「人間の生きる根源とは?性の喜びは生きる喜びへとなるのか?」素粒子 Ryuu topiann(リュウとぴあん)さんの映画レビュー(感想・評価)
人間の生きる根源とは?性の喜びは生きる喜びへとなるのか?
レンタルショップで何も考えずに借りた1本。観て「思わずビンゴ!!」やったと言うお得感で胸が一杯になる作品だった。
フラワーチルドレンと言われる60年代頃に時代を先行して、自由と平等、自然派と言うか
ナチュラルな人間性溢れる生き方を模索して生きた母親を持つ2人の異父兄弟の家族の物語だ。同じ母でも、母が再婚した事で父親が違っても兄弟として同じ家庭に育つと言うのでも無く、全く自由奔放に生きる母親に取り残され、置き去りにされ、別々に住んでいた異父兄弟が、母親によってある日、紹介され家族の繋がりを持って生きていく事になると言う珍しい話しだが、この映画を観ると
人間の苦しみの根源とは何処から来るのか?
では、逆に人間の喜びは、どうしたら得られるのか?
人間は夢や希望を持って、明日へ向かって生きて行きたいと望むが、その一方で、夢を見るから、絶望も有り、苦しみも有る。ならば最初から、落胆してしまうかもしれない要素である実態の無い希望を心に思い描く事を避ければ、初めから落胆の恐れも無いと言う考え方も出来る。
希望も持たなければ、失望も生れないと言う逆説的な考え方も、経済の低迷が長く続く今の日本でも、決して珍しくは無い、ここ最近ではとても多くある価値観の一つの捉え方だ。
全く母親の愛情を身近に経験出来ずに育った兄弟は、決して安定した情緒豊かな人間性を形成する事が出来ずに大人になっていく。
女性をひたすらに追い求める兄と、女性との関係に不慣れでひたすら女性関係を遠ざけてしまい好きな女性がいても、40歳近くまでその女性と性体験を持てないと言う、N極とS極で相反する2人の兄弟の心の旅を映像展開する。
主人公の弟は、登場してからも殆んどセリフらしいセリフなく無口を続けている事に観ていて異和感を覚えるが、その臆病な異常なまでの対人関係恐怖症の様な性格である一方で天才的な学者である弟と言うのも有る意味現実に起こり得る事だ。
兄は、学校では文学を教えているが女子生徒に色目を使う女狂いな性格。2人足して2で割れば、平均的に成り人間的にも安定するのに!と観ていて思うのだが・・・
この兄弟にも、母親との別れの日が巡って来る。この作品を観ていると人生は必ず、最後には、帳尻が合うと言うか、自分の生きた生き方に合った幕引きが有ると言う人生の妙に不思議な働きと言うか、人間の力を越えたもっと大きな絶対的な存在のパワーと愛をも感じてしまうのだ。
人間、一人で生きられない。人を愛し人との関わり合いの中で成長し活かされて生きている。人間の幸せって何?と改めて考えさせられる。私は苦しむとしても、希望を持ち生きていたい!別に大きな野望では無く、日常の身近な人間同志の中に存在する小さな希望を胸に生きたい自分を発見した。モーリッツ・Bとフランカ・P2人の演技が素晴らしい!