父親たちの星条旗のレビュー・感想・評価
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英雄という虚像
作中で財務省の役人が発言していたように、当時のアメリカの財政は、膨大な軍事費の支出によって逼迫していた。硫黄島の戦い以前に国債を発行した際は、全く売れず、紙幣を増刷することになりインフレを招いたというのは知らなかった。第二次世界大戦末期で連合国軍の勝利は目前だったが、もう少しで終戦の条件において日本に譲歩することになりそうだったのは意外だった。
だからこそ、硫黄島で星条旗を掲げる写真にたまたま写った3人の兵士を、政府は英雄に祭り上げた。国債の購入促進のための広告塔にするためだ。政府の切実な事情は理解できる。しかし、芸能人でも無いのに、政府の都合で広告として利用される兵士にとっては虚しい気持ちにしかならない。
インディアンのアイラが人種を理由に入店拒否されたことからも分かるように、大衆は彼ら自身を見ていない。政府によって作られた英雄という虚像を見ているに過ぎない。そして、戦争が終われば過去の英雄として忘れ去られてしまう。そんな虚しさを描いた作品。
太平洋戦争の激戦地の一つである硫黄島の戦いを日米双方の視点から描...
太平洋戦争の激戦地の一つである硫黄島の戦いを日米双方の視点から描いた2部作(日本視点:硫黄島からの手紙)の戦争映画の一つ。
こちらは米兵目線で描かれている。『硫黄島からの手紙』と対をなすとのことで、硫黄島の上陸戦そのものにfocusしているのかと思ったが、こちらは1枚の写真(硫黄島の星条旗:硫黄島での戦闘初頭時の2月23日に摺鉢山頂上に星条旗を立てる姿を撮影したもの)を政治利用し、戦地から帰還した兵士を英雄に祭り上げ、戦時国債発行促進政策に協力させる歴史的事実にspotを当てている。
戦場とパティ―会場がクロス・フラッシュバックする手法を取っており、 『硫黄島からの手紙』で感じたような没入感・臨場感が薄れてしまっていて視聴中に長さを感じてしまった・・・。また丁寧に人物描写してはいるものの、ヒーローに祭り上げられて喜んでいたり、そこにアメリカ先住民の人種問題要素も入れてしまっていたり、登場人物への共感がしにくい構成となってしまっているのも残念。
ちなみに米兵が戦う理由は『戦友の為に戦い、死ぬ。死んだ者がヒーローで、ヒーローになりたいから戦うのではない。』との解釈で説明がなされている。硫黄島との対でなければ☆2評価。
政府の茶番をクリント・イーストウッドが描く。 経験者の回想で臨場感...
政府の茶番をクリント・イーストウッドが描く。
経験者の回想で臨場感のある戦争シーンを見せてくれる。さすが勝戦国、資料が豊富で信憑性もある。当時のアメリカ政府を批判するような内容で面白い。
クリント・イーストウッドが興味を持ったという舞台となった硫黄島についての蘊蓄を少し書かせてもらう。硫黄島を制圧したあとの米軍の滑走路の下の謎、硫黄島で約一万人の行方不明者がいまだ発見されていない謎、硫黄島で回収された大量の手紙についても、結局、対になるもうひとつの作品『硫黄島からの手紙』でもほとんど取り上げなかった。
今作『父親たちの星条旗』は、何度視聴しても飽きない良さがある。
凄まじい
硫黄島からの手紙を見てからの本作。
wowowで録画視聴。
硫黄島に最初に星条旗を掲げた兵士。
果たして英雄なのだろうか。
戦後生まれの私は当然戦争なんか知らない。
ベトナム戦争を題材にした映画はそこそこ観たが
二次大戦時の攻防戦は初めて観た。
悲惨。
戦後78年?かな?
