「仁義なきプレリュード」現代やくざ 人斬り与太 因果さんの映画レビュー(感想・評価)
仁義なきプレリュード
『仁義なき戦い』の直前に撮られたいわば「東映実録系」の走りともいえる一作。高倉健や鶴田浩二が牽引したヤクザ善人論を真っ向から否定するような、粗暴で欲深く、独善的な無鉄砲者が美もへったくれもないザラついた画角の中でひたすら空転を演じる。さながら爆竹のごとき狂人を見事に演じ切ってみせた菅原文太の技量にはただただ感服だ。
本作はその冒頭からして受け手の同情を突っぱねる。チンピラの沖田(菅原)は上京したばかりの生娘をひっ捕まえて犯したり、そのまま女郎に売り飛ばしたり、暴力に盗みに悪いことならなんでもしてきたことをまるで武勇伝化のようにボイス・オーバーで述懐する。とんでもない悪人ぶりを隠そうともしない。
人斬りで服役を経ても彼の性格は変わることがなく、出所後すぐに川崎で愚連隊を再結成する。彼はそのうちに川崎を取り巻くヤクザ模様に巻き込まれていくことになるのだが、ここで手厚く彼の面倒を見てくれるのが矢頭組の組長(安藤昇)。彼は沖田の無鉄砲な生き様に「そんなんじゃヤクザ渡世はやってけねえ」と忠告はするものの、沖田が窮地に立たされるたびに何かと助け舟を出す。ある時は自分の指まで詰める始末だ。彼はまさに60年代的な仁義の体現者といっていい。しかし沖田はそんな彼を「いけ好かねえ」と一蹴する。
結局沖田は矢頭組と縁を切り、単身で関西ヤクザ勢力と相対する。そこでも矢頭組の組長は命を張って沖田の命を保証してくれるよう頼みこむ。
しかし沖田は「一度負けた奴ってのは負け癖がついちまうもんなのさ」と啖呵を切って最後の最後まで関西勢力に抵抗。街外れの廃工場に立てこもる。しかし組長の必死の説得で彼はしぶしぶ投降する。「今までの挨拶だ」と言って無抵抗の彼をボコボコに殴りまくる関西勢力の幹部。それをたまたま見かけた彼の女(冒頭で彼が犯した女)が彼のもとに駆け寄る、が、返り討ちに遭って死んでしまう。
堪忍袋の緒が切れた沖田は周りにいた男たちを敵味方の区別なく切りつけるが、間もなく蜂の巣にされる。切りつけられた者の中には組長もいた。
徹頭徹尾己が衝動に狂った男にふさわしい死の罰を画竜点睛とし、本作は幕を閉じる。その野獣のような死に様に70年代的なヤクザ像が既に胎動していたことは今更指摘するまでもない。