「死んだ戦友に対してうしろめたい気持ちがあります」硫黄島(1959) たーちゃんさんの映画レビュー(感想・評価)
死んだ戦友に対してうしろめたい気持ちがあります
硫黄島という島は、非常に特殊な場所です。1968年に日本へ施政権が返還され、日本の領土となりましたが、火山活動が活発であることやインフラ整備が不十分なことから、現在でも気軽に訪れることができない土地となっています。原則として自衛隊以外の立ち入りは禁止されており、防衛省や気象庁による調査、厚生労働省職員による遺骨収集などの目的に限って例外的に認められています。
そのため、現在でも多くの戦没者の遺骨が残されている地域であり、不発弾の残留も多く、回収が困難な状況が続いています。
しかし、戦前には硫黄の採取や農業、漁業が盛んに行われており、経済的にはそれほど悪くなかったようです。
戦時中には日本軍の重要な防衛基地が置かれていましたが、1945年2月19日から3月26日にかけて行われた硫黄島の戦いで、アメリカ軍が上陸し、日本軍は壊滅状態となりました。
映画は、この硫黄島で壮絶な戦争体験をした片桐正俊(大坂志郎)が、新聞記者の武村均(小高雄二)と出会い、自らの体験を記事にしてほしいと語りかけるところから始まります。
出会いのきっかけは、泥酔した片桐が帽子を忘れ、釣銭とともに店員(高田敏江)がそれを届けたことでした。店員とともに戻ってきた片桐は、居酒屋にいた武村が新聞記者であることを知り、近づいてきます。武村が「なぜ自分が記者だと知っているのか」と尋ねると、店員から聞いたと答えます。届け物をして釣銭を渡すだけの行為で、記者であることが分かるものでしょうか。戻ってくるまでにどのような会話があったのか、気になるところです。
また、どこの新聞社かを聞かれた際に、武村本人は言いたくなさそうな様子だったにもかかわらず、女将(小夜福子)がすべて話してしまうのも不思議でした。片桐に絡まれて嫌な思いをしたはずなのに、昼間に来社した際にはきちんと対応していた武村。彼が興味を持って対応しようと思ったのは、なぜだったのでしょうか。
片桐の経験は、まさに壮絶なものでした。6人の日本兵で洞窟に隠れていたところ、片桐と木谷(佐野浅夫)が食糧を探しに戻ってくると、仲間は火炎放射器で焼かれて黒焦げになっていました。その後、2人はアメリカ軍に捕まり、グァム島に送られて命を救われました。
片桐は再び硫黄島に渡り、当時つけていた日記を手に入れようとします。武村に硫黄島行きが延期になったことを告げた後、片桐は硫黄島に渡り、自ら命を絶ってしまいます。その理由は明確には語られていません。
武村が片桐の周辺を調査していく中で、ある事実が浮かび上がります。片桐と木谷は仲間全員が焼死したと思っていましたが、実は一人生き残っていた人物がいました。岡田(山内賢)はそのことを恨み、片桐と木谷に自分の面倒を見るよう要求します。自分は被害者なのだから、面倒を見る義務があるというのです。
木谷はその横暴さに辟易していましたが、心優しい片桐は気にかけ、自分の分の食糧まで分け与えていました。しかし、極限の生活の中で、木谷が食糧を探しに出かけた際に岡田は亡くなっており、木谷は片桐が殺害したのではないかと感じていました。
帰国後、片桐は岡田の妹・森(芦川いずみ)を訪ね、身寄りのない彼女を妹のように可愛がっていました。次第に森は片桐に好意を抱くようになりますが、片桐は自ら身を引きます。日記を取りに行くと言って硫黄島に墓参のために参加した片桐は、火口に飛び込み、投身自殺を遂げました。
映画では、片桐の自殺の理由は明確にされていません。謎のままです。しかし、極限の生活をしてまで生き延びた片桐が、自ら命を絶つというのは、にわかには信じがたいことです。けれども、自分が手をかけたかもしれない戦友の妹を愛してしまった片桐には、それ以外の選択肢がなかったのかもしれません。
もしかすると、片桐は硫黄島に向かう時点で、すでに死を決意していたのではないかと思います。生きるか死ぬかの極限状態を生き抜いた兵士の魂の叫びが、胸に迫ってきました。