遠雷のレビュー・感想・評価
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「ぺろり」
宇都宮の団地のそばで、ビニールハウスでトマト栽培をする満夫。団地の女カエデと親密になるも、見合いで知り合ったあや子を気に入る。満夫の父は、売った土地のお金でバーの女チイと同棲、兄は東京にいた。満夫の親友広次は、カエデと親密になり。
田舎の青年の鬱屈した様子に共感できます。女をつくって家を出た父が帰ってくると、母は憎んだり追い出したりしないで喜んで迎える様子が面白い。「わたしの青い鳥」を歌う満夫の涙が沁みます。
石田えりがかわいい上に。
幸せの物差しって何だろうか?
土にしがみつくことでしか生きて(活きて)ゆけない若者の彷徨を画いています。
迫りくる都市化の波に飲み込まれまいと足掻く姿はいつの時代にもある風景ですが、妙に熱量を感じます。
特筆すべきはジョニー大倉のモノローグシーン
これは映画史に残る名シーンです。
地方農村に生きる青年の想いが伝わる日本映画
トマト作りに賭ける地方農村の若者の現代的な生き方を描いた日本映画の力作。根岸吉太郎の演出は良いが、主人公の友人が人妻と駆け落ちする脚本が定石すぎて先が読めてしまい、詰まらなく感じた。題材と演出と主演二人の演技を観る映画。永島敏行は、「サード」「帰らざる日々」と比べると役者として自信をもってやっている様に見えて、安定感がある。
1982年 5月11日 銀座文化2
ようこそここへ
団地と農村との垣根で、トマト栽培を営む自然体の若者を見事に演じた永島敏行にまず拍手。
石田えりも怖いものなしって感じでよかった。
秀逸はジョニー大倉のモノローグシーン。殺人に至るまでの経緯を、ちょうどいい緊迫感で長台詞を語りきった。
井上氏の音楽もよかったが、「わたしの青い鳥」を歌っているときの永島敏行の感情表現も秀逸。
ポスト団塊世代の青春がここに描かれている
ポスト団塊世代の青春がここに描かれている
おそらくこの世代の青春の在り方をテーマに据えた映画は本作は最初だろう
政治の話は一切ない
関心が全く無いわけでは無いだろう
父親が選挙応援する候補者のポスターを破いたり選挙運動に冷たい視線を向けるのは、父親への反発だけではないだろう
雷はかっての世の中の政治的な情熱を表現したものだろう
しかしそれは近くで大きくは鳴らない、まして落雷などしないのだ
遠くで雷がゴロゴロと鳴る音が聞こえることはある、遠くの雲の向こうで稲光がピカピカとかすかに光ることもある
それだけのことだ
自分達は日々の仕事をするのみと達観しているのだ
トマトの市況が悪いことも、病気で作物が枯れても社会や体制やそんなものの責任にはしない
仕方ないのだ、自分で背負うしかないのだ
文字通り地に足をつけて地道に働くのみなのだ
だ
親の世代、兄の世代のように好き勝手に家を飛び出すことはできない
彼らが放り投げたことやり散らかしたことを片付けて、なんとかやりくりして、辻褄を合わせて生きていかねばならない世代なのだ
ボケ始めた祖母、無神経な母を誰が面倒見てくれるというのか
他に誰がやってくれるというのだ
それが満夫の父親への視線であり、兄を見る視線なのだ
そういった世代の物語だ
その中でも青春はあり事件もある
こうして世の中は日々過ぎて行くのだ
前の世代達が作って放り投げた世の中の歪みも矛盾も全て受け止めて、満夫とあや子はそれなりに身の丈で生きていくのだ
だから満夫は青い鳥を大きな声で涙をこらえて最後まで歌うのだ
彼だって幸せを自分なりに探し求めてみたいのだ
21世紀に繋がる青春の在り方は、ここから今も続いている
基本的にはなにも変わっていないのだ
いや、さらに下の世代には子供部屋おじさんの世代が生まれている
21世紀に映画にすべき青春は彼らの物語のはずだ
永島敏行は正にポスト団塊世代だ
その虚無感が見事に映像に写し撮れている
ジョニー大倉は実年齢は団塊の世代に近いが、見事な演技力で存在感があった
そして森本レオの役作りが秀逸だ
団塊の世代の身勝手さを一目でわかるように表現した説得力ある髪型と口髭だった
ケーシー高峰の無責任感溢れる演技も良かった
また井上尭之の音楽は大変に素晴らしい
21世紀の今日でも全く古さを感じない印象的なものだ
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