お早ようのレビュー・感想・評価
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おばあちゃんで笑いが止まらない
干したパンツでエンディングを迎える作品が他にあるのだろうか。
押し売りを独特な方法で撃退するおばあちゃんで笑いが止まらなくて。ゲラゲラというよりはクスクスですが。
でも婦人会の会費を預かったのをすっかり忘れていて娘に怒られて悪態ついているのも、可愛い半纏を着ているのも相まって可愛い。
ヴェンダース監督も愛した小津安二郎監督
なんとも完結に色々なことがよく分かる
大人は大人の、子供は子供のそれぞれの世界が入り混じってる
当たり前のことなんだろうけど目に見えてよく分かる
子供には分からない大人の理屈
大人は忘れてしまった子供の理由
伝言ゲームのように捻じ曲がっていく真実
コレが解消されないといつの間にか誰かが悪者になって取り返しがつかなくなる恐ろしさ
誰が一番悪いわけじゃないのに誰かが犠牲になってしまう
SNSの今の時代で言えば「炎上」なんでしょうね
人の噂はあくまで噂、噂を間に受けていいのかな?といつも思ってしまいます
例えば「あそこのラーメン不味いんだよ」と聞くと自分の舌で確かめたくなっちゃうんですよ
結局噂に乗っかって行動はしちゃうんだけどね
人と味覚が違うのかはたまたストライクゾーンが広いのか、今までそんなに不味いものに当たったことが無いのは幸せなことだと思っとります
小津監督の作品は面白いですね、しかしまだ「凄さ」は私には分かりません
でも明らかに海外には無い空気は感じることができます
歳をとると分かること
映画は広くて深いです、人々を気軽に別の世界へ連れて行ってくれる映画館はとてももても大切な場所だと心から思います。
「警視庁方面からも推奨されてまして」
口も尻も色んな物を出す。出さなきゃ出さないで体に悪い。腐して災いを呼ぶこともあれば、笑顔を生むこともある。
子供にしてみたら、一方的に叱られたら納得いかない。納得いかなけりゃ揚げ足取られたとしても意地を張るしかない。そうして黙り込んでしまった子供達を中心に話は進む。
妻に定年の事を言われズシンと重たい空気を纏う笠智衆も良いが、一番印象的なのは三好栄子演じる産婆さん。
押し売り相手に「いらないねー」の一言で取り付く島なし。それでも小刀をチラつかせながら食い下がる押し売りに、大きな包丁を持ち出し役者の違いを見せつけると相手は言葉を引っ込めそそくさと退散。まるで狐と狸の化かし合い。
小津映画を観ていると、作品の世界と現在が確かに繋がっているんだなと毎回感じられる。きっと生活の中にある変化の兆しにとても敏感なんだろうなと感じた。
昭和の懐かしい生活ぶり
婦人会の会費がとっくに支払ったのにまだ町に収まっていないという話に始まった。テレビがある家に近所の子供たちが集まってみんなで見る昭和時代。押し売りも確かにいたようだ。佐田啓二を初めて観た気がするけど、なるほど中井貴一に似た感じがあるね。昭和の懐かしい生活ぶりがかいま見られて良かったんじゃない。
時代の写し絵のようにも…
冒頭のタイトルバックの音楽から、
いつもの小津映画とは異なるのでは
と予想したが、その通りの展開に。
オナラのエピソードも含め
ここまで全編に渡りユーモア要素満載の
小津映画は初めて観たような気がする。
そんな中、前半のネガティブ要素に思われた
主婦同士の噂話エピソードが、
後段での、無駄なことや無駄な会話が
社会の潤滑油になるのだとする、
ポジティブ要素へのひっくり返し的構成には
大変驚かされた。
そして、
・市民の服装が和服から洋装に代わる
過渡期的描写
・同じような建売住宅が並び、
他人の家に間違って帰る挿話
・洗濯機や炊飯器が徐々に
各家庭に入り始める中で、
私も全く同じ経験のあるTVのあるお宅に
相撲を見に行くご近所付き合い、等々、
高度成長期の社会変遷の要素の集積には、
この作品は他の小津映画のように
感動を覚える内容ではないが、
当時の匂いがプンプンと漂ってくるような
この時代の写し絵のようにも思えた。
