お茶漬の味のレビュー・感想・評価
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「上っ面の空気感」と登場人物の造形が素晴らしい。
○作品全体
お見合い結婚をした夫婦の温度感というのはわからないけど、なんとなく漂う「上っ面の関係」の空気感が画面から溢れてくる。互いに互いを踏み込めないまま時間を過ごしてしまって、夫・茂吉が望む「遠慮や気兼ねない気やすさ」を持った関係が作れない。この状況を二人のぎこちなさだけに委ねるのでなく、それぞれがいない場所で本音をこぼし、それが対比的に「上っ面の空気」を醸成させている。本音をこぼす二人の言葉や態度は70年経った2022年でも色褪せないもので、「上っ面の空気」の鮮度の良さが面白かった。
ただ、終盤に打ち解けあう展開は理想的すぎて少しファンタジー。互いに居心地の良さを感じてる部分もあったな、というのが時間や距離を空けると見えてくるのは同意しかない。ただ、個人的には、妻・妙子はお茶漬けを食べるのでなく、お茶漬けが食べたい茂吉を認めて、妙子は妙子の食べたいものを食べる、というラストの方がしっくりきたな、と感じた。妙子が茂吉に寄せる、というよりも、互いが互いを尊重して、その上で赤裸々に付き合えているんだ、というようなラストが欲しかった気がする。神戸へ帰っていたことを謝る妙子に「別に良いよ。君らしいよ」と口にする茂吉の言葉は嘘ではないと思うので、このラストだとこの言葉の行き先がなくなってしまったみたいに感じる。
物語としてもすごく面白かったけれど、なによりグッときたのが茂吉というキャラクターと、演じる佐分利信の穏やかな演技。
一見、妙子の全てを包んでくれるような、いわば「理想的な夫」。でも茂吉も人間だからその表情でいるのにも疲れてしまうのだと思う。そのほころびがパチンコを通して「幸福な孤独感」を語る茂吉に出ていた。
「大勢の中にいながら、簡単に自分ひとりきりになれる。そこにあるものは自分と玉だけだ。純粋の孤独感だよ。そこに魅力があるんだな。幸福な孤独感だ。」
社会人として、夫として立派に振る舞わなければいけない茂吉にとって、孤独になる時間はすごく少ない。ただ、この「幸福な孤独感」を語る茂吉から、身軽だった頃の茂吉の姿が見えてくる。そしてその頃の幸福への回顧と羨望が見え隠れする。この茂吉のセリフには等身大の茂吉の姿があって、それがとても良い。
戦友と会って話す戦時中のシンガポールの思い出もそうだ。茂吉が思い出し、懐かしさに笑みを浮かべるのは「シンガポールの綺麗な夜空」であって、人との思い出ではない。そこにも茂吉にとっての「自分と夜空だけ」という「幸福な孤独感」があったのだろう。そう思わせてくれるだけで、登場人物が活き活きとして見えてくる。
ポロッと溢すように出てきた「嫌というものを結婚させたって、君と僕のような夫婦がもう一組できるだけじゃないか」というセリフも素晴らしい。茂吉の中で溜まりに溜まった感情なんだろうけど、節子もいる手前「社会人・茂吉」でなければならないから、ぶちまけるようには言葉を吐かない。そんな茂吉の気持ちが感じ取れる芝居で、これが本当に素晴らしかった。
○カメラワークとか
・カメラが動くカットはすごく少ない。導入部分で動かすのかな、と思ったけど、不協和音が前に出るようなシーン頭で動かしているようにも見えた。
・終盤で妙子と節子が話すカットは切り返しで見せる。ここの妙子ののろけ(?)セリフは観客に向けて話しているようにも見えて面白い。観客は「ようやく気づいたのかよ!」と突っ込みたくなるけど、次のカットで節子がおんなじように思っているような笑いを見せてるのが面白い。
○その他
・Wikipediaとかを読むと小津安二郎は女の気づかない男の魅力を見せるつもりで作ったけれど、しっくりこなかったらしい。確かに、この作品を見ているとその魅力でなく信頼関係にある夫婦の魅力が勝ってしまっているなあ。
・今も昔も若い男の遊び方が変わってなくて笑った。パチンコやって賭け事やって、締めにラーメン食べて帰るっていう。まるっきりおんなじことを数年前にやってたなあ。
