「かつて中学生だった皆さんに観てほしい一本」リリイ・シュシュのすべて talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
かつて中学生だった皆さんに観てほしい一本
<映画のことば>
自然は、生と死とが隣り合わせにある場所
「学校」という、ある意味での閉鎖社会にあり、社会的な経験がまだまだ乏しい中で、成長に伴って、肉体的には大人へと変わりつつあるという不安定な状況の彼・彼女たちが活写されていた佳作だったと思います。本作は。
評論子のように馬齢を重ねてしまい、生きてきた時間の長さに比べて、これから生きていく時間は圧倒的に短いという者ならいざ知らず、人生の竿頭に立ったばかりの青少年は、肉体的にはともかく、まだまだ精神的には未熟で(社会的な常識に基づくような)「歯止め」が効きづらく、いじめなどもエスカレートしてしまい勝ちでしょうし、(充分な社会的経験を積んだ大人にしてみれば)些細なことからも大きな影響を受けてしまう―例えば、有名人の自殺報道などに影響されてしまって、簡単に自死を選び取ってしまったりすることも、世上、よく見聞きもすることだと思います。
実経験に世界がまだまだ狭いだけに、外界から受ける影響も、それだけストレートなのだと思います。
本作のリリィ・シュシュから受ける影響のように。
その意味では、上掲の「映画のことば」のとおり、生と死との境界が曖昧で、両者が隣り合わせになっている世代とも言えるのかも知れません。
1970年から80年頃にかけては「荒れる学校」とか言われて、特に中学生の非行や校内暴力、そしてそれに対抗するための厳しい校則や教員による熾烈な体罰など、大きな社会問題にもなりました。
今は、そんな風潮も耳にはしませんが、彼・彼女らの「不安定さ」は、何も変わっていないのだろうとも推測もされます。
少女(少年)を描かせたら、右に出る者がいないと評される岩井俊二監督ですけれども。
本作でも、その世代の「瑞々(みずみず)しさ」を余すところなく描き出したという点では、同監督の魅力か遺憾なく発揮されている一本とも評することができると思います。
評論子的には、以前に中学生だったことのある大人には、ぜひ観てほしいと薦(すす)められる佳作であったとも思います。
(追記)
「パソコン通信」というのは、令和の今では死語になっている言葉だとは思うのですけれども。
思い起こして見れば、MS-DOS(このWindows全盛の時代に、それ自体がもはや死語か?)の黒い画面に、カーソルに導かれて白い文字が次々と現れて、それなりにコミュニケーションができたのも、懐かしく思い出されます。
「パソ通」という略称とともに、久しく脳裏に埋もれていた感慨を思い起こすことになった一本でもありました。評論子には。