三種の神器♥ 定年はこの頃は55歳だと思う。
『世の中無駄があるからいいんじゃないかなぁ?』
『無駄って言えば、酒、タバコも無駄だけど、テレビなんて一億総白痴化!』
ここに登場する子供達は団塊の世代である。所謂、アプレゲールの初代。
大泉滉さん演じる役は正確にはアプレゲールではないけど、アプレゲールとか周りは決めつけて差別していた。その理由に付いては触れないで置こう。とにかく、
こう言った日本だった。さて、
この映画を見ていて、約60年経ってはっきりした事を思い出した。僕が生まれた時から僕はテレビを見ていた。と言う事だ。テレビの所有が誰であったかは分からないが、1960年には亡父とコンバットやジェスチャーを見ていた。だから、白痴化の先鞭を切ったって事かなぁ。つまり、頭の中は欧米化されていたのである。
しかし、我が亡父はアメリカテレビドラマに出てくる優しい紳士ではなかった。母にも子供達にも手を上げた。フーテンの寅や星一徹の様な父親だった。さて、それが普通であったのか、特殊なのか分からない。しかし、そう言った人に手を上げる人はいたと記憶する。また、軽石に殺鼠剤を混ぜる事や神隠しと言われる誘拐等もこの頃のマイナスな事件だと思う。勿論、向こう三軒両隣のうわさ話は当たり前で、だいたいは差別を生む結果を作っている。さて、再考すると、
『火垂るの墓』でも分かるように、差別は戦後間もなくから、人の命まで奪っているのだ。
しかし、現在はそう言った事は無くなったのだろうか。差別、いじめ、仲間外れ、人を傷つけるうわさ話。
全部、今でもある。
小津安二郎監督の凄い所は、それを『一億総白痴化』と予見している。勿論、総白痴化を予想したのではなく、新しい価値観に対する脆さを語っている様な気がする。
さて、時代は神武景気になるのだが、翌年の1960年には日米安保条約が結ばれ、脱亜入欧に拍車がかかる。
やっぱり、小津安二郎監督は凄い演出家だと思う。しかし、彼は後輩を育てる事の出来ないワンマンな所があったのでは無いかと思う。それは黒澤明監督も溝口健二監督も同じである。
「無駄があるからいいんじゃないのかな、世の中」
昭和34年、今から64年前に公開された本作。今でいうタウンハウスというのか、同一規格の一戸建て風集合住宅に暮らす平凡な庶民の日常を淡々とスケッチした本作に、起承転結的ストーリーはありません。この映画を当時映画館で観た観客たちはどう思ったのでしょう。「あるあるw」なのか「モダンで素敵!」なのか「平凡w」なのか。小津監督はもしかしたら、リアルタイムの観客よりも遠い未来の私たちの方を意識しながらこの映画を作ったのではないか、そんなことを思いました。
「江戸時代の長屋暮らし」→「昭和30年代のタウンハウスの暮らし」→「現代のマンション生活」
時代の変遷とともに日本人の生活様式も随分大きく変わって来ましたが、そのなかで私たちはなにを得てなにを捨ててきたのか。得たものは、おしゃれな暮らし、電化製品に囲まれた便利な暮らし、オートロックや個室に守られるセキュリティとプライバシー。捨ててきたものは、火鉢とちゃぶ台を囲む家族の団らん、ご近所づきあい、無駄話。
林家は熟年夫婦(敬太郎:笠智衆、民子:三宅邦子)+男の子2人(兄は中学生、弟は小学生)+民子の妹の若い女性(有田節子:久我美子)の5人暮らし。兄弟は親にテレビを買わせるため、ストを決行します。謹厳で口下手な父は当時の評論家の言葉を借りて「一億総白痴化」とテレビを批判しますが、自分の言葉で子供達を説得することはできず、ついに根負けしてテレビを買ってしまいます。林家の食卓では、今後テレビの話題が中心を占めるようになるでしょう。父にそれを止めることはできませんでした。生活の急激な変化を推し進める原動力は子供や女性たちの欲望のようです。茶の間にテレビが入ることで林家が失ったもの、それは何もない時間を共有することで家族の間に流れる目には見えない情のようなものでしょうか。小津監督も笠智衆も、それを言葉で説明しようとはしません。
