劇場公開日 1989年5月13日

「広島は終わらない 2021年のこの夏にこそ観るべき映画です」黒い雨 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0広島は終わらない 2021年のこの夏にこそ観るべき映画です

2021年7月20日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

デジタルリマスター版で鑑賞しました

日本映画オールタイムベストにリストアップされるべき作品だと思います

しかしこれほどの傑作でありながら、レンタルも配信も無く、DVDを中古で探して入手しなくては鑑賞できませんでした

一体どうしたことなのでしょうか?

このような名作は広く、末永く鑑賞の機会が確保されなければなりません
日本でしか撮れない映画です
残されなければならない映画です
忘れ去られてはならない映画です

関係者の皆様、是非ともネット配信され広く鑑賞の機会を得られるように、ご尽力頂きたくお願い致します

それも日本だけでなく世界への配信であるべきだと思います

原作は井伏鱒二の同名小説です

今村昌平監督の映画だから、どうせ特定政治勢力の反核反戦運動の政治的プロガパンダが充満しているだろうという予断を持って鑑賞しました

しかしそれは杞憂でした
なぜなら原作者から「反核運動に利用されるような映画は認めない」と注文を受けての映画化だったからです

原作者の注文が強い重しになったようで、今村昌平監督のやりたい内容、撮りたい映画にしようする足掻きにも似た痕跡は、あちこちに散見されますが、殆ど気にならない程度の微かなものです

ただ、このデジタルリマスター版DVDには特典映像として、今村昌平監督が当初予定して撮影までしたカラー撮影での矢須子の四国お遍路の物語が19分収録されています
この物語は原作にはないものです
ここに今村昌平のやりたかった「黒い雨」があります

この四国巡りは昭和40年1965年の春からはじまります
なぜ1965年春なのか?
もちろん原作小説の発表が1965年だからです
その後の「黒い雨」と言うわけです

それだけでしょうか?
その前年1964年10月は前回の東京オリンピックがありました
その開催期間の真最中、中国は自国初の原爆実験を実施したのです
その死の灰は黄砂のように日本にまで流れて、強い放射性降下物を含んだ黒くはない「黒い雨」を日本に降らしたのです

もちろん世界中が非難しました
しかし今村昌平監督が心服する日本共産党はこれを肯定して擁護したのです
いわゆる「社会主義国の原爆はきれいな原爆」というものです

諸行無常
そのような衝撃を監督は受けたのでは無いでしょうか?
それが監督に、矢須子がお遍路に向かう四国巡りを撮らしめたのだと思います

結局、監督はこのカラー撮影の四国編を丸ごとカットして、ラストシーンを新たに公開版のように白黒で撮り直しを行っています

監督の判断を支持します
正しい決断をなされたと思います
公開版でこそ、永遠の生命を持つ、世界に普遍性を持つ、特定の政治勢力に利用されない本当の反核反戦映画になったと思います

そして同時にそれ以外の今村昌平個人のパッションという余計なものも排除したのです

そんなものは不純物です
原爆文学の最高峰といえる原作の映画化という価値を台無しにするものです
その上、せっかく自己を抑制して撮影を積み上げてきた本編を否定するものです

そんな監督の思想信条とかパッションとかいうものが、太刀打ち出来ない圧倒的なものが原作にあり、それを自分が映画化した原作に準拠したものもまた圧倒的な力を持っていることに気がついたのだと思います

よくぞ自ら気がついて、自己を否定し、相対化なされたと思います
監督は本作において、生意気ながら一皮むけたのだと思います
それゆえに、次の作品「うなぎ」が成功させられたのだと思いました

特典映像のメイキングには、カラーでの爆心地の悲惨な光景の撮影シーンがあります
あの兄に呼び掛ける全身重度の火傷でケロイドになり皮膚がボロ布のように垂れ下がった少年がカラーで映ります
声を失うものです
とてもカラーでは公開出来ないものです
正気ではいられないものです
それが本作が白黒である理由です
単に記録映画的な効果をねらったものではありません

田中好子、公開時33歳
キャンデーズのスーちゃんで引退したのは22歳
その頃は頬もふっくらとして、すこしポチャッとしていた印象でした
しかし、本作での彼女は頬もこけやせ細っています
戦時中の栄養状態不良、被爆後の健康不良を身体を持って表現しています

主要な登場人物は、全員昔の白黒映画の役者の顔をしています
昭和20年から25年の顔つきをしています
しかし彼女だけ現代の女性の顔つきです
明らかに彼女だけがそうなるように配役されています
監督の狙いは、本作のテーマを彼女の姿に語らせることにあると思います
それは「広島は終わらない」です
現代にまで、未来にまで続いているのだということです
それを田中好子は表現しているのです
配役も見事なら、彼女の演技も見事でした

本当の傑作、永遠の名作です

1週間程前、「黒い雨」訴訟の二審判決が広島高裁であったとのニュースに接しました
裁判内容についてはご自分でお調べ下さい

「広島は終わらない」のです
戦争は体の中で続いていたのです

2021年夏
例年に比べて異様に長かった梅雨が明けると、いきなり猛暑が訪れました
本作は昭和25年1950年の5月から晩秋にかけてのお話しです
淡々と進む広島県の田舎の日常を描きつつ、昭和20年8月6日のあの日と、終戦までの間のことが時折フラッシュバックして挿入されます
白黒だからこそ伝わる強烈な夏の日射しは21世紀でも変わりません
原爆から76年目の夏
本作の現在から71年過ぎた現代
カットされたカラーでの四国巡りは昭和40年1965年からは56年目の夏です
広島は終わらない
原爆記念日はもうすぐです

東京オリンピックがコロナ禍の中、開催されようとしています
1964年の前回大会から、57年経ちました
国際オリンピック協会のバッハ会長が数日前広島を訪れて、原爆記念公園で献花されるニュース映像を見ました
原爆資料館も見学されたようです
出て来た時、ショックを受けたようで少し休憩させて欲しいと言われたそうです
単なる社交的儀礼的な訪問だったのかも知れません
しかし原爆の現実はそんなものを突き抜けて、76年前に何があったのかを彼に突き付けたのです

原爆ドームは本作では映りません
カットされたカラーフィルムのラストシーンの中だけに映ります

原爆ドームは今も広島の真ん中に建っています
広島は終わらないのです

そして本作を観たあなたの心の中にも原爆ドームはあります

あの日から76年目の夏
広島は終わらないのです

2021年のこの夏にこそ観るべき映画です

蛇足
本作の英語題名は「ブラックレイン」
同名のリドリー・スコット監督の映画は、本作と同じ1989年10月の公開
本作は1989年5月、米国では9月の公開
ですから単なる偶然です

本作の黒い雨とは、原爆の放射性降下物即ち死の灰を大量に含む雨ですが、そちらの映画の黒い雨は、大阪などの空襲による大火災での煤を含んだ雨のことです
放射性降下物には触れられていません
しかし、もしかしたらあちらの黒い雨は原作小説のタイトルが少しは影響していたのかもしれません

放射性降下物、英語ではフォールアウト
ミッションインポッシブルの第6作のサブタイトルです
この作品では、悪の組織が原爆を、中国やインド、パキスタンなどの人々数億人の水源地であるヒマラヤ山脈の麓カシミールで爆発させ、放射性降下物を大量に降らせて水を汚染しようとするもの
つまりカシミールに「黒い雨」を降らせようというものでした

あき240