あしたの私のつくり方のレビュー・感想・評価
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思い出を懐かしんでるだけでレビューになってない
久しぶりに見た。 学生の頃みてほぼ覚えてないけど特別に思ってる映画。 改めて見てやっぱり好きな映画。 この映画を初めて見たときはまだ前田のあっちゃんを知らなかった。 私がAKBを認識したのは2010年頃だったので、新人の素人の女優さんだと思ってた。 小学生の役のときはわざとなのかどうなのか、子供らしいといえばそうだけど、滑舌が悪くしたったらず。 中・高生のときはセリフも聞き取りやすくなってきて見やすい。 表情がいいなと思った。昔見たときもいいなと思って顔覚えてて、後々AKBを認識したときビックリした記憶。 最近、彼女が出てるドラマをよく見てて、演技がいいなと思ってたけど、昔からよかったな。 成海璃子さんは当時からたぶん有名だった。 私より少し年上でかっこよくて素敵だなって、知ってた。 そういえば、ほんと最近のドラマ「かしましめし」でお二人共演してた。 当時をいろいろ思い出して懐かしい。 筆箱とか手紙を回したりとかガラケーも。 ずっと気にかかってた子に文学部の主人公が創作のメールする話だったのか。自分の考える処世術を物語としてレクチャーする。 いじめられると性格暗くなるよね。 元の自分に戻れなくて、いろいろ考えるようになって、反射的に感情で動けないような。 同じような体験ではないけどわかる。 成長による変化じゃなくて、変えられてしまった自分に悩む。 私はじゅりの方に近かったと思う。 所々、見覚えがあって思い出しながら見た。 メイン二人が魅力的で表情がよかった。 成海璃子さんが上手いのはもちろんだけど、前田のあっちゃんもすごく良くて、日南子だった。 エンドロールで名前見てると、今は知ってる名前がちらほら。全然気づかなかった。 メイン二人の存在感がすごくある。 エンディングのシュノーケルの天気予報は好きな曲でmvもよく見た思い出。
【”お前は嘘が巧いから、行いだけでも良くなさい。”校内ヒエラルキーの中で必死に生きる二人の少女の姿を描いた作品。本当の自分を探そうとする少女達の心の機微を、清廉なタッチで描き出した作品でもある。】
■仲間はずれになることを恐れて目立たない毎日を送る寿梨(成海璃子)と、クラスの人気者から突然全員に無視される存在になった日南子(前田敦子)。 小学生から中学生、高校生に成長した寿梨は、転校した日南子宛てにクラスの人気者になるノウハウが詰まった物語を“ヒナとコトリの物語”としてメールし始める。 ◆感想<Caution! 内容にやや触れています。> ・寿梨が日南子に、メールを送り始めた訳。 それは自分自身が苛めを恐れ、校内ヒエラルキーの中で上手く立ち回る自分に、嫌気がさしたからではないかな。 ー そして、ここで太宰治の”お前は嘘が巧いから、行いだけでも良くなさい。”という序盤に紹介される言葉が生きてくる。ー ・誰でも、(今作でも描かれている寿梨の両親の諍いと離婚。そして再婚相手を見つける様。学生だけではなく、大人も大変なのである。)日々、懸命に巧く立ち回りながら生きている。 ー 故に、後半、日南子が寿梨の携帯番号を探し出し、メールではなく携帯画像で話しかける ”今日、嫌なことが有っても、明日良い事があるかもしれない。” という言葉が心に響くのである。 <久方ぶりに鑑賞したが、矢張りこの頃の成海璃子さんは、魅力的である。又、映画初出演の前田敦子さんも、初とは思えない、流石の演技である。 今作は、本当の自分を探そうとする少女達の心の機微を、清廉なタッチで描き出した作品である。>
「私なんでこんなに頑張っているんだろう」 という人に見てもらいたい。