・「カロリー軒」の看板のレトロお洒落感と「甘辛人生教室」の語呂の良さが印象に残った。
お茶漬けの味のような映画
【生誕100年記念】映画女優 淡島千景特集で鑑賞(フィルム上映)。
とても面白かった。
ユーモアがあり、健康的で、おおらかで、チャーミングな映画。そして、淡島千景さんもとても素敵だった(傷だらけのフィルムだし、すごいノイズでセリフが聴きとりにくいところがいくつもあったのは残念だったけれど)。
いつものごとく、本当になんてことのない話を名作にしちゃうんだから、さすが小津監督、すごいなぁ。
なにも特別な話でなくてもいい。映画って、これでいいのだ、じゅうぶんなのだと思ってしまう。
夫婦関係の妙を、生涯独身で通した小津が描く。いや、独身だったからこそ、冷静にそれが描けたのかもしれないな。
さらにいえば、ストーリーを描くのではなく、人間を描くこと。要は人間をしっかりと描くこと。
逆をいうと、人間を描けていない映画はストーリーがどんなに面白くてもダメなのかもしれないな。
腹が減ったときに食うメシは、御馳走でなくても美味い。
この映画じたいが、日常のささやかなしあわせを感じながら食べる、そんなお茶漬けのよう味わいの作品でした。
それにしても茂吉のように、ものわかりの良い、鷹揚なダンナさんも滅多にいないでしょうね。
追記
なんで「ALLTIME BEST」に選ばれてないのかな?
物語類型的には「雪の女王」に似た話
最後まで観るとなぜ『お茶漬けの味』なのか明確に分かる。これだけ直截的なタイトルの付け方は小津映画としては珍しい。タイトルから「ああ、あの映画ね」と直結できるのはこれと『東京物語』『長屋紳士録』『小早川家の秋』くらいか。(そんなことはない)
主人公は長野から出て理系で機械メーカーの機械部長をしている夫と、少女趣味が抜けず旧友と宝塚の歌を歌ったり、自室を洋室にしている(小津映画で洋室はとても珍しい)妻。
自宅でお手伝い二人が家事を担う裕福な家庭だが、子供はいない。どうやら妻は夫の少し野卑な行動に我慢ならず、夫はそんな妻とぶつからないように距離をとっている。
その関係を象徴するような出来事。夫が先に夕飯を摂っているときに迂闊に汁掛け飯で食べてしまい、それを妻が見て「犬のような食べ方は止しなさい」とたしなめられる。夫は埼玉出身のお手伝いに「君のところではこうして食べないかい?」と聞く。まあ、食べるのだ。かつての日本の民衆は、ご飯(場合によっては冷や飯)と味噌汁と香の物が関の山で、そりゃ汁掛け飯にでもしなければ……。しかし、妻の出自はそうではない。それはこの夫婦は心が通っていないことを象徴的に表現している。
つまり、この妻は心を閉ざした「雪の女王」なのだ。もちろん妻ひとりが原因でそうなったわけではないのだが、そのような状況にあることを様々なエピソードを紡いで観客に印象付ける。そのエピソードがいちいち面白い。
妻の心がどのように解放されるのかは、本編を観てほしい。解放された彼女を他の登場人物は受け入れ、また他にも影響を与える。まさに「雪の女王」。
家事をお手伝いに任せているので、お茶漬けを食べるにも何がどこにあるのやら分からない始末。それを夫婦で協力して準備していく様子がほのぼのと描かれていく。しかもちゃんとお茶漬けを夫婦で食べる!(小津は家族を描くことは多いが、法事や宴席以外で食事を摂るシーンはあまりない)
そうそう、人物を対象とした移動撮影はなくはないが、この映画では人物のいない室内を前進移動する印象的なカットが何度かある(ズームかもしないが、たぶん移動撮影)。これがなぜか登場人物の心の空白を表現しているように感じる。
小津は当時の世相を積極的に取り入れており、この映画でも(他の作品でもたびたび出てくる)野球、パチンコ、競輪、ラーメンなど、ちゃんとストーリーに絡めて登場する。夫が乗る飛行機が「PAA」でこれはPan American World Airwaysの略。Pan Namではないのだ。知らなかった。
永谷園がスポンサー?冗談!
