秋立ちぬのレビュー・感想・評価
全6件を表示
最後20分間のために
1960年。成瀬巳喜男監督。信州上田から東京銀座の裏通りにやってきた母と息子。学校に行く前の夏休みの数日間、母は近くの料亭で住み込みで働きだし、小6の息子は母の兄が経営する八百屋で暮らし始める。息子は料亭の幼い娘(小4)と仲良くなっていくが、母はなかなか会いに来てくれない。一方、料亭の娘は不自由のない暮らしをしているが、父には本宅があり、母は妾であることの意味を知ろうとし始める。行き場のない二人は家出同然で海を見に出かけ、、、という話。
子供たちの世界に大人の世界(都会の交通事情、地価上昇、恋愛、世間体)が反映している。後半の20分間、海に出かける、足をくじく、家でカブトムシを見つける、届けようとするが娘はいない、という展開がすばらしい。タクシー、線路、警察車両、ダッシュ。感情の激しい起伏がそれまでの丁寧な説明描写を回収しながら、人物の移動とともに描かれる。しかもその最中に、母の兄一家の家族関係や料亭で働く仲居たちの噂話などが織り込まれていく。
孤独の横顔
信州から東京へやってきた少年が孤独へと追い詰められていくさまをピュアかつ残酷なトーンで描き出した成瀬巳喜男の傑作。
少年は都会で暮らすうちに、それまで信頼してきたものの一つ一つに裏切られていく。母に裏切られ、海に裏切られ、親戚に裏切られ、そして最後には唯一の友人であった少女にも裏切られる。喧嘩をふっかけてきた悪ガキたちを返り討ちにしたり、海が見たいと母親にねだってみせたりしていた彼の幼い心性は次第に後退し、遂にはラストシークエンスの悟り切った横顔へと辿り着く。
不幸続きの少年に対し少女が「田舎に帰りたい?」と問いかけるシーンがあるが、それに対して彼はかぶりを振る。都会だろうが田舎だろうが、自分が孤独であることに変わりはないと彼は言う。この達観ぶりが絶えざる精神的被虐の痛ましい結果であることは自明だ。
少女もまた少年と同じような孤独を抱えている。彼女の父親には別の妻と子供がいて、母親はそれについて何も話してくれない。旅館の従業員たちも噂好きで信用ならない。家庭に居場所がないことを悟った少女は、海を見たことがないという少年を連れて晴海へと向かう。この「絶望の果てに海を目指す」という行動原理もかなり大人びている。
二人が開発前の晴海周辺を歩き回るシーンが印象的だった。それぞれが線路のレールの両端に立ち、左手と右手を繋ぎながら歩いていく。ふらつきながら立ち止まりながら時にレールから足を滑らせながら、それでも彼らは互いで互いを支え合って前へ進んでいく。そこには厳しい都会を生きる子供たちの力強さと脆さが同時に立ち現れていた。しかしそうまでして辿り着いた海は、実のところどこまでも洋々と広がる黄ばんだ水たまりに過ぎなかった。
母親の失踪以降、少年は常に親戚一家から厄介者扱いされていたが、年の離れた従兄弟の兄だけは彼の身を案じており、気晴らしに少年をドライブや映画に連れて行ったり内緒で母親に会わせたりしてくれていた。しかしそんな彼も最後の最後で「カブトムシを探しに行く」という少年との約束をすっぽかし、バイク仲間と箱根に旅立ってしまう。
その後、ひょんなことからカブトムシを手に入れた少年は急いでそれを少女に見せにいくが、彼女の住む旅館は既にもぬけの殻。いきいきと少年の生の躍動を象徴していたカブトムシは、ここへきて単なるありふれた虫けらへと変容する。少年の絶望も知らないでいつまでもウネウネと蠢く肢体がやけに不気味だった。ここまでやるか、と言いたくなるほどの悲劇の応酬に思わず顔が歪んでしまう。
全てに裏切られた少年の孤独を埋められるものは存在するのだろうか。我々がそれに対する適切な応答を考えあぐねているうちに、少年のほうが先に孤独を受け入れてしまった。あのラストシークエンスの横顔。毅然として海のほうをじっと見据える横顔。少年は既に少年ではなくなっていた。その双眸の先には、青春の終わりを示唆するように鈍色の海が鬱々と広がるばかりだ。
昭和の銀座界隈や晴海埠頭の風景、人々の生活、それを追うだけでも楽し...
