劇場公開日 2025年10月24日

「どひゃーーー! (2回目の追記も)」もののけ姫 のぞみさんの映画レビュー(感想・評価)

未評価 どひゃーーー! (2回目の追記も)

2025年10月27日
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鑑賞方法:映画館

今になって評価する必要なんてないよね。というよりできません。

腰据えてみるのはちびっこだった時以来だと思うので30の誕生日に観た時に思ったことを書こう。
大きく3つ

1
冨樫作品を彷彿とされる演出がいくつかあるなって思った。
10人がかりで開ける城門は試しの門みたいだし、たたらばでエボシとサンの間に入る時の呪いの見せ方は厨二病の代名詞のアレだったり。一般的な表現なんだろうか。時代的にはかなり近いみたい。

2
高校生の時から原作ナウシカを何回も見返していてこの度もののけ姫をみて強く思ったのが
「底の見えない絶対的な腐海」と、畏れられてはいるものの大陸からの技術なども入ってきて「少しづつ削られ開発なんかもされてしまっているシシガミの森」
その2つを対比して見てしまったからとても切なかった。人間の飽くなき欲望は神すらも殺してしまう。視聴者、第三者からしたら無粋に見える行動も実際にそこで生きている人間からするとその日を生き抜いてより良い未来を獲得するための最善手でありとやかく言われるものではないのだろうけれど。ままならないものだね。
こだまに焦点当たりがちだと思うけれど森に飛んでる羽虫って大王ヤンマ、、?

3
フルセルじゃないとイカンっては思わないし心が震えればどんな手法だってそれが正解だと思うけれど、それでも安心みたいな感情が出てくるな。ジブリ、駿の狂気について語るのは今更なのだろうけれど。今作は2時間の長編ということもあって、お子ちゃま連れでご観覧なさってるお客様の影が野を駆けるアシタカさながらにトイレへ急ぐ様子が何回か見られた。そんな長時間全く退屈させない密度感はさすがとしか言えない。
劇場で見るのはそれはそれは特別な体験なのだろうけれどリモコンで止めながら画をゆっくり舐め回すように見たいシーンが矢継ぎ早で溺れてしまいそうだった。そんな中でも導入の祟り神のうねうねと四つん這いで走り回る冒頭の1カットに衝撃を受けた記憶はある。しかし具体的にどのカットか思い出せないし文字に起こすことができないのは悔しいから、明日また見に行こうかと考えている。

私が見たシアターは2kって注意書きがあったけれど、後ろのブロックの最前列で見ても全くつぶれてるようには見えなかった。4kかどうかは取ってつけた付加価値みたいなものなのかなって思った。この時代ブラウン管で見たとしても十二分に楽しめるだろうし、かえってローファイ感があってエモいって言葉を当てがわれるのだろうな。

とにかく素晴らしい体験でした。

2回目の感想
曇りのないまなこは見なくてもいいものまで見通してしまうのかもしれない。

今回は腐海との対比よりもこの前気になったカットを探すのに集中してた。問題のシーンはオッコトヌシにサンが飲み込まれた時の表現だった。完全に自分を見失った時大きな羽の生えた化け物になってる時のハウルだ。とするならばアシタカがソフィあるいはナウシカとも言えるかもしれない。「まなこ」って言葉が何回か出てくるから目の表現に注目ひて鑑賞してたら、上記の2人とエボシが同じ目をしてる。オッコトヌシに飲み込まれてるサンの腕自体からモニョモニョが生えてた。あの呪いは呪われたんじゃなくて自分を呪ってるんじゃないのか?アシタカも清廉潔白純真無垢とは考えられないし、2人の女性の中に夜叉がいると看破したということは自分にも似ているところがあるのだろう。駿作品で言うとソフィもポルコも。ナウシカは自分の中に闇があることを認め皇弟と言う呪いに当たる部分も自分の一部だとうけいれている。自分を呪っているって言い方ができる人物は散見されるのでその文脈でこれも見てもいいと思う。
モロの目は特別綺麗だ。石火矢を受けて人間に対しても強い憤りを持ってるから条件が整ってるはずだけれど彼女は祟り神にはならない。何よりサンを特別可愛がってるし人間を盲目的に恨んでない。エボシの石火矢を受けたのは本来はかすりもしないだろうが胸に受けたのということは自らを試したのかもしれないし、罪滅ぼしみたいな側面もあるのかもしれない。タタラ場を攻められてるのを知らせに来たモロの子供とアシタカは正面から臆せず突っ込んでもなんともないような表情なのだからモロなら避けれるあるいは当たらないような襲い方をするはずだ。メタ読みするなら本来ルパンに弾が当たるはずないのに当たるということは何かしら意味があるみたいなかんじ。総じてあの深い藍色の眼を持つものは業を背負って言い切らせてくれ。
あえて社会批判を描いてるとするならば環境破壊というより宗教戦争、代理戦争の要素が強く感じた。ベトナム戦争とかね。呼んでもないのにシシガミの森へ来たオッコトヌシの一族にモロは苦言を呈してた。動物たちはシシガミを自分たちを救済する神だと信じてたけれどそれも手前勝手な話だ。描きたかったのは批判じゃなくて諸行無常なのだろう。

のぞみ