
子供の頃観ててもわからなかったと思うので、社会人になって大人になった人に是非、観て欲しいと思いました。
生きてきた島への愛着
総合65点 ( ストーリー:65点|キャスト:70点|演出:70点|ビジュアル:70点|音楽:65点 )
瀬戸内の島で、時代に取り残されて生き方を変えていかざる得ない夫婦の物語。有名俳優陣の演技に加えて、時々は島の人や風景を使って雰囲気がそのまま残る記録映像風な撮影が、この島に生きてきた愛着を表して郷愁感を誘うしやるせなさがある。社会の変化だから仕方が無いことだしよくある小さな話なのだけど、頑張って生きている夫婦の姿が浮き彫りになっていた。
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