赤ちょうちんのレビュー・感想・評価
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映画史的にはかなり興味深い1974年の日活製作映画
藤田敏八監督による1974年製作の日本映画。製作 ・配給日活。
秋吉久美子の出演映画2作目で、初主演映画。撮影当時19歳。何と言っても、豊かな乳房もしっかりと映る脱ぎっぷりの良さと、対照的に実年齢以上に幼なくも見える可愛らしさが印象的。
映画自体は、藤田監督らしく都会の片隅で無目的に漂流する様に何度も引越しを繰り返す若い未熟なカップルを描くが、詐欺まがいの保険家さんの長門宏之の絡み等、自分的には解読不明の訳が分からないストーリー部分も有り、高評価とは言い難い。
ただ今見ると、映画史的に製作スタッフは興味深い。プロデューサーは後に「復活の日」や「家族ゲーム」手がける岡田裕で、脚本が桃井かおり実兄の桃井彰と翌年「祭の準備」で脚光浴びる中島丈博。助監督が「太陽を盗んだ男」を監督する長谷川和彦で、音楽がギタリストでアリス等多くのヒット曲編曲を手掛ける石川鷹彦。
出演も、長く活躍する高岡健二に河原崎長一郎、かつての日活スター長門宏之と中原早苗、テレビドラマ「飛び出せ!青春」で人気得てた石橋正次、 30歳でおばさん役の樹木希林やこの年「岬めぐり」をヒットさせる山本コウタローと多彩。
監督 藤田敏八、プロデューサー 岡田裕、脚本 中島丈博、桃井章、製作担当者 天野勝正、撮影 萩原憲治、美術 山本陽一、色彩計測 鈴木耕一、録音 紅谷愃一、照明 川島晴雄、編集 井上治、助監督 長谷川和彦、音楽 石川鷹彦。
高岡健二(久米政行)、秋吉久美子(霜川幸枝)、長門裕之(中年男)、河原崎長一郎(牟田修)、石橋正次(幸枝の兄)、横山リエ(利代子)、山科ゆり(ミキ子)、中原早苗(広村ヒサ子)、樹木希林(吉村クニ子)、三戸部スエ(深谷ウメ)、陶隆司(松崎敬造)、南風洋子、山本コウタロー、小松方正。
換骨奪胎 この二人の生活は1974年ではなく、50年代、60年代の青春が描かれているもだ
本作はかぐや姫の名曲赤ちょうちんを映画化したものだとされる
確かにその曲は使われるし
かぐや姫の名曲神田川も劇中に少しだが流れる
歌詞をモチーフとしたシーンも確かにある
しかしその歌詞の世界なのかというと違う
その様な四畳半フォークの私小説的な世界を期待して本作を観たならば全く違うところに連れて行かれたことに気が付いて戸惑うことになるだろう
藤田敏八監督は流行歌の映画化であるということを隠れ蓑にして、1971年の八月のぬれた砂と同様に違う映画を撮っているのだ
主人公政行は1974年時点で22歳の設定
つまり1952年生まれで団塊の世代の一番下の世代
学園紛争のピークには重なっていない
秋吉久美子の演じるヒロイン幸枝は17歳の設定
1954年生まれで、学生運動とは関わりはない
かぐや姫の南こうせつは1949年生まれの団塊世代そのものだ
しかし、保険詐欺の中年男は全学連創設の世代で監督の世代を投影している
彼は実は潜伏先を転々として逃げ回っている左翼運動の活動家であるのはポストに左翼新聞が入っていたシーンで明らかだ
海岸で内ゲバにより撲殺される
連合赤軍による山岳ベース事件という12人が殺された凄惨な内ゲバリンチ殺人事件が本作の2年前にあり、当時は裁判の最中でありこの事件の全容が次第に明らかになってきたことが投影されている
山岳ベース事件だけでなく、街角の路上で鉄パイプを持った集団に襲われて殺されるような左翼運動内部の内ゲバは珍しいものでは無かったのだ
政行の駐車場の先輩もまた監督の世代だ
出版社にもぐりこんでエロ本などで糊口をしのいでいた有り様を投影している
逮捕に来た刑事もエロ本の取り締まりではなく公安を思わせる描写になっている
子供ができると途端に保守的になりやがるとの台詞がある
監督の世代の左翼活動家だったもの達も家庭をもち脱落して行ったことを揶揄し批判している台詞だ
このような目で本作を見れば色々と見えて来るはずだ
幸枝がなぜ赤色の衣装ばかり着るのか
彼女は日本の暗喩だからだ
彼女と主人公はままごとのような結婚生活を送る
二人の子供を看護婦は取り違えたと行って赤ん坊を取り換える
主人公はこの赤ん坊が自分の子なのか確信できない
共産党の目ざす革命と、新左翼の目指す革命
どちらの子供なのだ?という意味だろう