この映画は後世まで残さなければいけない作品だと思う。
戦闘シーンは凄まじい
硫黄島に上陸した米軍が、摺鉢山に立てた星条旗を巡る話になっている。
私も知っているあの写真を、戦時国債の販促キャンペーンに使おうとアメリカ政府は考え、写っていて生きている三人を呼び戻す。
戦闘シーンは凄まじく、正しく地獄絵だ。
「硫黄島からの手紙」とこの映画を観て感じたこと。
2週間程前に「硫黄島からの手紙」を観ました。
私には「硫黄島からの手紙」の方が、クリントン・イーストウッド監督が、
日本人のこの戦争を俯瞰からみて好意的に公平に描いているように思えました。
日本兵は米軍の戦艦100隻位に海を占領され、何万人かの米兵が上陸してきて
人海戦術でかかって来た。
洞窟から機関銃を撃つ日本兵は脅威でしたが、米軍は洞窟に火炎放射器を撃ち込み、
日本兵は生きたまま焼かれたのです。
その描写もちゃんとあります。
そして米兵はたった一人顔が分かる人物として、捕虜になったサムが重要な役を
演じています。
日本人衛生兵はなけなしのモルヒネをサムに投与します。
それでも死んでしまったサムが身につけていた母親からの手紙。
それは息子の無事を祈る愛情溢れる手紙で、読んだ日本兵はアメリカ人も日本人も、
母親が息子を思う情に少しも違いはない・・・そう思うのでした。
とてもクリントン監督は日本人に公平で優しいです。
翻って「父親たちの星条旗」はアメリカ軍・上層部の醜さを晒しているかのようです。
硫黄島の摺鉢山の頂上に若き米兵6人が立てた「硫黄島の星条旗」
この写真は新聞で報道されて、第二次世界大戦を象徴する有名な写真になりました。
そして米軍の広報官は旗を立てた3人の米兵を「軍事国債を庶民に売るキャンペーン」の、
広告塔にしたのです。
そして米軍の3人は騒ぎ立てる報道の過熱に翻弄されます。
しかし、息子が戦死した母親にとって、「硫黄島の星条旗」を掲げた一人が息子だった・・・その事実が母親にとって《支えになった》慰められた・・・
と聞くと、複雑な気持ちになりますね。
せめて息子は英雄だったと信じたい。
しかし、レイニーが別人を間違って報告して、さらに混迷してしまう。
この「父親たちの星条旗」は「勲章」「戦争の英雄」「勝利の旗を掲げた一枚の写真」
それらの裏側を描いていてアメリカ人には皮肉な映画なのではないでしょうか?
2作を観て、英雄と呼ばれても浮かばれない。
戦争に駆り立てられ戦死した若者たちが日米問わずに尊い命だったし、
イチ兵士にとって、「敵兵」は便宜的にそう呼ばれるだけで、なんの罪もない
「ただの若者」に過ぎなかった。
戦争の犠牲者はいつの時代も、罪なき兵士たち。
アメリカ側の視点から描いた硫黄島での戦い。 戦争を続けるために国債...
アメリカ側の視点から描いた硫黄島での戦い。
戦争を続けるために国債を勧めるとか、アメリカもギリギリだったのだなと思った。
そのために英雄とされた兵士。けれども、行なっていたことは英雄に値しないと、英雄として扱われることに苦悩する日々。
戦争を正当化することはなく描かれていた点では良かったと思う。
ラスト1分にすべてが詰まっている
この作品は、主に硫黄島での戦闘シーンと本土帰還後の祝勝会シーンを交互に組み合わせて構成されている。
戦場から突然パーティ会場に場面が切り替わった時、観ているこっちの気持ちは戦場にいるので「今それどころじゃないんだけど??」とイラッとしてしまう。
でもこのギャップこそがイーストウッドの描きたかったものなのではないかと私は思う。
戦場を知らない者に勲章を貰うこと、それよりも、自分がどう生き、どう命を散らしていったかを理解し、その生きざまを心にとどめてくれる者がいるということの方が救いとなり得るのだ。
この映画のラストに人生を、とりわけ実話をもとにした作品の見方を変えられたという人も少なくないだろう。私もその一人だ。
一つの事実を知るとき、私たちの想像力のその先に彼らはいる。
できるだけ多くの人の姿を心の中に留めていたいものだ
見方が難しい
見方が難しい。
戦場の臨場感とかで観る作品でもなさそうだし。
