約束の旅路のレビュー・感想・評価
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命の選別、魂の帰属先
第60回記念ISSJチャリティ映画会にて鑑賞。
知人に誘われて鑑賞。
ISSJとは、「国際的ネットワークを持つ民間の国際福祉専門機関で、第2次世界大戦後は日本国内の戦災孤児、混血児など家庭に恵まれていない子どもたちに国際養子縁組を行うことで援助してきた。近年は、ますます複雑になってきている国際福祉の問題と取り組むことができる専門ソーシャルワーカーにより」益々活動の幅を広げてきていると、イベントパンフレットより知る。
エチオピア難民・ユダヤ人・イスラエル・差別・国際養子と、たくさんのキーワードが付けられる映画。
原題『Va, vis et deviens(行け、生きろ、生まれ変われ!)』
生みの母が主人公を手放すときに、主人公にいう言葉。
母の究極なる願い。
そうして押し出された主人公の半生記。
邦題『約束の旅路』。
9歳で人生の荒波に放り出された主人公はどこに行くのか。
この映画の背景となった、モーセの『出エジプト記』によせて名づけられたモーセ作戦。
出エジプト記の約束の地はエルサレムだが、主人公の約束の地は?
邦題にある”約束”は誰との約束か?
”約束の未来”へのレールを牽かれているようで、行く先の見えない旅路。
どこへ、誰と到着するのか。
主人公の旅路の果てに安堵の救いを見るものの、ある意味、ご都合主義的にきれいにまとまっているが、ドラマ仕立ての泣かせの感動巨編的な演出ではないし、華やかな展開でもない。鑑賞後はその重いテーマに胸ふさがれた。
十数年前に鑑賞して、細部は忘れている。
でも、映画の存在自体は心の片隅にいつまでも残る。
☆ ☆ ☆
やっとたどり着いた難民キャンプ。
そこで行われる命の選別。
ユダヤ人なら、この明日をも知れない環境から抜け出す切符を手に入れられるのに、そうでない人々ははじかれる。
ショックだった。
すでに、夫と二人の子を亡くしている母は、残った一人子を手放す覚悟を決める。この切符を手にしたからと言って、その先どうなるかはわからない。けれど、少なくともここに留まるよりは生き続けられると、その切符に賭ける。
切符を手にしつつも亡くなった子の母は、その母の願いをくみ取り、死んだわが子の代わりにその母の子を引き受ける。違法と知りながら。
ここでの母同士のやり取りは、ほとんど視線を合わせただけだったのように記憶している。頼み込んで頼み込んでという感じではなかったような。子を死なせたくない母の願いを、子を亡くした母は瞬時にくみとったという感じ。
二人の母の強い思い。引き継がれた願い。
そんな瞬時の出来事であり、原題にもなった母の言葉くらいしか理解せぬままに放り出された主人公。元の名を捨てさせられ、新しい名を得る。
まだ、母が恋しい9歳。引き取ってくれた母は親身に世話を焼いてくれるものの、何が何だかわからぬままに、今の環境に適応を求められる。生きるために。母の言いつけを守るために。
だが、その引き取ってくれた母も亡くなり…。
養父母に引き取られ…。
そこでの生活も、決して順風満帆というわけにはいかない。
心はその急激な変化についていけない。抑えたくても出てくる身体症状。摂食障害。
どうにかしなければと思うほどに絡まっていく。感情はコントロールできない。
加えてイスラエル国内の状況も決して甘くはなかった。
ただ、それだけではなく…。
幸い、引き取られた家族では、ありったけの愛情を注いでくれる。
だからこその葛藤。
今の家族から愛情を注がれても、消えぬぬくもり・原家族。
今の環境より過酷なれど、体に染み込んでいる素足の感覚。
