許されざる者(1992)のレビュー・感想・評価
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昔懐かしい感じの西部劇。ラストの撃ち合いの迫力はさすがだった。保安...
昔懐かしい感じの西部劇。ラストの撃ち合いの迫力はさすがだった。保安官も賞金稼ぎも見方によってどちらも許されざる者となっていく。善悪ははっきりつかないが人殺しが罪なのは間違いなく、結局両方とも悪なのだろう。
名作バランス映画
正義とはなにか・・・。
腰抜けました、凄すぎ
最高にして、最後の西部劇
最後の保安官との対決はこれ以上の西部劇はない
雷鳴轟く中、雨が叩く路面をカメラがなめて遠目にサロンを写すシーンから続く展開は神レベル
イーストウッド、ジーンハックマン、モーガンフリードマン役達者ばかり
相棒の死を知り10年来飲んでない酒をあおってからの、歯止めが吹き飛び冷酷な男に戻ったことを象徴してからの演技の凄み
特にカウンターでまた飲んだあとのシーン
一瞬のためらいをみせるも、結局、許す事をせず止めをさすシーン
彼こそが許すことができなかった男だ
静まりかえり拍車の音だけを響かせサロンを去るシーンに続き、全てが終わり呆然と見送る娼婦たちの表情!
それは本作を観た私達観客の鏡だ
もうまともな西部劇を撮れるのは自分しかいない
その自負をもって、主人公の設定も、時代設定もまた西部劇の最後の時代を描いてみせる
つまり自らハリウッドの西部劇を締めくくってみせたのが本作だ
西部に帰ってきたイーストウッド
真面目に撮った西部劇
見たことのない西部劇
悪名高い悪党と対峙し、決闘の末物語が終焉する今までの西部劇をひっくり返すほどの衝撃でした。
主人公をはじめとした人物が丸腰の相手に躊躇なく引き金を引く。西部劇でそんな光景を見たことがあったでしょうか。
登場人物全てが欲にまみれ暴力を行う。人間は誰しも正義と悪の二面性を持った生き物だと訴えかけられたようでした。
映画ではよく主人公が際立って美化されがちですが世界はそう単純ではなく容赦ないのだと実感させられました。
リチャードハリスはフルボッコにされ、モーガンフリーマンはなぶり殺しに。とにかく容赦の無さはすごい。
マカロニウエスタンの色がとても濃い。
酒乱
「アッ、こいつ呑んでしまってる!」重要な瞬間なのにさりげない、自然と瓶に手が伸びる。イーストウッドらしい演出。
酒場に戻ってきた時のたたずまいの凄み、他を圧する。最初に店の主人を無造作にヤルのもいい。プライオリティに意味がある。人を殺めることの精神的負担について、滑稽なまでの銃撃シーンを見せておきながら、ここでは躊躇いがない。人の心を失ったのだろう。いやはや、酒の力は恐ろしい。
様々な変化球がさりげなく投げ込まれてくる。先の銃撃シーンもそうだ。「パスっ」といって最後にヒットする。仕留めた感がうっすら表情に滲む。「エッ?効いてるの?」と聞いてしまう。本人はまだ動いているし。しかし、じわじわと弱る。「ああ、効いたんだ」と気付かされる。
ジーンハックマンの牢屋での緊張感も良い。非情な覚悟で秩序を護る者。漢の中の漢。しかし、本人が少しドヤ顔しているのは、イケテナイ。下手くそ大工のことに触れられると、マジ切れされる。そのイケテナイ感の方が最後まで延伸される。
ダーティーハリーのおっさんが監督業に手を出して成功したというのが当時の印象。今や巨匠。同じような転身の成功事例の先駆けにもなった。イーストウッドらしさ溢れる名作である。
銃と暴力が支配する世界。許されざる者とは?
