劇場公開日 1981年10月24日

「ポスト団塊世代の青春がここに描かれている」遠雷 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0ポスト団塊世代の青春がここに描かれている

2019年10月1日
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鑑賞方法:DVD/BD

ポスト団塊世代の青春がここに描かれている
おそらくこの世代の青春の在り方をテーマに据えた映画は本作は最初だろう

政治の話は一切ない
関心が全く無いわけでは無いだろう
父親が選挙応援する候補者のポスターを破いたり選挙運動に冷たい視線を向けるのは、父親への反発だけではないだろう
雷はかっての世の中の政治的な情熱を表現したものだろう
しかしそれは近くで大きくは鳴らない、まして落雷などしないのだ
遠くで雷がゴロゴロと鳴る音が聞こえることはある、遠くの雲の向こうで稲光がピカピカとかすかに光ることもある
それだけのことだ
自分達は日々の仕事をするのみと達観しているのだ

トマトの市況が悪いことも、病気で作物が枯れても社会や体制やそんなものの責任にはしない
仕方ないのだ、自分で背負うしかないのだ
文字通り地に足をつけて地道に働くのみなのだ


親の世代、兄の世代のように好き勝手に家を飛び出すことはできない
彼らが放り投げたことやり散らかしたことを片付けて、なんとかやりくりして、辻褄を合わせて生きていかねばならない世代なのだ
ボケ始めた祖母、無神経な母を誰が面倒見てくれるというのか
他に誰がやってくれるというのだ
それが満夫の父親への視線であり、兄を見る視線なのだ
そういった世代の物語だ

その中でも青春はあり事件もある
こうして世の中は日々過ぎて行くのだ
前の世代達が作って放り投げた世の中の歪みも矛盾も全て受け止めて、満夫とあや子はそれなりに身の丈で生きていくのだ
だから満夫は青い鳥を大きな声で涙をこらえて最後まで歌うのだ
彼だって幸せを自分なりに探し求めてみたいのだ

21世紀に繋がる青春の在り方は、ここから今も続いている
基本的にはなにも変わっていないのだ

いや、さらに下の世代には子供部屋おじさんの世代が生まれている
21世紀に映画にすべき青春は彼らの物語のはずだ

永島敏行は正にポスト団塊世代だ
その虚無感が見事に映像に写し撮れている
ジョニー大倉は実年齢は団塊の世代に近いが、見事な演技力で存在感があった
そして森本レオの役作りが秀逸だ
団塊の世代の身勝手さを一目でわかるように表現した説得力ある髪型と口髭だった
ケーシー高峰の無責任感溢れる演技も良かった

また井上尭之の音楽は大変に素晴らしい
21世紀の今日でも全く古さを感じない印象的なものだ

あき240