ちょっとテーマが大掴みすぎて簡単には感想が出てこない。勝者とは誰か、本当の英雄は誰なのか、そもそも戦争にそれらは存在し得るか。。たぶん答えないですからね、これって。その深淵に頭突っ込んで観る必要がありそうだけど、それはかなりしんどい作業ではある。。
それにしてもキャストの印象が残らないのはなんなのか。戦争映画は戦場での異常なテンションと極限の状況での精神性の擬似体験が個人的に重要だと勝手に思っていて、これはあんまりない。イーストウッドでもアメリカンスナイパーとかはある。シンレッドラインとかはそれがすごい。ま、そういう映画じゃないんだろうけど、もう片方も観てみないとなんとも言えないので観てからだな。。ラストはさすがにうまい。
英雄
もし自分が、星条旗を立てていたとしたら。
英雄に仕立て上げられたとしたら。
何も語らずに死んでいく方がいい。
そう思うかもしれない。
アルコールで全てを忘れ去ろうとするかもしれない。
でも、それは死ぬまで忘れることはない。
「英雄」に仕立て上げられた者が背負わざるをえないもの。
恐怖、悲しみ、怒り、惨めさ、失望、罪悪感。
英雄はずっと「何か」から
逃げて生きていかなければならない。
英雄に武勇伝を語らせようとするのは、
とても残虐なことなんだろう。
それでも死ぬ前に、
あの日のあの笑顔のことを思い出し語れたのなら、
生き延びてよかった、報われたような気持ちになった。
本当に、お疲れ様と言いたい。
両方観なきゃダメでしょ
父親と手紙、両方でワンセットですから両方観ましょう。
一旦戦場に出てしまえば、大義名分や建前は消滅して、ひたすら目の前の敵を倒す、仲間がやられたら悲しい、自分は死にたくない、の一心に集中され、弾に当たったら誰でも死ぬ、という意味では「米兵も日本兵も同じ」と言ったイースト君はその確信通り、どちらにも肩入れせず、善いも悪いも語らず、反戦も声高に叫ばず淡々と凄惨な戦闘風景の描写に努めたんでしょう。
その意味で、二作は表裏ではなく、同じ方向を向いた並列作品です。
敢えて比較すれば、父親は戦闘以降の話、手紙は戦闘以前の話に焦点をあてています。物語としては、父親が旗を掲げた六人は誰だ問題に終始しているのに対して、手紙は様々な階級の軍人の硫黄島に至るまでの人生が丁寧に描かれていてドラマチックです。手紙の方がオスカー候補になったのはよくわかります。
私も手紙は五点、父親は四点です。父親だけなら五点だったかも。
ただ、手紙の方はさすがのイースト君も日本語のニュアンスは演出できなかったと思うので、セリフのトーンがバラバラのきらいがありました。まあ、それは小さいことです。
戦争遂行者の余裕が小憎らしい良作
「硫黄島からの手紙」をさきに観てしまったので激しい硫黄島戦を米国側からがっつりと、と思ったらそうでもない。
かといってタイトルのような父子の関係性や、戦争を挟んだ世代間ギャップも主題ではないようである。
「硫黄島からの手紙」とセットで描きたかったのはおそらく立場の違いからくる戦争への関わり方の大いなるギャップ。とくに本作では、ひょんなことから突然最前線から本土へ帰され極めて政治的なショーへの関与を余儀なくされ翻弄されることになった兵士の目線から見た銃後の偽善ややるせなさが余すところなく浮きぼりになる。
最終的に本土も焦土となった日本と違い、米国本土で戦争を遂行する者と最前線で落命する者との差は最後まで激烈だ。
硫黄島の激闘(アメリカ目線)
イーストウッド監督×スピルバーグプロデュースによる硫黄島2部作のアメリカ目線編。
戦地の英雄に祭り上げられた青年たちの苦悩を描く。
戦争の悲惨さを思い知らせてくれる作品のひとつ。ストーリーは、回想形式になってるので、時間が行ったり来たりで、若干解りづらい…
それにしても、アメリカも結構ギリギリだったのね…
ポール・ウォーカーも出演してるけど、全然目立ってなかったなぁ~
戦勝国の虚しさを描くイーストウッド監督
「硫黄島からの手紙」と同時に制作されたイーストウッド監督の渾身の力作。激戦となった戦場を舞台に、日米両国の視点で描き二部作にしたイーストウッド監督の創作エネルギーに感服する。山頂に星条旗を掲げた兵士たちに、本土に戻って国債発行のPRの為にツアーがあったことを知る面白さと、そこに戦争の虚しさを同時に感じて複雑な心境になる。