記憶を無くすには思い出がありすぎる9歳。もっと幼ければ過去の記憶は、意識的には思い出さない無意識下に潜り込むのに。もっと年長であれば、状況を理解して知性化できるのに。中途半端なお年頃。
愛されれば愛されるほど、愛し返し大切に思うからこそ、その大切な今の家族にばれてはいけない秘密。
今の家族と原家族の間で引き裂かれる想い。どちらも捨てられぬ。
昔の自分を消してユダヤ人ではない自分が、本当のユダヤ人になるにしても。
誰よりも、ユダヤの律法に詳しくなっても、細心の注意を払って、らしく振舞っても、ぬぐえぬ違和感。
素晴らしい人に囲まれているからこそ感じる、底知れぬ孤独。裏切っている感触。
自分は何者なのか。心の安住の地はどこなのか。
特に、恋をし、家族を持つ頃には。
そんな、主人公の葛藤が心に残って離れない。
☆ ☆ ☆
この映画の主人公は、エチオピア難民で、イスラエルに引き取られてと、日本人からは遠い国の、特殊な環境の話。
だが、そう片付けてしまえない。
帰国子女が抱える問題。
日本に暮らす、多国籍・多文化圏の子どもたちが直面する問題。
異文化適応を強いられる子どもたち。
アイデンティティを模索するモラトリアム人間が、バックパッカーとして、異文化をさまようのとは違う。模索してはいるが、バックパッカーは、自分の意志で旅立つのだ。
会社から命じられて、異文化の地に赴任するのとも違う。彼らは帰る場所がはっきりしている。やるべきこともはっきりしているし、何より、ある一定の人格ができた大人だ。
それでも、それだからこそ、柔軟性がなく、異文化不適応となる人々はいるが。
そうではなくて、アイデンティティを作り上げていく土台の時期に、自分の意志とは関係なく、異文化適応を強いられる子どもたち。
学校・地域では日本語を話し、家では他言語を話す子どもたち。
徐々に日本語の方が達者になって、親とのコミュニケーションに難をきたす。人生・生活を支えるような言葉の習得は体験に基づく。林檎という言葉を習っても、🍎を食べたことがなければ、そのおいしさ・食感は習得できない。思春期になれば、お互い日本語を話していたって、コミュニケーションは難しくなる。そしてジェネレーションギャップ。それに、言語的・文化的な難しさが加われば…。
反対に、日本文化にとっては当たり前すぎる風習を理解できなくて、周りの友達とコミュニケーションギャップを抱える子どもたち。ついていこうと無理すればストレスが大きくなり、ついていくのをあきらめれば孤立感が増し、不適応となる。
学校・地域では日本文化に適応するように求められ、家や親族間ではその方々の文化に適応するように求められる子どもたち。
「ごめんなさい」から始まる人付き合いの日本。謝罪は責を認めるときだけと、けっして簡単には謝罪はしない文化。こじれる友達関係・保護者間。
戒律や風習等によって参加できぬ授業・学校行事。友達と同じことができない、やりたいと言って泣く子ども。テレビ番組・ゲーム等余暇活動に制限がかかって、浮く子ども。人生・生活を支える言葉の習得は体験に基づくのに。小中高の時はそりが合わなくとも、同窓会で共有できる思い出のあるなし。
「同じ釜の飯を食う」ことが仲間になる前提。共通の経験をすることが、…その中で喧嘩しようが、孤立感を一定期間味わおうが…、人付き合いを学ぶということ。欧米の精神発達でも、小学校時代のギャングエイジやチャムの関係を重要視するのに…。
親の都合で、祖国と日本を連れまわされる子ども。
初めから、海外進出を見据えて、インターナショナルスクール等で学ぶ子どもは、まだその生育環境が一貫しているので適応しやすいのかもしれない。
だが、日本でうまくいかなければ祖国に帰り、祖国で困窮すれば日本に来る生活。
経済的なものだけを求めてとか、学業の安定だけを求めて、二重生活を送る子どもたち。
彼らは、どこにアイデンティティを置けばよいのだろう?