2022年12月20日
映画 #お茶漬の味 (1952年)鑑賞
生まれも育ちも価値観も異なる夫婦が、そのギャップに悩みつつ、和解する
野球、パチンコ、とんかつ、ラーメンなど昭和20年代当時の最新風俗が満載
お茶漬って下品な食べ方なんだ!
「南京虫を英語でなんと言うか知ってるか?」「えっと・・・ピーナッツ」
「南京虫を英語でなんと言うか知ってるか?」「えっと・・・ピーナッツ」 食べるシーンも多かったけど、パチンコのシーンなどギャンブルにもかなりウンチクを描く。
節子(津島恵子)は見合い結婚について疑問を持っていたため、妙子までも感化されて夫との結婚生活に疑問を持ってしまう。現代では即離婚という安易な考えにもなるのだろうけど、この時代はもっと深刻だ。会社の部長職である夫は浮気をしても、妙子は見過ごしてしまう。どことなく昼行灯と呼ばれた大石蔵之助のイメージも漂う。節ちゃんにも「どんかんさん」と呼ばれてましたもんね。
戦時中に検閲をパスしなかったという脚本らしいですけど、台詞としては「戦争は嫌いだ」「もうしたくない」というシーンがありました。
やはりお茶漬けを食べたくなった・・・
兎と亀や浦島太郎のようなおとぎ話
なかなかに身につまされた方も多いのではないでしょうか?
夫婦も長くやってますとあるあるネタのオンパレードかと思います
恋愛結婚でも見合い結婚でも同じです
ホテルのランチブッフエは言うに及ばず、やれイタリアン、やれフレンチだ、お昼時のおしゃれなレストランはマダムの皆さんでどこも一杯です
観光地にはマダムのグループも良く見かけます
現代では本作のように遊びまわっているマダムの姿はもはや上流の奥様方だけの世界ではなくて一般的なことです
それも亭主の甲斐性のうち
まあそう割り切らないと夫婦なんて持ちゃしません
クライマックスのお茶漬けシーンで夫人の変化を性急気味に監督が描いているのも、いまならその意味が分かります
自分もそれなりの歳になったからこそ、本当の意味合いが分かるようになりました
若い時には読み解けなかったです
つまり、おとぎ話のような美しいファンタジーなのです
それを描いているのです
だから、兎と亀とか、浦島太郎とか引き合いにするのです
めでたし、めでたし
こういうことだったのです
節子と初々しい鶴田浩二が演じているノン君は、ラストシーンでこれから恋を育んでいくようです
パチンコ屋、ラーメン屋、果ては競輪まで
二人は価値観をすりあわせているようです
それが見合いより恋愛結婚が優れているように思えるかもしれません
ノン君は夫人の請け売りのような都合の良いことをいいます
でもそんなことじゃあないんです
男と女の価値観の違いなのです
育ちによる価値観の差違なんて小さいことなのです
お茶漬けをするかしないかという価値観ではなく、素のままのだらしのない本当の自分の姿を互いにさらけ出しあっても、それでもなお二人で暮らしていけるのか?