ん、苦しかったね。よく頑張ったね。 そんな貴方を受け止めてくれる人に出会えてよかったね。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 「本当の私」と「本当でない私」を巡る物語。 小学校~高校生の女子の心の移り変わり、成長を綴っている。こんな風に思っている前思春期以降の人ってたくさんいるよね。 学校・友達が軸になっているが、 いじめを受けたことがある子の後日談の一つでもあり、 諍いの多い家庭の中で、頼れる(甘えられる)大人を持たずに、「本当でない私」で暮らしている子どもや、 親のメンタルケアをしているとか、親に嫌われないように息をひそめることも含めた、親の期待に応えて「本当でない私」でいることで家庭内の居場所を確保している子どもの話でもある。 寿梨と日南子の関係は時に「こんな風に展開したら良いね」っていう、ちょっと教育番組的な、夢物語的な、中学生が好きそうな展開になっているけど…。 一方で、人気者から仲間はずれへの転落とか、 その時に自分をどう支えるかとか、 クラスの中心にいるメンバーへの想いとか、 小学校の時自分より下だと思っていたクラスメートが、久しぶりに会ったらやけに輝いていて、しかも手放した自分の元の家に住んでいることを知った寿梨の想いとか、 再婚相手の”親切”な想いが、実は寿梨を奈落の底に突き落とすということとか。 実にリアルに描かれている。 その微妙な心理を演じる成海さんがうまい!!! 二十歳ぐらいの方が演じているのか、でもなんという透明感!!!と思っていたら、14,5歳だと知って更に驚き。 対して、寿梨を囲む大人の暑苦しさ。 「本当の自分」をお互いに押し付け合う親の間で、本当に苦しむのはいつも・どこでも子ども。 「ありの~ままの~」という歌が流行っていたけど、「本当の自分」て何なのか、考えたくなる。 どうせなら「私、こんなにがんばっちゃった、えへw」と言えるような頑張りをしたい・させたい。 コトリがヒナに一生懸命贈ったメールは、コトリのためでもあるけど、ヒナのためを思って考えに考えて贈ったエール。 そこには「作られた私」が綴られているけど、ヒナの為にという想いはまぎれもなく「本当の私」。 そういう想いって、たとえメールでもちゃんと相手に届くのだろう。 そんな風に、 寿梨役の成海さんが、これだけの透明感、でも確かにそこにいる存在感を醸し出していたのに対し、 両親役のW石原さん。”自己中、大人のカッコした中身は子ども”を振り撒いていて、笑った。 日南子の母の対応との違いも訓話的で見事。 そういう自分しか見えていない人とのやりとりって、向かい合って話していても、一緒に暮らしていても、なんて届かないのだろう。 そんな物語に、メールでのやり取りの画面やカット割り等が多用されていて、演出も面白かった。 ただ、物語としては、要所を要領よくまとめ上げたな、という感想がぬぐえない。教育的動画をさっと見せられた感じ。 日南子側の物語にもう少し厚みを出して欲しかったとは思うものの、日南子役の演技ではあれがギリギリか。 彼氏とのエピソードは優等生映画的・願望映画的メッセージとしては良かったが、相手役も含めて、もう少しどうにかならなかったのか。 日南子が丸首のカットソーを脱ぐときに、顔に服が当たらないようにして脱いでいたけど、ファンデーションがカットソーにつかないようにする脱ぎ方。高校生で化粧している前提?って、興ざめしてしまった。前田さんにしたらいつもの癖が出ただけなんだろうけれど。 そんなところが、惜しい。 子連れで再婚しようとしている親や、 争っている家庭(夫婦だけでなく、舅・姑との関係でも)や、 寿梨や日南子と同じように友達の中で右往左往している前思春期~思春期の子どもには ぜひ推奨したいけど、 自分が見返すかって言ったら成海さん目当てかな。 W石原さんが痛すぎる。(もっと別の役者使ったらもうちょっとマシになったと思うけど) 成海さんには☆5つですが、 全体的のできは☆3つ。 間をとると☆4つなんだけれど、3.5。
市川準監督の遺作となった
アイドル映画の皮をかぶった文芸作品のような、そんな印象が残る。明日が来るのが怖いと思っていた寿梨。ランドセルを背負う小学生の役も違和感がない成海璃子。卒業式には日南子が「あなたがいなくなったから無視されるのが私になった。今の私は偽物」と告白される。ちょっとした強がりに見えるところが巧い。 高校生になり、日南子が転校していったという噂を聞き、正体を明かさずにメールする寿梨。本当の日南子を取り戻してほしいと思うが、文芸部に入ったこともあり、自作の小説を書くようになった。“かなこ”だから“ヒナ”。寿梨の助言通りに行動して、クラスの人気者になっていくのだった・・・
見た時には、まさか市川準監督の遺作になるとは思わず...
