「微笑ましいユーモアを誘う演出の巧さにみる小津イズムの洗練されたコメディ」お早よう Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)
微笑ましいユーモアを誘う演出の巧さにみる小津イズムの洗練されたコメディ
昭和30年代の時代と風俗が色濃く反映されて、小津監督独特の映画様式美に子供たちの微笑ましいユーモアが溢れる小市民映画。簡素ながら一戸建ての新興住宅地を舞台に、波風が立つ大人の近所付き合いとテレビを欲しがる子供の反抗期が絡み合うお話で、色んな人間模様を見せてくれます。小津監督のサイレントの名作「生まれてはみたけれど」を彷彿とさせる子役演出の巧さと、野田高悟と共作の脚本は志賀直哉の短編小説のような味わいと面白さがあって、とても楽しめました。多くの登場人物を巧みに交差させて物語を進展させる脚本は見事です。赤を際立たせた色彩のコントロールが行き届いたフィクス撮影のカメラワークも、隣の家まで見通せるカメラアングルで奥行きを出し、また様々な人物の細かい動きで変化を付けて映像のリズムを形成しています。作品的には小品ですが、充分に練られた場面構成と映画演出が成されていて素晴らしいと思いました。
この時期の日本の経済成長を象徴するのが、テレビと洗濯機と冷蔵庫の「三種の神器」であり、一般的な家庭にとっては高嶺の花の家電製品でした。(1960年時のテレビの価格を調べると、今の値段に換算してカラーテレビが280万円、白黒テレビが33万円程だったとあります)この作品が公開された前年の昭和33年は、全国の映画館数がピークを迎えた日本映画興行全盛期であり、同時に電波塔の東京タワーが竣工してテレビ放送が本格的に始動した象徴的な年でした。それでもテレビを所有している家庭が近所に一軒しかなく、相撲中継が見たくて他所の家に上がり込む子供たちの姿は、この時代ではしばしば見られたことです。大泉滉演じるそのテレビ所有者の丸山が引っ越しをするのを挟んでから、笠智衆演じる林敬太郎がテレビ購入を決意する展開の伏線の忍ばせ方も巧いです。テレビ買ってと強請る子供のストライキと、うるさい黙っていろと叱る頑固な父親の単純な親子喧嘩をストーリーにしながら、そこに父親の秘めた想いを廊下に置かれたテレビのワンショットで決着をみせる巧さは流石であり、その時代を知っている私には泣けてしまうくらいの映画演出でした。
細かく観ると指摘したい演出の巧さは数多く、書き切れないのがもどかしいです。先ずは林家の次男坊勇の島津雅彦少年の演技の可愛らしさを挙げたい。小津監督の要求に全て応えた上手さは、あくまで自然な子供の演技をして、世にいう大人顔負けの熱演ではない。そこがいい。アイラブユーを口癖にするおしゃまさ、怒りを表す両手のブロー、歳の離れた兄の実に素直に従いながら大人たちを観察する鋭さ、最後は嬉しさのあまりフラフープを上手に回す無邪気さまでと、兎に角この映画の主役級俳優の杉村春子、笠智衆、三宅邦子、佐田啓二、久我美子などの名優の大人と並んで、つまり溶け込んで邪魔せず、この楽しい家庭劇の重要な役を全うしています。脇を固める沢村貞子、東野英治郎、長岡輝子、田中春男、殿山泰司、櫻むつ子のキャスティングの適材適所の隙の無さ。またこの作品で強烈な印象を残すのは、杉村春子の母役三好栄子と、大泉滉のパートナー役泉京子の御ふたりです。対極的な女性像にそれぞれ存在感を持たせ、作品に深さと彩を与えています。泉演じる丸山みどりは、近所の主婦たちから色眼鏡で見られる昭和の女性には無いモダンさを持ち、嫉妬と羨望含め疎まれる女性の役割も、人物の対比の面白さになっています。調べると当時和製シルヴァーナ・マンガーノと謳われたとあり、納得のプロポーションと雰囲気を兼ね備えていました。
公開当時は極ありふれたお話の、いつもの小津タッチの映画として観られていたと想像します。しかし、今令和の時代から見直すと、当時の風俗や人間関係を知る資料的価値があります。勿論小津演出の美意識が最優先された映画の特質から、実際の一般人より美化された生活実態と恵まれた生活環境の小市民映画と断りを得ませんが、映画演出の見所が詰まった小津イズムを堪能するのに最適の作品でした。何より微笑ましいユーモアを誘う洗練されたコメディ映画として楽しめることが素晴らしい。映画は時代を超えて観る者を虜にします。