それを許せるのか、許せないのかという価値観なのです
それを語るラストシーンだったと思いました
若い二人には、まだまだ難しいようです
男女の永遠の課題なのです
緑茶と米の相性
白米に緑茶をぶっかけただけでは正直微妙だと思うのですが、ぬか漬けなどの塩気があれば美味くなります。夫婦の間柄を上手くとり持つ「ぬか漬け」は、子供の存在だったり、思いやりだったりで、「intimateな primitiveな、遠慮や体裁のない、もっと楽な気安さ」の先にある夫婦のあり方はお茶漬けの味なのだと。
いずれ冷める恋愛感情やそれまで培ってきた価値観よりも、相手をよく知ることが大切であって、お見合い結婚だろうとそこは変わらないと。当たり前と言えば当たり前で、結婚に限ったことでもないです。よく知った結果上手くいかない関係もあるでしょうし。肝は適当な「ぬか漬け」が見つかるかどうかです。
子供のいない妙子は、住み込みのお手伝いも居て、裕福な実家から送金もあって、夫の茂吉は飲む打つ買うから程遠く、真面目で勤勉で寛大で優しい。友人と温泉旅行やら野球観戦やら遊び放題。一体何が不満なんだ?!茂吉の食事の行儀は悪いにしても、そこまで怒ることでもないだろうにと思いました。お見合いから逃げまくる節子の子供っぽさと大して変わらないです。
会社の社長を大川君呼ばわりする義父(妙子の父)は、恐らくかつての重役なのでしょう。茂吉が妙子に頭が上がらないのも理解できます。かと言って何か他のことで鬱憤を晴らす人でもないので、我儘な妙子にはぴったりなのです。義父も娘にはこれくらい寛大な男でないと無理だろうと分かっていて、お見合い相手として選択したなら大正解ですね。
若者よギャンブルなんか程々にしろ、女房は我慢しろ、旦那の甲羅干しだけ見てるんじゃない(^^)、など言いたいことは分かりやすいです。
「東京暮色」では親子の関係をprimitiveと表していましたね。
小津作品を観ると、当時の東京の空の広さに驚きます。最初と最後がまるでヨーロッパのような景色。
笠智衆はどの作品でも同じような人物(というかいつも同じような性格の役)に見えたのですが、本作ではパチンコ屋の主人という意外な役で、無精髭を生やし別人でした!
佐分利信の渋くて超優しい旦那様ぶりをたっぷり観れて満足でした。君はそのままでいいと言ったり、着物の袂を濡れないように持っていてくれたり、慣れない包丁を心配してくれたり…(*゚∀゚*)。
所で “The Flavor of Green Tea over Rice”って…
絶対想像付かない(^_^;)。
日本人の美的センス
115分があっという間に感じた。
最初から最後まで美しい。
美しい女優さん、美しい言葉遣い、美しい音楽、
間、雰囲気。
古き良き日本の美学もありながら、
古き良きフランス映画を観ているような錯覚に陥る。
67年経った今でも感じることの出来る夫婦の愛、日常。
お茶漬けの味という映画タイトルは秀逸である。
勿論、タイトルだけではない映画ならではの芸術。
どうして?
あれだけ冷めた夫婦が、あんなに簡単にうちとけるものかなあ。ちょっと解せない。それまでのスピードと余りに違う展開の早さにとまどう。
それはそうとして、若い頃の昭和の大スター見てるだけでも楽しめる。笠智衆も良い役で出ていたし。若き鶴田浩二と淡島千景は素敵だった。でも、やっぱり木暮美千代にはかなわないかな。
テンポのいい会話とカメラ。小津監督の世界。引き込まれる。
☆☆☆★★★ 「これだ!これだよ!このお茶漬けこそ夫婦の味なんだよ...