昭和の銀座界隈や晴海埠頭の風景、人々の生活、それを追うだけでも楽しめる。子供達の無邪気でピュアな心と現実の切なさが交差しながら物語は進んでいく。ラストシーンはなんとも言えない哀しさを持って終わりますます少年が愛おしい存在としての余韻が長く残った。
成瀬監督の作品は初めてだったので他の作品も観てみたいと思う。
東京で一人生きる辛さ
映画のクレジット的には一応主演は乙羽信子なのだが、映画が始まって暫く経ってしまうと居なくなってしまう。
実質的な主役は、乙羽信子の息子役である大澤健三郎であり、田舎から東京に出て来た彼が一夏で経験する東京での生活振りや、知り合いになる女の子との友達関係。及び、大人達の自分に対する接し方を通じて少しずつ大人になって行く話です。
長野県の山奥から出て来ただけに、「青い海が見て見てえずら!」と絶えず口にする彼。
東京にはカブトムシが居ないと嘆き、なかなか会えない母親との関係。母親の兄夫婦の家に居候をしているだけに、片見の狭い思いに心を痛める。
監督成瀬巳喜男は、今回製作も兼ねており、女性の立場から男に媚びない性格で居ながら、結局男に頼らざるを得ない女性像を描く事が多かったが、この映画ではそのエピソードは中盤から居なくなる母親の話で少し描かれるだけで、メインとなるのは子供が東京とゆう都会で感じる社会の厳しさであるのは、成瀬作品にとっては珍しいところでしょうか。
デパートの屋上からは小さくしか見えなかった海。やっと海に辿り着いたものの、そこにあった海は“青”くは無く“黒く澱んだ”海であったのが、この主人公の少年の今置かれた立場を描いている様でもありました。
最後には独りぼっちになってしまい、再びデパートの屋上から海を眺める。そんな悲しいエンディングですが、成瀬作品特有の突き放し振りには、監督からの「頑張れよ!」との激励にも感じました。
子どもの気持ち
時間が丁度空いたので、池袋の新文芸坐で名画座デビュー。丁度僕の好きな入江悠監督が敬愛するという成瀬巳喜男監督の作品がかかっていたので、尺も短いしちょっと行ってみるかと軽い気持ちで臨んだこの作品。ふらっと入った映画が当たりだと嬉しくなるし、こういう時映画館で映画見るのって良いな~って思う。この快感はクセになる。話がそれた。
作品の感想。前半は『ネブラスカ ふたつの心を繋ぐ旅』のようにオフビートで朗らかな笑いに満たされていたのだけど、後半の展開は是枝裕和監督の『誰も知らない』を想起せずにいられなかった。特にラストシーンの横顔。いつの時代も子供は大人に振り回されて(悪い意味で)大人になる。前半とのギャップにやられた。その後も続いていくであろう彼の人生に立ち会えないのが残念でならぬ。彼があの後塞ぎこんでしまったらと思うと悲しい。父の時と同様また人知れず涙するのかと思うと…。順子ちゃんとの時間は見ていて本当に幸せだった。両親の存在という点では真逆の2人でも置かれている立場は似通っていただけに、埋立地のシーンは切なさに満ち満ちている。見た後にしばらく登場人物のことを考え続けてしまう。これは良い作品の証拠だと思う。映像ソフト化されていないことが本当にもどかしい作品。尺も80分と見やすくて素晴らしい。
全6件を表示