映画『僕の帰る場所』の主人公も抱えた悩み。
そして、自分を支えてくれる人・大切に思う人に言えぬ秘密を抱える子どもたち。
例えば、性自認の課題を抱える人とか。
主人公が周りの人々同化できない想い、異質感も似ているように思う。
なんらかの理由で、親戚や、養子縁組した子どもたち。
それが親の病死や離婚という、子に責がないことでも、なぜか自分が悪かったからと思う子どもたち。
この映画の主人公のように、大切にされればされるほど、苦しくなっていく。
幸福に満ち足りた善人と対峙する、彼らには見せられぬ闇を抱えた自分。その隔たり。
雨降って地固まるができればよいが、そうでなければ。
そんな思いを抱えている子どもたちに出会う度に、この映画の主人公を思い出す。
この映画の主人公は、それでも、周りの人に助けられて、自分なりの着点を見つけたのだが。
そんなサポートができる大人でありたいと思う。
Operation Moses
はじめに、Thora -Exode Chapitre XiX 4 と。これは聖書で言うと出エジプト記である。エチオピアのユダヤ人(Falashasーファラシャ; "アビシニアの黒い肌のユダヤ部族")は聖地エルサレムに帰ると。1984年11月から1985年1月まで、イスラエルと米国でファラシャをエルサレムに送った。ソロモンの子孫として、シバの女王子孫としてであるから認められた。エチオピアからスーダンに行って飛行機で出国(Operation Moses)。シャリア法があるからユダヤ人のアイデンティティーを隠してスーダンに。飢餓や病気や盗賊で亡くなった人が多いがスーダンは受け入れに積極的だった。八千人のファラシャが救われたが、身寄りのない子供だけがエルサレムにつくこともあった。
この長いイントロダクションがあって、映画が始まる。
キリスト教のエチオピア人の母親は息子をスーダンの難民キャンプでエルサレムに行く飛行機に乗せる。(Operation Moses 1984)生みの母は息子はユダヤ人でもなければ、孤児でもなく、親心で、息子を助けたいが一心である。(Go, Live and Become) 深い愛。そして息子はユダヤ人の家族に迎え入れられる。里親Yael(Yaël Abecassis)もYoram(Roschdy Zem)里子を愛情を持って育てるが、PTSDを抱えている里子である息子シュロームは、新天地で人種差別や正統なユダヤ教ではないとかで苦しい思いをする。ましてや、スーダンに残した母親への思いも募る。月を見るたび寂寥感が増している。息子シュロームは三人の俳優によって子供の時期から大人まで描かれている。ある日夢で起きた時、自分は色の白いユダヤ人で、イエデッシュが話せて、本物のユダヤ人のようだと。でも、その反面、大地を裸足で歩くことで、エチオピアにいた時の自分を取り戻すことができるようだ。母親は息子が大地を踏みしめて歩く光景を影から微笑んで見ている。学校で他の親に『アフリカから病気を持ってきた。。。』と言われ、転校させられそうな時、『よく聞け皆よ、息子は世界で最も美しい子供、』と息子の顔を舐め回して無菌を証明しようとするシーンは強烈だ。育ての親の愛も深い。それに、それでも息子が学校に行くかどうかに関して里親夫婦は息子の判断に任せるところがいい。
ユダヤ人の掟・律法のようなものは厳しいね。ユダヤ宗教は息子に親、祖父母の名前などルーツをあらゆる機会に聞く。それに、血統を証明させるため、ペニスから血をとって『ritual Bath』にその血をたらして、検証させるなど。ユダヤ人はファラシャを改宗させようとする。ファラシャは、我々はみな割礼を受けている、We are Jews like you.とデモをする。ラビ、ユセフはシバの女王はユダヤ人ではないと。なんとか???ユダヤ教は母親のルーツからなのは有名な話だが。。。。Echel(ファラシャの代表)はイスラエルでは正統な、真のユダヤ人じゃないと言われ、エチオピアではユダヤ人と言われる。Operation Mosesは意味がなかったのではないかとメディアで。
キブツでのシュロームの質問に答えた祖父の考え:パレスチナとの領土の問題について息子が祖父に尋ねたとき、「領土は分けるべきだ。太陽や影も分け合っているよにと。そうすれば、他の人々はこれが愛だとわかるから。.....相手側の愛は我々はなかなか理解できない........私は神を愛しているけど、必要な時だけでね.....他の左翼の連中とおんなじさ...と。