大人と子供の対立を仲介するのは二人の若者です。一人は叔母さん節子であり、もう一人は近所のモダンアパートに住む福井平一郎:佐田啓二。イケメン、英語堪能の彼は翻訳のバイトで食いつないでいるようで、度々節子も仕事を依頼しています。どうやら二人は相思相愛のようですが、お互いに自分の言葉で自分の気持を率直に伝えることはできません。
林家の兄弟は戦後教育の申し子たちであり、現代っ子です。親に平気でウソをつく、出された飯に文句を言う、親父に向かって「怖かないやい、へっちゃらだい」と減らず口を叩く、説教されたら「そんなのこっちの自由だい!」と生意気な口ごたえをする、やたら口数が多い、面白くないと「わー!」と奇声を上げて暴れる、ダダをこねる、聞き分けがなく強情、前髪が長い。そんな聞き分けのない子どもたちに親父は声を荒げることはあっても手を上げることはありません。本作に出てくる大人の男たちはみな、まだ敗戦の影を引きずっているかのような負け犬感を醸し出していますが、彼らは家族に暴力を奮いません。
まどろっこしい大人や若者たちと違い、林家の子供たちは単純なデジタル思考です。彼らは大人たちの挨拶や会話は中身がなくてすべて無駄と決めつけ、父から「男が無駄口をきくな」と叱られたら一切言葉を発しなくなります。微妙な感情の機微や父の言葉の真意を理解しようとはしません。興味はテレビの相撲と野球、あと、いつでも好きに屁をこく訓練。戦後生まれの彼らには全く屈託がありません。
原口家は、熟年夫婦(きく江:杉村春子、婿養子の辰造:田中春男)+男の子1人(中学生)+きく江の母(みつ江:三好栄子、助産婦)の五人暮らし。最近電気洗濯機を買ったきく江は、婦人会会長の立場を利用して会費を横領したのではないかという噂を立てられ、会計係の民子と険悪な雰囲気に。でも母のみつ江の勘違いと判明し、なんとか取り繕います。ご近所あるあるでしょうか。それはいいとして、お互いに気の強い似たもの同士のみつ江ときく江の母子はお互いになじり合うばかりで、関係性は破綻しているようです。老人世代代表のみつ江はなにかあれば神頼み、古い因習に囚われた女性ですがまだ耄碌はしていません。怖い押し売りのおじさんも一歩も引かずに撃退し「またおいで」。どの女優もいいですが、特に三好栄子は怪演です。自分を厄介者扱いする娘に対し「どうしてあんなやつが生まれちまったもんだか、あーあ…」と画面に向かって一人嘆息しています。
大久保家は、熟年夫婦(しげ:高橋とよ、善之助:竹田法一)+男の子1人(中学生)の三人暮らし。無駄話と噂が好きなしげは余計なことばかり喋り主婦たちの間に不和をもたらします。全く悪気はないのにトラブルを巻き起こす鬱陶しいおばさん代表です。
富沢家は、熟年夫婦(汎:東野英治郎、とよ子:長岡輝子)と猫のミイコの二人と一匹暮し。定年を迎えた汎は今後の生活の不安に鬱々としており、全くモダンではない古びたおでん屋で酒をあおります。その店は時代から取り残された男たちの墓場です。もちろん敬太郎も常連です。そこだけは戦前から時がとまっているようです。もちろんテレビもカラオケもありません。
丸山家は若者夫婦(明:大泉滉、みどり:泉京子)の二人暮し。熟年夫婦の専業主婦たちはみな和装ですが、みどりは洋装で室内も洋式です。「昼間っから西洋の寝巻き着てw」「池袋のキャバレーにいたらしいわよ」と他の主婦たちから白い眼で見られています。長屋に毛の生えた様なプライバシーのないここでの生活に嫌気が差し、引っ越してしまいます。
この映画では老年、熟年、若者、子供と、世代間の断絶が描かれていますが、さいわい夫婦間の断絶はまだないようです。64年後の今、「近所」も「家族」も「夫婦」も「兄弟」も崩壊し、みんな個室に引きこもる私たちの暮らしぶりを見たら、小津監督はなんと言うでしょうか。コスパやタイパにばかりこだわる子供たち。子供を虐待してしまう親たち。確かに、「あんまり世の中便利になるとかえってあきまへんがなあ」。
微笑ましいユーモアを誘う演出の巧さにみる小津イズムの洗練されたコメディ
