「三種の神器♥ 定年はこの頃は55歳だと思う。」お早よう マサシさんの映画レビュー(感想・評価)
三種の神器♥ 定年はこの頃は55歳だと思う。
『世の中無駄があるからいいんじゃないかなぁ?』
『無駄って言えば、酒、タバコも無駄だけど、テレビなんて一億総白痴化!』
ここに登場する子供達は団塊の世代である。所謂、アプレゲールの初代。
大泉滉さん演じる役は正確にはアプレゲールではないけど、アプレゲールとか周りは決めつけて差別していた。その理由に付いては触れないで置こう。とにかく、
こう言った日本だった。さて、
この映画を見ていて、約60年経ってはっきりした事を思い出した。僕が生まれた時から僕はテレビを見ていた。と言う事だ。テレビの所有が誰であったかは分からないが、1960年には亡父とコンバットやジェスチャーを見ていた。だから、白痴化の先鞭を切ったって事かなぁ。つまり、頭の中は欧米化されていたのである。
しかし、我が亡父はアメリカテレビドラマに出てくる優しい紳士ではなかった。母にも子供達にも手を上げた。フーテンの寅や星一徹の様な父親だった。さて、それが普通であったのか、特殊なのか分からない。しかし、そう言った人に手を上げる人はいたと記憶する。また、軽石に殺鼠剤を混ぜる事や神隠しと言われる誘拐等もこの頃のマイナスな事件だと思う。勿論、向こう三軒両隣のうわさ話は当たり前で、だいたいは差別を生む結果を作っている。さて、再考すると、
『火垂るの墓』でも分かるように、差別は戦後間もなくから、人の命まで奪っているのだ。
しかし、現在はそう言った事は無くなったのだろうか。差別、いじめ、仲間外れ、人を傷つけるうわさ話。
全部、今でもある。
小津安二郎監督の凄い所は、それを『一億総白痴化』と予見している。勿論、総白痴化を予想したのではなく、新しい価値観に対する脆さを語っている様な気がする。
さて、時代は神武景気になるのだが、翌年の1960年には日米安保条約が結ばれ、脱亜入欧に拍車がかかる。
やっぱり、小津安二郎監督は凄い演出家だと思う。しかし、彼は後輩を育てる事の出来ないワンマンな所があったのでは無いかと思う。それは黒澤明監督も溝口健二監督も同じである。