ネットで視聴(英語字幕)
舞台の背景は1881年のアメリカ西部。
アメリカではまだ西部劇の真っ最中だが、ヨーロッパに目を転じると、イギリスはヴィクトリア女王治下の最盛期の時代。
「デビッド・コッパーフィールド」が発表されたのが1850-51年。
作者のチャールズ・ディケンズが亡くなったのが1879年。
ジェーン・オースティンの「高慢と偏見」は、70年あまり遡って1813年。
フランスは第3共和制の時代で、パリ・コンミューンが10年前の1871年の5月。
「ボヴァリー夫人」(1856年)の作者フロベールが1880年に亡くなっている。
ドイツは鉄血宰相ビスマルクの時代。
「資本論」(1867年)のカール・マルクスが亡くなったのが1883年。
ロシアはアレクサンドル2世の時代。
ちょうどこの年、1881年にドストエフスキーが亡くなっている。
代表作の「罪と罰」は1866年、「カラマーゾフの兄弟」は1880年。
日本は1868年の明治維新を経て、立憲運動が盛んになっていた時代。
1881年は国会開設の勅諭が出され、板垣退助が自由党を結成した年。
こういうふうに、1881年は、ヨーロッパでは資本主義・帝国主義の爛熟と国家間の衝突が眼前に現れつつあり、後発国である日本も、列強に追いつこうと国家体制の整備を急ピッチで進めていた時代。
一方、アメリカでは、住民が拳銃を振り回しながらマン・ハントをやっていた。
オースティンやディケンズが描いたイギリス中流社会や、フロベールの田舎風景、ドストエフスキーによるペテルブルグの地下生活に比べると、いかにも野蛮で、文明の遅れが目立つ(今も?)。
映画ではイギリスから来たガンマンが登場するが、アメリカはこの時代、はぐれ者や冒険家たちが、一攫千金を夢見て数多くやってきたのだろう。
かれをはじめ、主人公のマニー(クリント・イーストウッド)も、友人ネッド(モーガン・フリーマン)も、保安官リトル・ビル(ジーン・ハックマン)も、みな荒々しい無法者で、暴力や殺人を意に介さない。
町の人間たちもその点は同じだ。
人を雇って殺そうとする娼婦たちも。(実際にカウボーイが殺されている)
唯一まともそうなのが、ネッドのインディアンの妻とマニーの子供たちだけという世界。
銃と暴力が支配するこの世界で、許されざる者というのは、はたして誰を指すのだろうか。
映画は傑作。
何度見ても見飽きない。
ヒーローか、はたまた
アカデミー賞❗️
あえて言おう、「名作」であると
名作という印象はない映画
今やるとしたら、パロディにしかなり得ない西部劇、芯を食って評価された最後の映画になるんでしょうか。オマージュに走るか、「ジャンゴ」みたいに違う方に飛んでいくか。
日本でいう「用心棒」みたいなつくりの時代劇もそうかもしれません。
意外と効いているのがあの小説家。重要なシーンで場を繋ぎ、背景説明の役割も果たしているという。
でもなぜか特別、名作という印象はない映画です。
pride and forgiveness
プライドを傷付けられ娼婦の顔を斬りつける男。
娼婦のプライドを傷付けられたと、誇張した被害で男の殺害に賞金をかける娼婦仲間。
殺した人数ほどガンマンの誇りと威張る若者。
嘘と紙一重の武勇伝を書き残そうとする者。
銃を規制し、暴力で威圧的に町を支配し、権力の維持に努める保安官。
Bill MunnyとNedだけは、殺した数にも武勇伝にも、虚しさだけで、何の意義も見出せないことを知っているようでした。
人を傷付けたり、命を奪ったりしてまで守るプライドはあるのか、生活のためとは言え、こじつけの正義を掲げて、賞金稼ぎに人を殺していいのか。
つまらないプライドを守るのではなく、許しあっていれば悲劇は広がらないのです。劇中、許す機会を与えられながら、誰一人相手を許そうとしないので、自らも許されないのです。
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