☆☆☆★★★
「これだ!これだよ!このお茶漬けこそ夫婦の味なんだよ!」
延々と描かれる冷めきった中年夫婦の様子。
底意地の悪さを最大限に発揮する妻。
そんな様子を眺めていても、なかなか「面白い!」…等とは感じる訳も無く、ただただ時間だけが過ぎて行く。
ところが…。
夫婦2人でお茶漬けを食べるまでの場面が、懇切丁寧に描かれるに及び。これまでの此方の思いを180度ガラッと瞬間的に変えさせてしまう、この小津安二郎の恐ろしさたるや(-_-;)
それにしても、木暮実千代の冷たい目線と意地の悪さは凄い!
勿論それこそが。最後に2人でお茶漬けを食べさせる為の、長〜い長〜い前フリでは有るのだけれど…。
尤も、底意地の悪さだったら小津の独壇場なのかもしれない。
小津の助監督を勤めていた今村昌平には、悪気は無かったのかも知れないとは言え。「君は何でウジ虫ばかり好んで描くんだ。もっとまともな人間を描きなさい!」…と言ったらしいし。笠智衆に対して、「あなたの演技よりも、茶碗の位置の方が大事なんです!」と言い放った…等。
そんな事を考えながら観ていると、如何にも小津らしいなあ〜と言える作品ですね〜(´-`)
…と、此処でハッと思い付いた事が。
夫婦2人での卓袱台を囲んだ食事シーンとして、真っ先に思い出すのは、何と言っても成瀬巳喜男の『めし』。
年間ベスト1を獲得する等。夫婦の冷え始めた関係を、食卓を使い表現し名作としての評価は高い。(外国映画だと、『市民ケーン』の食卓シーン等が有名)
その成瀬巳喜男の『めし』は1951年ならば、本作品の『お茶漬けの味』は翌年の1952年に撮られているのが…。
これをどう見たら良いのだろう(¬_¬)
ひょっとして、今村昌平に言った様に(今村は言ってみたら弟子にあたる間柄でも有るので、ついつい本音で言ってしまった感も在るけれど…)
まさか「成瀬くん、こんなのはどうだい?」…とでも?(-_-;)
初見 並木座
2019年4月25日 シネマブルースタジオ
いや〜これはもう木暮実千代の怪演に尽きる。なんとセレビーな嫌な女。...
いや〜これはもう木暮実千代の怪演に尽きる。なんとセレビーな嫌な女。優しさのかたまりのような旦那を「鈍感さん」などと呼ぶ始末。
旦那、ガンバレ!こうなりゃお手伝いと出来てしまうとかだな(笑)
見合いを渋る姪っ子をかばう旦那の唯一しかし強烈な反撃、「君と僕みたいな夫婦がもう一組出来るだけじゃないか」
わおー怖い、怖すぎる。さてこの夫婦の顛末や如何に。
見合いから恋愛へと結婚観が移行していた頃か?最近また見合いの良さも見直されているような気もします。
お茶漬け、日本人の味ですよね。にしてもそんな大事なことをペラペラと友達に喋るかね。最後まで木暮実千代の怪演は続くのであった(笑)
・また子どもの結婚話かなーと思ったら夫婦のことで、なんだかほほえま...
