国道20号線のレビュー・感想・評価
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No future for you
虚無の世界を這いずり廻る、地獄映画だった。
パチンコと消費者金融の看板が繰り返し映されるだけで、強烈な終末感が漂う。ここは意味のない人生を過ごさざるを得ない地獄であることを訴えてくる。
国道20号はサンダーロード(By ブルース・スプリングスティーン)と異なり、何処にもつながっていない。象徴的には道としての機能を果たしていない。この作品に映し出された国道20号線は、いつも渋滞していて前に進まない。
空族サーガの登場人物たちは、「ここではないどこか」を求め続ける。ジュンコは結婚、小澤はタイ。彼らはユートピアに行けばすべて解決すると思っている、というかすがりついている。
彼らは、自らが求める世界には永遠に辿り着かない。それはこの世の何処にもないからだ。彼らにとっての結婚もタイも、薄っぺらいイメージでしかない。ジュンコがドンキの駐車場で家族連れを眺めるシーンは、彼女が求める世界とは決定的な断絶があることを語っているように思えた。
小澤が昔の闇金を懐かしむシーンがあるが、空族サーガには「昔は居場所があった」という描写がよく見られる。闇金の仕事内容が変わったのも、国道20号線の風景が(おそらく)変わったのも、規制緩和が原因だ。
前の世代ではうまく回っていたモデルを剥奪されて、新たにうまく回すパターンは提示されない。
昔と同じであっても、ジュンコや小澤が混乱せずに生活できたかはわからない。しかし、彼らは、「大きな力によって居場所を奪われた」とうっすらと感じているのではなかろうか。このテーマは次作「サウダーヂ」にも続いてゆく。
本作品から10年後はポスト真実の時代となり、世界各地で極右と排外主義が台頭しているが、国道20号線を観れば、宜なるかな、としか言いようがない。
一方、ヒサシは小澤やジュンコとは質が違う。夢想することはない。彼にとってのユートピアはラリることだ。彼は現代の問題にさほど影響を受けておらず、どの時代にも一定数存在する何も希望を見出さない真性のニヒリストだ。最後まで本質的な破滅をしないため、妙な安定感がある。小澤やジュンコと違い、あらかじめ破滅しているとも言えなくもないが。
国道20号線をヒサシがバイクで突っ走る最後のシーンは、小澤のモノローグとカオスなBGMも相まって、現実との境界が曖昧となり、トリップした世界の映像にも思えた。
ヒサシ演ずる伊藤仁は、空族サーガでは一貫してジャンキーを演じている。現在の問題を結果的にあぶり出してしまう空族の作風からは少し外れた異質のキャラ故か、次作「サウダーヂ」では狂言回しとして活躍する。
空族映画はどれもコミュニケーションが断絶しているが、本作品もそうであり、心が交流するシーンは一場面たりともなかった。
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