その子供ですら命を狙われる路線闘争の陰湿さと恐ろしさ
日々の生活の為に工場労働者として働いても、二人の住む家に過去に何があったのかが次第に知れてくるのと同様に、過去の左翼運動の活動家という経歴が周囲に知られて居ずらくなり追われて出ていくのだ
精神に異常をきたして子供を育てることが出来なくなった妻から、主人公は赤ん坊を引き取り仲間の支援でどこかに逃れていくのだ
革命の理想を暗喩したその赤ん坊を胸に抱いて
彼女の鶏アレルギーとは、政治アレルギーを暗喩したものだったのだ
それがまさか自分の夫がアレルギー反応の根源であったとはの驚きと絶望
つまり本作とは、かぐや姫のロマンチックなフォークソングの世界を隠れ蓑にして人民広場事件の世代が傷を舐めあって世間の片隅でなんとか生きているということを描がこうとしたものなのだ
その世代達が1974年の流行歌の世界の若者達の姿を横取りして自分語りをしているのだ
そして、それは60年安保の世代、70年安保の世代とも、挫折した傷口をともに舐めあえるものなのだ
だから本作は今は老人となった彼らの琴線に深く触れたのだろう
本作には1974年の情景が確かに写されてはいる
しかしそこに描かれたものは、50年代、60年代の全共闘世代、団塊の世代の青春を描いているものなのだ
1974年の若者の青春ではない
換骨奪胎そのものだ
しかも腹立たしいことに、1974年の若者の若さを利用して美化しているのだ
四畳半フォークはこのあと急激に衰退する
70年代にあって60年代か、それ以前の青春を歌うもの、つまり本作のスタンスに近い
それが70年代の本当の若者に支持されなくなったのは当然だろう
替わって圧倒的な支持を集めたのはニューミュージックなのだ
山下達郎や大貫妙子等がいた伝説のバンド、シュガーベイブが渋谷のジャンジャンというこれもまた伝説のライブホールに初出演したのは1974年3月であり、奇しくも本作の公開とほぼ同時だったのだ
ニューミュージックがこのような若者を利用しようとする団塊の世代やそれより上の全共闘創設世代の卑劣なやり口の欺瞞を暴き駆逐していったのだ
アンチテーゼだったのだ
70年代の本当の青春の雰囲気はどちらであるのか明かだろう
本作は70年代の青春を奪って利用したのだ
そのやり口は21世紀になっても未だに続いている
かぐや姫や、神田川や赤ちょうちんの歌自体には何の罪もない
貧しくとも美しく愛し合う若者を描いた永遠の生命を持つ素晴らしい歌だ
かぐや姫も素晴らしいハーモニーと心を震わせる歌を届けてくれる、彼等たちの体験した青春を彼等のものとして素直に歌うバンドだ
不純物のない本当のこの歌の世界を映画で観たいものだ
21世紀に生きる若者はこの欺瞞に騙されて、老人達に利用されないように、注意深くどこが欺瞞であるのかを見極めるようにして、本作を観ないと危うい
秋吉久美子!
持ち金を競馬ですった修は幸枝がおばあちゃんに送金するための金をも使ってしまう。帰ってみるとアパートは嫌がらせで荒らされてしまう。自暴自棄になった彼のもとへ幸枝が戻ってくる。かぐや姫の「赤ちょうちん」が流れる、この冒頭の5分くらいが全てを言い表しているような二人の生活の始まり。とりあえず別のアパートへ・・・
長門裕之の若い頃は桑田圭介に似てる。その男がいきなり腹痛で倒れ、居座ることになってしまった。幸枝だけは優しく接するが、修や友人たちはしびれをきらして彼に対して暴行を加える・・・がんである男が生命保険の受取を幸枝に変更すると言ってくれた直後の出来事だ。
それからも引っ越しを繰り返す2人。子供ができたことで、ままごとみたいな若い2人の生活には辛いことばかり。まだ世間の目が冷たかった時代。最近よく見るヤンママとは見た目でも違うし、世の中がそうだったのか・・・
乳母車が坂から転がるシーンはさすがにドキリとするが、他には義眼とか一家心中のあった部屋に引っ越したとか、そんなところだけか・・・結局は秋吉久美子のヌードだけの映画。
かぐや姫の歌がモチーフ
・若い男女が引っ越しを繰り返し、子供をもうけ、精神を崩しながらも生きていく
・17歳の設定(!)の秋吉久美子の唐突なおっぱい
・ホームレスの長門裕之との奇妙な同居生活からの海辺で集団暴行の唐突さに恐怖を感じた
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