昭和30年代の時代と風俗が色濃く反映されて、小津監督独特の映画様式美に子供たちの微笑ましいユーモアが溢れる小市民映画。簡素ながら一戸建ての新興住宅地を舞台に、波風が立つ大人の近所付き合いとテレビを欲しがる子供の反抗期が絡み合うお話で、色んな人間模様を見せてくれます。小津監督のサイレントの名作「生まれてはみたけれど」を彷彿とさせる子役演出の巧さと、野田高悟と共作の脚本は志賀直哉の短編小説のような味わいと面白さがあって、とても楽しめました。多くの登場人物を巧みに交差させて物語を進展させる脚本は見事です。赤を際立たせた色彩のコントロールが行き届いたフィクス撮影のカメラワークも、隣の家まで見通せるカメラアングルで奥行きを出し、また様々な人物の細かい動きで変化を付けて映像のリズムを形成しています。作品的には小品ですが、充分に練られた場面構成と映画演出が成されていて素晴らしいと思いました。
この時期の日本の経済成長を象徴するのが、テレビと洗濯機と冷蔵庫の「三種の神器」であり、一般的な家庭にとっては高嶺の花の家電製品でした。(1960年時のテレビの価格を調べると、今の値段に換算してカラーテレビが280万円、白黒テレビが33万円程だったとあります)この作品が公開された前年の昭和33年は、全国の映画館数がピークを迎えた日本映画興行全盛期であり、同時に電波塔の東京タワーが竣工してテレビ放送が本格的に始動した象徴的な年でした。それでもテレビを所有している家庭が近所に一軒しかなく、相撲中継が見たくて他所の家に上がり込む子供たちの姿は、この時代ではしばしば見られたことです。大泉滉演じるそのテレビ所有者の丸山が引っ越しをするのを挟んでから、笠智衆演じる林敬太郎がテレビ購入を決意する展開の伏線の忍ばせ方も巧いです。テレビ買ってと強請る子供のストライキと、うるさい黙っていろと叱る頑固な父親の単純な親子喧嘩をストーリーにしながら、そこに父親の秘めた想いを廊下に置かれたテレビのワンショットで決着をみせる巧さは流石であり、その時代を知っている私には泣けてしまうくらいの映画演出でした。
細かく観ると指摘したい演出の巧さは数多く、書き切れないのがもどかしいです。先ずは林家の次男坊勇の島津雅彦少年の演技の可愛らしさを挙げたい。小津監督の要求に全て応えた上手さは、あくまで自然な子供の演技をして、世にいう大人顔負けの熱演ではない。そこがいい。アイラブユーを口癖にするおしゃまさ、怒りを表す両手のブロー、歳の離れた兄の実に素直に従いながら大人たちを観察する鋭さ、最後は嬉しさのあまりフラフープを上手に回す無邪気さまでと、兎に角この映画の主役級俳優の杉村春子、笠智衆、三宅邦子、佐田啓二、久我美子などの名優の大人と並んで、つまり溶け込んで邪魔せず、この楽しい家庭劇の重要な役を全うしています。脇を固める沢村貞子、東野英治郎、長岡輝子、田中春男、殿山泰司、櫻むつ子のキャスティングの適材適所の隙の無さ。またこの作品で強烈な印象を残すのは、杉村春子の母役三好栄子と、大泉滉のパートナー役泉京子の御ふたりです。対極的な女性像にそれぞれ存在感を持たせ、作品に深さと彩を与えています。泉演じる丸山みどりは、近所の主婦たちから色眼鏡で見られる昭和の女性には無いモダンさを持ち、嫉妬と羨望含め疎まれる女性の役割も、人物の対比の面白さになっています。調べると当時和製シルヴァーナ・マンガーノと謳われたとあり、納得のプロポーションと雰囲気を兼ね備えていました。
公開当時は極ありふれたお話の、いつもの小津タッチの映画として観られていたと想像します。しかし、今令和の時代から見直すと、当時の風俗や人間関係を知る資料的価値があります。勿論小津演出の美意識が最優先された映画の特質から、実際の一般人より美化された生活実態と恵まれた生活環境の小市民映画と断りを得ませんが、映画演出の見所が詰まった小津イズムを堪能するのに最適の作品でした。何より微笑ましいユーモアを誘う洗練されたコメディ映画として楽しめることが素晴らしい。映画は時代を超えて観る者を虜にします。
反抗期
昭和34年、今から64年前の小津映画、やはり人間描写では巨匠と呼ばれた所以が分かります。冷蔵庫、洗濯機、テレビが三種の神器と言われた時代、どこの家庭でもありそうなエピソードをちりばめた人情喜劇、佐田啓二(中井貴一の父)と華族出身の久我美子さんと美男美女カップルのロマンスもどこか奥ゆかしい・・。