1993年、平和のデモ、オスロ合意。(テレビで:イスラエルとPLOが初めて和平交渉に合意し、パレスチナ暫定自治協定が成立した。)
息子はアムハラ語が書けないので Echelに代筆を頼んでスーダンの難民キャンプにいる母親に何度も手紙を送る。母親から音沙汰はない。
産みの母はなぜ自分が戻ることを拒むのか。それを自分のせいだと思っているシュローム。それは息子の将来を考えてのことだと、。Echel が理解させる。産みの母の心の寛大さ、自分を捨てて、息子に旅をさせる親心を9歳だった、シュロームが理解するのは難しかったようだ。
Echelはこの少年が母親に会える方法は「国境なき医師団」に入ることだけだと考え、医師のもとに連れていく。フランス人の医師の紹介で、シュロームはフランスに医学の勉強に行く。養父は息子が医者なることより、軍隊に入れと。臆病者と罵る。
イスラエルのラビン首相が1995年にユダヤ教徒急進派に暗殺された。
医者になって、イスラエルに戻ろうとしている時、父親は帰ってくるな。フランスにいよと、イスラエルで、暴動が。。。。エチオピアに対する大きな裁判が...エチオピアのことを嘘つき・裏切り者と言って批判している。人々はエチオピア人を国に帰そうとしている。ユダヤ人でないロシア人も。私のうちはどことシュローム。。。。
生きなさい! 生きて、何者かになるのです
「生きなさい! 生きて、何者かになるのです」
実の母の手を離したときの、母の言葉。
世界の大きな波に飲みこまれた少年へ、「生まれたからにはどんなことをしても生きていけ。それが生きるということだ」と、母は伝えたのだろうと私は思いました。
最後の最後、大きな感動があふれました。
民族と宗教と人間
すごい映画だった。これもまた見てから二年以上たっているので、悲しいかな、我が心の感動の詳細が思い出せないのだが、長い歴史のなかでずっととけない複雑な民族と宗教の絡みのなかで、それでも信じ続ける力に単純に感動しました。自分の生まれた国で幸せが変わる、当たり前のことながら、平和な日本に生まれた幸運を思うと同時に、誰もがそう願っているはずなのに、自国での幸せが得られない昨今の事情も合わせ、なぜ人は戦うのか、そんなことを思う。
とにかく見た時の印象を残したい一心で記憶の糸をたどるものの、実は曖昧にしか思い出せない、そんななかでの感想。あぁ、、、
多くから愛された少年
総合:90点
ストーリー: 90
キャスト: 85
演出: 85
ビジュアル: 70
音楽: 75
生命・差別・偏見・孤独・自己のアイデンティティの確立・生甲斐・人生の目標・家族愛。一人の難民の少年の半生を淡々ととりあげることで、彼を通して不安定な国際情勢と共にそれらをうまく描きあげた。出演者の年齢別の少年三人は寂しさや陰を持つ主人公をうまく演じた。
生命の保証すらなく、たとえ生き延びたとしても将来の希望など何も見えない難民の悲惨を極める生活。それから逃れるためには、ユダヤ人だと嘘をついてただ一人生き残った最愛の自分の息子をイスラエルに送り出すことしかなかった。それが恐らく今生の別れとなるであろうことを知りながら。
祖国よりはるかに安全で豊かとはいえ、最初は自分を愛する家族もなく、地獄のような祖国に戻ろうとする少年。様々な障害に直面しながら、彼は少しずつ成長していく。
彼は「たくさんの母親(実母と養母)から愛されているのね」と彼女から言われる。それは嘘ではないが、彼を愛したのは母親だけではない。いろんな人々に支えられた、だから少年はたどり着けた。
母を求めて三千里
「行け、生きろ、生まれ変われ」
「エチオピア、イスラエル、フランス 混迷し対立する世界を舞台に人間愛が映し出す感動の叙事詩」
ってとても熱いキャッチじゃないですか。
でも、すいません、わたくし途中から爆睡でした。
たしかにアフリカ難民がフランスに里子としてもらわれ、新しい親のもとで生活するまでは集中して観ましたが。。。そこからはフィクションだけあって、斜め目線でみてしまいました。だって実話じゃないんですから。そんなのあるわけね~だろって感じにしか見れなかったです。
泣かせたいならもっと工夫しなさい。
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