・また子どもの結婚話かなーと思ったら夫婦のことで、なんだかほほえましかった
・ぬぼーっとしてるような旦那さんがよかった
・なかなかお茶漬け出てこない
理想を捨てて現実を見る話
語り継がれる大傑作ではないですが、とても面白い映画でした。
上流階級出身の妻と庶民出身の夫のすれ違いと和解をユーモラスに描いた作品です。倦怠期や価値観の相違など切り口はたくさんありそうですが、個人的には主人公の妻・妙子が固執していた理想を捨てて現実を受け入れていく話だと感じました。
妙子は見合い結婚で結ばれた夫を鈍感と見下しており、家のレイアウトを見ても、自分の世界を頑なに守っています。倦怠期というよりも初めからつながっていない夫婦だと思います。
姪っ子のせっちゃんは見合い結婚を拒絶しており、そんなせっちゃんに対して妙子は辛く当たります。そこには明らかに羨望と怒りが含まれています。自分はつまらない思いで生きているのに、この子は自由っぽいから許せない、そんな気持ちがだだ漏れています。
妙子は自分のファンタジーの中でしか生きていません。他者がいないのです。彼女にとって夫は愚鈍で醜いオブジェ、といったところでしょう。
本作も小津ちゃんらしく演出が絶妙で、特に夫・茂吉についての描写には痺れました。
序盤は確かに愚鈍っぽい印象を与えます。なので、妙子の苛立ちはさもありなん、と感じたものです。
しかし、物語が進むにつれ、茂吉の魅力が伝わってきます。この男、じつはかなり優しく包容力がありました。それと反するように、妙子の一人相撲っぷりが際立つようになります。これをサラリと描くところが小津ちゃんの凄みだと感じました。
クライマックスのお茶漬けシーンも素晴らしく、妙子の変容も説明だけでなく表情がガラリと変わるなど、説得力がありました。
ただ、妙子の変容に至るプロセスは若干早急な気も。また、これを成長と呼べるのかどうかはなんとも言えないところです。寂しい思いをしているときに夫が戻り感動、みたいな単純なものであり、喉元すぎれば夫はまた愚鈍なオブジェに戻るんじゃねぇか、なんて邪知します。「あの人、いいと思ってたけど、やっぱり鈍感よ!」とか、淡島千景にグチる姿が目に浮かびます。
あと、あのキメ台詞がどうも肌に合わない。終盤の展開はそれまでのスムーズさが見られないため、変形智衆エンドだと感じます。あのキメ台詞はいかにも笠智衆が言いそうです。茂吉のイントネーションもちょっと智衆っぽかったぞ。
(智衆エンド…小津作品のラストで笠智衆が良さげな台詞を言って締めるパターンのこと。良いこと言うので丸く収まる気がしますが、意外とまとめ切れないストーリーを強引に丸め込む荒業の側面もある。晩春・早春が代表例)
ひとつひとつ玉を入れていくパチンコ、野球場の呼び出しや電報での連絡...
ひとつひとつ玉を入れていくパチンコ、野球場の呼び出しや電報での連絡等々、今では考えられない古臭さが返って新鮮だった。女のお喋りだけは今も昔も変わらないと実感。すれ違い夫婦が最後にさりげなく心を通わせる台詞が温かかった。
台詞と映像がぴったり
妻(木暮実千代)は都会の上流階級出身、夫(佐分利信)は田舎出身、見合い結婚だったが妻は夫の何もかもが気に入らない。
夫はまるで相手にしてくれないので、友達と遊んで憂さ晴らししていた。
考え違いしているのでは、と忠告してくれる友人(淡島千景)もあきれ顔。
戦争で生き残った男たち、男なしでも生きていけることを知った女たち、そんな時代の夫婦像は?
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初めて小津安二郎を観ましたがこんなに面白いとは。
冒頭の東京や銀座の風景、女同士の会話で引き込まれた。女同士の会話はいまの女性から観ても上手いと思う。
あんなに大人しくて怒鳴らない、それでいて商社の部長で勉強熱心、目白に一軒家、女中2人、夢のような夫。
お茶漬けが食べたいと座って待っているのではなく、一緒に用意して、ごはんも自然によそってくれてたのには驚いた。当時こんなことする人いないでしょ!自然にそういう演出するのがすごい。
廊下や無人の部屋、鉄橋などのシーンが独特で、これは確かに海外の監督などに印象深いだろうなと思った。廊下イイよね!と仲間を見つけた気持ち。
それにしても機械部の部長はウルグアイに何しに行くのだろう?社長も部長も暇そうで羨ましい。
パチンコ、野球観戦、飛行機の見送り、ラーメンなどの風俗描写も楽しい。
戦友や戦争で死んだ兄などさりげなく盛り込まれる戦争の記憶がかえって生々しく感じた。
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