テーマは世間話、日常会話を含めて他人ばかりか家族間でのコミュニケーションの大切さなのでしょう。簡単なようで難しいことなのが良く分かります。
噂や妬み嫉み下町のご近所付き合いの難しさのリアリティ、時代なんでしょうが異常なまでに高圧的に大人の立場を子に押し付ける躾け、小言の多さには、私でも逆らいたくなりそうです。
ただ、コメディ仕立てにあたって、定番の下ネタ、おならを持ってくるセンスは如何なものか、大衆受けを狙ったのでしょうが案外、巨匠も根は俗人の一人だったのかも知れませんね。
高度経済成長への警告? そして、カラリストとしての小津
いや~、面白いなぁ。じつに味わい深い作品です。平凡な日常を描いた、なんてことのない話に見えるけれど、よくできたストーリーです。
どこにでもあるような出来事を、ここまでエンターテインメントとして、かつ芸術性も損なわず、面白く見せる手腕はさすがだと思います。
古くさい感じは全然しない。むしろ、斬新ささえ感じる。人間というものを、また「面白み」ということをよくわかっていないと、こういう映画は撮れないでしょう(おならのギャグは、ちょっとしつこいなと思ったけれど)。そして、画面から、あたたかみと大らかさを感じました。やっぱり昭和って、いい時代だなぁ。「無駄も大事」というメッセージもよかった。というか、この、高度経済成長——なにかにつけ効率性が優先される社会——への警告であるかのようなメッセージこそ、本作で監督がいちばん伝えたかったことなのかな?
お話も面白かったけど、画面そのものを眺めていても楽しめました。冒頭のクレジットからして、なんとも味わい深い。そして舞台となった住宅は、どの家庭も質素だけれど、こざっぱりとした室内は感じが良く、「ああ、こんな家に住みたいなぁ」とちょっと羨ましい気持ちになった。また、飲み屋のポスター、子どもや学校の先生の衣服、色ちがいの引き出しが印象的なタンス(?)、格子柄のカーテン、ランプシェード……などなど、小道具が可愛らしく魅力的だった。色のきれいなものもたくさん登場し、それらが画面をカラフルに彩っていて、小津安二郎ってカラリストだったんだなぁと感心しました。カラリストといえば、この映画、画面が暖色系でまとめられたシーンが多い。だから、さっき書いたように、あたたかみを感じたということもあるのでしょうね。
さいごに、これはどうでもいいことかもしれませんが、ちょっと気になったことを。本作に登場する子どもたちの親は、下手をするとおじいさん、おばあさんに見えるくらい、みんな年齢が高いように思うのですが……。戦争の影響で婚期が遅れたのですかね。
もはや戦争の影は無くなった
小津安二郎監督の最後の作品とのこと。高度成長期に入った日本の住宅地(川崎付近?)での日常生活が描かれていた。久我美子が本当に美人、泉京子は色っぽい。額を押すとおならを出す遊びで失敗してお漏らししてしまうのが微笑ましい。また、男兄弟の弟がメチャ可愛い😍
ほのぼの
ストーリー:団地の奥様達は、今日もあれやこれや噂話が絶えない。
昭和の庶民のほのぼのとした暮らしぶりがよいのだが、ほのぼの過ぎて見続けるのはやや苦痛。
日が暮れても子供が帰宅しないのに大騒ぎしないのが不思議だしある意味新鮮。
昭和は子供の誘拐がたびたびニュースになったのだが、騒がない所が肩透かしというか、逆にニューウェーブかも。
今週の気付いた事:おばあちゃんを後半でも見たかった
無駄があるから世の中いいんじゃないかな
上の言葉はハンサム&インテリ青年役の佐田啓二の台詞です。子どもが要するに以下のことを言って何にも喋らないというストライキに入るからです。子ども曰く、こんにちは、こんにちは、いいお天気ですね、そうですね、どちらへ、ええちょっとそこまでと無駄なことばかり大人は言っている。自分(子ども)は喋り過ぎと言われるがテレビが欲しい、毎日同じものしか出てこない夕飯は嫌だと言ってるだけだ、それで黙れ!と言われたから黙ってるんだ。に対して、斜めの関係ー子どもに英語を教えてくれる青年ーの佐田啓二さんが言います。その通りだね、でも無駄があるからいいんじゃない?挨拶に情報量はないけれどそれが潤滑油になるんだよ。