いじめにあって転校していった同級生を励ますつもりで、メールで物語を送り続ける14才くらいの女の子の物語。 この作品の奇妙なところは、登場人物に個性が感じられないことです。逆に言うと、個性などあってはならない子どもたちの世界を描いたからこそ、個性など存在するべきでない、と言いたげな珍しい作品なのです。 だから、物語の進行はナレーションが中心とした心理描写が多いのですが、その場合、映画を見ている者はナレーションがうるさく感じがちになるのに、そうはならない、そこがこの作品の面白いところであり、衝撃的なところでした。 この作品に登場する女の子たちは、常に自分でない誰かになっている、または誰かに頼って生きています。そうしなければ、学校でいじめにあい、家族がうまくいかない。「私はかすがいになる」や「自分を隠す」など、映画の前半は子どもとは思えないセリフがいくつも出てくるので、見ている者は衝撃をおぼえるのです。 ところが主人公が、以前にいじめられていた同級生に自分を隠して物語のメールを打ち続けるあたりから、映画の物語もそのメールの物語同様の面白さに溢れてきます。このあたりのストーリーテリングのうまさは、さすがに監督市川準ならではと唸らされました。繊細に少女たちの行動、そして表情をさりげなくとらえていくカメラの動きが本当に素晴らしい。 後半、物語のメールを送る側、受け取る側のお互いの少女が他人を演じるのではなく、自分でありつづけたいと思うようになります。しかし、スクリーンの外側から見ている、私たち大人たちはそうしようとする女の子たちに不安をおぼえてきます。それは、大人になるにつれて、自分とは何かに迷うことを我々は知っているから。 監督はあからさまに、そんなメッセージを演出の中に残しません。しかし、観客はそれをゆるやかに感じるのです。映画は静かに終わるのですが、登場した少女たちの物語はこれから、というところが、切なくなってきました。 この作品は、少女たちの世界を描いて見せながら、実は現代社会の歪みの中で暮らす、没個性な一般人そのものまでもとらえている点でも、とても興味深いものがあります。大人がこの少女たちの世界を、怖いと言っているようでは駄目、と言いたげな市川監督のニヤリとした顔が目に浮かんできそうになりました。
あどけなさ、けなげさ、生き抜く為のしたたかさ
学校は子供達の修羅場=戦場なのかもしれない。
誰かがジョーカーを引いてくれる事を、皆息をひそめて待っている。
引いてしまったら次の誰かが標的になるまで、ひたすら耐えぬくしか
生きる術はない。
家では不仲の両親のカスガイを努め、学校では目立たぬよう
クラスメートに溶け込む事に全神経を集中させている「寿梨」には、
成熟しかけの少女のか細い体つきと硬質な美しさと確かな演技力で
すでに大女優の風格さえ感じさせる成海璃子
小学校では明るい優等生で人気者だったが、ジョーカーを引いてしまい
「いじめられている私は嘘の私」と鎧のような殻に逃げ込んだ「日南子」
を演じるのは、あどけなく控え目な表情の中に意思の強さがかいま見える
AKBの前田敦子
演技の巧拙が少し気にはなったが、15~16才という若さで、すでに
二人共したたかな存在感とオーラを持っている。
仮面の中に本来の自分を隠しているという意識が、双生児のように
似通っている寿梨と日南子。
彼女達は学校ではすれ違いながら、携帯(メール)で繋がり始め、
最後に直接TV電話で話す場面では、それまで寿梨の操り人形のように
振舞っていた日南子が殻を脱ぎ捨て、彼女自分の言葉を寿梨にぶつけていく。
そして寿梨もまた仮面の中に閉じ籠っていた心を開き、素直に泣く事ができた。
あしたからまた生き抜くために仮面をかぶる事もあるだろう。
だが、ありのままの自分を見せられる友を得た事で、二人共少しずつ
本当の自分を育てていく事ができるようになるだろう。
痛々しさと愛おしさを感じる映画だった。
ホントの自分をさがしもとめて・・・
静かに泣かせるクライマックスが壺にはまった。 前半、成海さんが上手いだけに、 AKB48の前田さんの下手っぷりが 気になって仕方がなかったが、中盤から後半にかけて、 逆に、その演技が役柄にマッチしてきて「もしかして 監督の作戦だった?」とうならされてしまった。 『本当の自分探し』がテーマ。 これくらいの年代に誰しもが考えることだと思う。 描きようによっては、ジメジメした内容になりそうだが、 そこは、なるべくそうならないように構成されていた。 ラストも、無理に盛り上げず、 「感じてくれる人だけ感じてくだされば、それでいいですよ」 そんな雰囲気が、すごく自然に心に溶け込んできた。 残念なのは、本当に観て欲しい世代が一人もいなかったこと。 全員、明らかに成海さんか、前田さんのファンとおぼしき、 彼女がいなさそうな、20代後半から30代の男性ばかりだった。 そして、もう一つは、暗転が、やたらに多いので、 気になる人は全く作品に集中できないかもしれません。 私は、途中で世界に入り込んじゃいましたので 気になりませんでしたが・・・。
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