残念なことは現在と過去のカットバックが説明不足な点で、容姿が似ていない配役の問題もある。特筆は、球場に作られた山頂のモニュメントで星条旗を掲げる再現イベントシーンの演出。戦闘場面は臨場感溢れ、迫真の壮絶感に包まれ圧倒された。この上で兵士一人ひとりの個性が映像上に焼き付けてあったならば、恐ろしいまでの傑作になったと思う。役者が弱い。
英雄を作るのは私たち…
改憲論者は、硫黄島での彼らの経験をする覚悟はあるのか。
英雄ープロパガンダ・資金集めのために演出され、作り上げられるもの。
そんなスローガン・偶像を必要とする人々。アイドル。他者と同一感を得られる存在。熱狂的な高揚感。
やがては脱価値され、忘れられる存在。そんな運命に翻弄される男たち。
トラウマの残酷さを際立たせている。
しかも、周りは無邪気にフラッシュバックを誘発する状況を作り出す。
戦場での役割の違い。生き残ってしまったことへの意味付け。支えてくれる人の存在。
自分がやってきたことが全否定されたら、自分から新しいものを見つけて「過去は過ち」というのならいいけど、自分を支える何かがないのに経験を否定されることは魂の殺人だ。だから、「戦争が悪」とかのベクトルだけで語ることはできなくなる。
それ以外にもこの戦争に直接関わった人々の悲劇がさりげなくまんべんなくちりばめられている。
今トラウマを抱えている人々が経験している物語。
かっての戦争の話であると同時に、今の私達の物語だと思った。
プロパガンダ
硫黄島の激戦は日本軍の地下壕を巧みに張り巡らせた捨て身のゲリラ戦により海兵隊史上最悪の戦傷者を出した。制圧の証の星条旗を掲げた兵の戦場写真(AP通信)が新聞紙面を飾ると国内の士気が高まったことから政府は当該兵士を召喚し軍費調達の為の広告塔に利用することにする。実際には何度か星条旗は深夜日本兵により日の丸に替えられ、その都度揚げなおされたようだ。
当事者にしてみれば壮絶な戦いで多くの戦友を目前で失った記憶や真の掲揚者ではないにもかかわらず本国に召喚され英雄と持ち上げられるギャップに心中穏やかでないのは察しられる。
なにか「プライベート・ライアン」に通じる戦争の恣意的な側面を垣間見たような実話に基づく映画であった。
アメリカという国
戦地の悲惨さと、アメリカ本土の空気がよく伝わってきた。
利用される兵士達
インディアンへの差別意識
戦後PTSDとフラッシュバック
メディアの使われ方
ナショナリズム
戦争そのものよりも、戦時のアメリカという国そのものを描こうとしたと感じた。
戦争の実像と虚像のはざま
本作は2006年公開だから、硫黄島の戦いから60年以上経過し、この戦いに参加した兵士は当時20歳とするなら80歳を超え始めたということ
彼らが死んでしまえばその戦いの記憶は、写真などしか残らない
つまり虚像だけが残されるのだ
それが何を意味するのかを本作は訴えている
アメリカは第二次世界大戦から、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン戦争、イラン戦争、そして現在は対テロ戦争を戦っている
ベトナム戦争はメディアがより戦場に入って実像を伝え、戦後には地獄の黙示録を初め多くの映画がその実像に迫った
では、それ以降の戦争の実像に映画は迫っているのか、実像を伝えているのか?を本作は問うている
現代の戦争は無人機が米国本土の基地にいながらにして衛星通信の遠隔操縦、はてはAIで敵を攻撃している
そこに戦争の実像と虚像のギャップはあるのか?
さらに大きくなっているのではないのだろうか?
このような問題を本作を観た若い者にクリントイーストウッド監督は君達の仕事だと問うているのだ
だからこそ、戦場のシーンは実際と見がまう程の迫真の出来映えだ
砲弾の炸裂音は実戦を経験した兵士は打ち上げ花火にとても似ているとよくいう
それを上手く映画に取り入れて効果を上げている
字幕でニューヨークでの式典のシーンでUnited Nationを国連とでるのはいただけない
これは当然「連合国」の間違い
このような大作の字幕で恥ずかしすぎるミスだ
日本語字幕製作陣は猛省してほしい
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