一方でさわやか青年(佐田)の姉役の沢村貞子からは「でもあんたは大事なこと言えないじゃない」と言われます。子どもの叔母である久我美子のこと彼は好きなのに一言も言えてないから。駅のホームで二人(佐田と久我)がばったり会って口にするのは無駄なこと。いいお天気ですね、そうですね、いいお天気、二三日続くでしょうね、そうですね・・・。それがラストシーン。笑えてほんわかとなりました。
内容は可愛い子どもたちと無駄話や噂話をするわりに大事な話ができない大人たちの対比を楽しむ映画です。子どもの世界に大人が降りていって先回りしたりご機嫌とりしないのも良かった。子どもは子ども、大人の話に入るんじゃありません!(子どもの頃、親に何度言われたことか!)キャストがあまりに豪華で目が眩みます。椿山荘、黒門町、西銀座・・・東京を感じました。
映像はザ・小津です。格子柄はこれでもかーと言うほどの氾濫状態にも関わらず全くうるさくない。映画では緑色のホーローのやかんが大きな役割を担いますが差し色の王様はやはり赤❗️子どものセーター、座布団、靴下、スリッパ、はたき、カレンダー、毛布、革ジャン、味の素や醤油差しの蓋、七味入れ、ヱスビーのカレー粉の缶、フラフープ、消火器、ホーローの鍋とやかん、湯飲み、とっくり、じょうろ、洗濯ロープに掛かってるタオルやセーター、スキー板、そして待望のテレビが入っている段ボールには赤いN(今だったらパナソニックのP?)。王様だけれど身の程をわきまえている赤。互いに補完する関係なので台所もお家の中も物が少なく質素でとても綺麗!
小津監督は話の内容より映像に命をかけた人なのかなあと思う程です。画面の切り取り方が凄い。最初は無機質な鉄塔から始まる。長屋的文化住宅の屋根に囲まれて画面の真ん中上に土手が映る。そこを子どもたちが行っては消え戻ってまた映る。でも構図は絶対に変えない。構図とかカメラのポジションとか差し色や格子柄の偏執狂みたいだ。でも楽しかった。子どもが何よりかわいかった。小津安二郎?娘を嫁にやる話ばかりの人ね、とこれからは言わないことにします!
おまけ
佐田啓二にクラクラしました。寒い冬の中、子どもを探しに外に出る彼。寒いから暖かくして、と言われ何を着るんだろう?もうセーターは着てる。ベージュのセーターを手にした!セーターの重ね着?いえいえ、そのセーターは両肩に掛けただけ、そして暖かそうな上等なコートを羽織り、首にマフラー!お洒落過ぎて卒倒しそうでした。1959年(昭和34年)にこんなに素敵に洋服を着こなす人、指示する監督が居たことに驚嘆します。そのセンスは一体どこから来たんだろう?
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久我美子さん、2024年6月9日お亡くなりになりました。没年93歳。ご冥福をお祈りいたします
テレビが珍しかった時代・・・懐かしい(ウソ)
テレビを持ってる近所の家に遊びに行く兄弟。英語を勉強している姿も面白い。コメディらしく効果音まで入れてある。高度経済成長期らしく、三種の神器がしきりに登場する。しかし、「テレビは一億総白痴化」なる言葉をもう使っている・・・
子どもたちはTVを買ってほしいがためにハンストを。誰とも口を聞かなくなったため、近所の大人達にも影響が出てくる。子ども目線だけの映画かと思っていたら、しっかり大人側の定年退職の問題などが盛り込まれていた。「おはよう」といった何でもない会話、大事にしたい。
なんで「お早う」じゃないの?
2021年2月6日
映画 #お早よう (1959年)鑑賞
#小津安二郎 監督が #紫綬褒章 と #日本芸術院賞 を受賞した後に撮った映画
何気ない日常を描いた作品
挨拶は潤滑油!
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