劇場公開日 1976年7月24日

「岡田嘉子の台詞が注目の名シーンです」男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0岡田嘉子の台詞が注目の名シーンです

2020年5月26日
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鑑賞方法:DVD/BD

シリーズ絶頂期の名作
脂が乗ってるってのはこのこと
冒頭の夢は前年大ヒット洋画のJAWSのパロディだけど短め

本作の目玉はなんと言っても、岡田嘉子が出演していること
ちょいと数分の会話のシーンと、車がすぐ脇を通り過ぎる時に車窓越しに見かけた姿、遠目で手を振る姿、後ろ姿で走り去る車を見送る姿のシーンの2回だけの登場ですが、彼女の正体を知らない人でもただ者ではないぞ!この老婦人!というオーラを放っています

この女性、実は戦前の大スターで舞台に映画にと大活躍したひと
なんと人気の絶頂期に不倫関係の演出家の男性と手に手をとって旧ソ連に樺太から吹雪のなかを国境を越えて亡命したひと
彼女36歳、第二次世界大戦がはじまる前夜1938年1月のことです
その4年前の1934年昭和9年の大ヒット曲「国境の街」を地で行く驚愕のスキャンダルです
♪橇の鈴さえ寂しく響く~のあの名曲です

ところが亡命後の運命はどうであったか?
すぐさまスパイとして二人はソ連当局に逮捕され、拷問の末に嘘の自白を強要させられて、それがもとで彼は共産主義者で日本共産党の密命を帯びての亡命であったにも関わらず銃殺に処されます
彼女は3年間収容所に入れられた後、KGBの前身のスパイ機関の監獄に5年入れられ、戦後の1947年にようやく釈放されます
第二次大戦の戦中と戦後処理の期間まるまるですから、何らかの対日工作のスパイ活動に従事させられていたのかも知れません
その後も帰国できず、モスクワ放送のアナウンサーとしてソ連に留まります
48歳の1950年、モスクワで結婚します
お相手は、一兵卒として敗戦を迎えシベリア抑留の末、バロフスクでアナウンサーをしていた戦前の映画俳優です
彼は11歳年下で、彼女の子供役の子役として出演したこともあった旧知の間であったそうです
結局、その彼も1971年に病死、翌年70歳の1972年にその遺骨を抱いて帰国します
本作の出演はその4年後の事、74歳の姿なのです

その彼女に山田洋次監督はこんな台詞を話させます
人生に後悔はつきものじゃないかしらってと言わせるのです

ああすりゃよかったなあという後悔と、
もう一つは、どうしてあんなことをしてしまったんだろうという後悔

この女性の運命を知っているといないとでは、この台詞の強烈な破壊力は存分に伝わらないかと思います
それが池ノ内青観大先生と彼女の演じる志乃という女性との若い日の運命の選択が残した強烈な傷跡を雄弁に語るという仕掛けなのです

そしてそれが、静観が何故不幸な結婚生活を長年耐えているのか、寅さんに出会った時、何故飲んで放浪していたのかの説明にまでなっています
志乃が今も住む故郷の龍野旅行が決まって、どうすべきか苦しんでいたのです

申し訳ない、僕はあなたの人生に責任がある
僕は後悔しているんだ

そう彼はその台詞の前に彼女にこう言います
普通に考えると彼のした選択を謝っているように聞こえます

しかし、それに彼女はどないして?と聞き返します
岡田嘉子の運命が、何故聞き返したのかをこのように考えてさせてしまうのです

彼がした選択ではなかったのでは無かったのかと

志乃がした選択を彼が阻止する勇気が無かったことを静観は謝っていたのだと思わせるのです

じやあ、仮にですよ、あなたがもう一つの生き方をなすとったらちっとも後悔しないですんだと言い切れますか?

志乃のこの台詞は、先の二つの後悔のことのうちの、ああすりゃ良かったなあのことであり、静観の後悔の事を言っているのでは無いでしょうか?

つまり、どうしてあんなことをしてしまったんだろうは志乃自身の後悔だったのだと

岡田嘉子自身の強烈な運命がこの会話と激しく共振して、そんなことまで連想をさせるのです

結局彼女は10年後の84歳の1986年にソ連に戻ります
1992年89歳でモスクワで亡くなったそうです

その日本帰国の10年の間、彼女は結構女優としての仕事を日本で残しています
冷戦期間中の帰国と女優活動、ゴルバチョフの登場と共にソ連への帰国は、その日本帰国後の10年間も実のところソ連情報機関に操られていた活動であったのかもと邪推すると一層悲しい運命です

そんなことはさておき
寅さん、洒落で所帯を持とうとボタンと意気投合しますが、もちろんこれはノリ
終盤にまた所帯を持とうと言ったじゃねえかと彼女を再訪するのは、実のところ200万円の事もあり、行き掛かり上捨て置けずに言葉通り責任果たすつもりだったようです
これが実は静観の僕はあなたの人生に責任があるとの言葉に繋がってもいたのです

でも結局のところ、彼女を好いてはいても、義務感のようなものです
本当に心から愛したのはリリーさんだけのようです

あき240