「婚前交渉の皮肉」恋空 Takehiroさんの映画レビュー(感想・評価)
婚前交渉の皮肉
dTVにて観覧した。合意の恋愛にはなっているのだが、婚前交渉をしてしまっていて、性暴力や、死産まで入っている。生命と恋愛について複雑な映画である。安易に性行為をすると危険な事になるし、中絶はわかっているだけで毎年20万件近くあるのだと言う。ただ、最初に性行為をしてしまった相手は結婚するつもりだったし、子供も楽しみにしていたのに、事故のような形で失ったのだし、不可解な別れは何か言えない理由があったのかとは思わせる。そして優しい次の恋人ができるのだが。婚前交渉は20代だろうが、秩序は壊れる危険性はあるだろうが、この映画は高校生であり、性行為体験は高校1年でされてしまう。ここら辺が2007年の時代だとしても、良くはないのに、マスメディアがこんな映画を作ってしまっている。理由はあるにせよ後悔の映画になっている。秩序の壊れた性愛は悲劇に終わるのはせめてもの芸術の良心であり、悔恨であり、倫理である。ここに合意ならどうでも良いのかという、現代社会の偽善と意識の無がある。2番目の恋人は順序立てていて、婚約指輪まで渡すが、大学生という早熟ではある。そして物語の王道であるらしい、三角関係となっている。そしてラストに大きくネタ晴らしのように展開されるが、そこにも死が理由に添えられていた。この映画はレイプまでされても守るとした男や、女の気持ちのために振られてあげる男など、二人の男はこんな世界のこんな時代でも純情を知っていたが。主人公の女も純粋ではあった。だが、時代があまりに自由すぎてしまって、婚前交渉が描かれてしまうところが複雑で悲しい時代である。だが、死産や恋人そのものの死によって、直球ではない形で永遠の愛の関係を問いかけようとしている。婚前交渉ではあったが、幾つかの試練があっても、男に死病がなければ、結婚していただろうに。それは次の恋人にも影響してしまったのだが。どちらの男も、女を譲っていた。そして女の気持ちは最初の男だった。死病で余命が無くても最初の男を忘れられずにそれを選んだ。ただ、男は若くして命を失う運命だった。待っていたら失っていた性愛ではあった。複雑な純愛である。これは複雑な時代の自由が起こしてしまった悲劇だった。『世界の中心で愛をさけぶ』にしても、純愛が喪失にしか描かれない時代なのかどうか。この物語は早熟ではあったが、男が死ぬ前に女の願いで結婚式を二人で、池のほとりで行う。順番がちぐはぐなほど急いだ運命の二人になってしまった。しかしだからこそ、死が人間にあるのならば、なぜ中絶が年間に20万件近くもわかっているだけで続くのだろうか。この映画が悲劇である理由はそこにある。だからこそ、女のほうが辛いのはわかっているとしても、明るく喜ぶしかなかった不憫を人は感じなければならない。だが、結婚は成就させた。他にも主人公の女を流産させた女と病院でばったり会ってしまう挿話がある。その女は妊娠していた。主人公は恨まず、流産させた女の腹に手を当てた。携帯同士のテレビ電話で男が死にそうな時に、女が走りながら通話するのは時代だろうか。それでもこの文章の10年前である。ラストの男の日記には、夫婦の間の子供と3人で手をつなぐ絵が描かれていた。新垣結衣は、この作品よりも『フレフレ少女』のほうが一年あとだったのだが、意外に思いたが事実らしい。少し調べると、原作はケータイ小説で、若い作者らしい。これも婚前交渉が入ってしまった影響下にあったか。ただ作者に聞かないと警告なのか、どういう意図かわからない。10年の間に小出恵介は失敗し、三浦春馬はNHK大河の直虎で、ちょっと似たような役をやったばかりだ