「平和なようで」ミツバチのささやき りかさんの映画レビュー(感想・評価)
平和なようで
スペイン内戦がようやく終結した翌年1940年
スペイン北部に巡回映画が来た。
タイトルは『フランケンシュタイン』
イサベル、アナ姉妹は、
喜び勇んで椅子を持って駆けつける。
作中で、
アナと同年齢の女の子がフランケンと
楽しく仲良く遊ぶシーンが映し出されていた。
アナの父は養蜂業を営む。
アナの家の窓ガラスも巣の模様の六角形。
アナは蜜?を運ぶミツバチ🐝、
母は、だいぶ若く父とは年が離れている様子。
後妻らしい。母は誰かに熱心に手紙を書いている。
内戦で、別れて来た人に向けて。
荒地の真ん中にポツンと経つ農業用の小屋。
数日前、列車から飛び降りた男が傷を癒やすべく身体を横たえていた。
どこかから逃げて来たようだ。
野原を走り回っていたアナ
小屋に辿り着き男を見つける。
誰?私のフランケン❓
鞄からりんご🍎を取り出し
男に渡す。
次の日、家からパパの上着を持ち出してきて
男に着せてあげる。ポケットにはオルゴール付きの懐中時計。
数日後、小屋に立ち寄ると
誰も居なくて、
床に血痕が落ちているのを見つける。
アナは想像する、
かくまっていたフランケンおじさん、
パパに殺されたんだ。
母は、届いた封書の中を読み直ぐ燃やす。
かっての恋人からだったのか。
恋人は、一目会いたいと書いて来て
実際、会いに来るところだったのでは⁉️
夢の中だけで会えるフランケンおじさん。
思いっきりおしゃべりしたり遊んだり‥‥。
男は、あっけなく殺されてしまった。
かっての恋人に会いたいと、必死の思いで
やっと辿り着いたのに。反体制派に見つかったために。
パパは思う。自分の上着を届けたのは、
妻ではなく娘のアナだったと。
イザベルが死んだ真似?をしていたが、
本当に亡くなったのかどうか⁉️
後の場面で、衰弱したアナを見舞いに来たが、
その横のイサベルのベッドの寝具は片付けてあり、
アナを診察したドクターも、意味深な発言。
「アナは生きているから。」と。
もし、そうならなぜ⁉️となる。
と勝手に書いてからwiki見たら、当時恐怖的な独裁政治で、反対意見など恐ろしくて言えない時代。
反フランコ政権派の監督は、
冷え切った夫婦仲を、内戦による分裂。
荒涼とした荒野を孤立したスペイン政権。
ミツバチを統率は取れているが想像力のない魅力にかけると揶揄している、‥‥難しい。
過分なコメントに恐縮しています。この頃は瞳をとじての公開もあり、度々見られました。映画を見るのに恵まれた環境、感謝しないとですね。
りかさんのコメント、目から鱗でした。確かに片付けられたベッドに強い違和感があったのは覚えていますが、そこまで思い至りませんでした。
返信いつもありがとうございます。揶揄されたという〝想像力〟のなさ。なるほどですね。
アナの姿は大切なものを表していましたね。
戦いは今も。
家庭内、学校、地域、職場、などで起こるあれこれも小さな内戦なのでしょう。無駄にされていく命の重さを、学ぶことができない人間の愚かさを辛く思い考える作品でしたが、
最後のアナのささやきは前をむく想像力が願う心でした。
お返事をありがとうございました。
あれ?12/25にいただいたコメントでは「やはり、イサベルは亡くなっていたように思えました。」とお書きなられていましたが?
「何の事件も無くイサベルが亡くなっている」とコメントにありますが、イサベルが倒れていて、アナがイサベルに呼びかけても、手を持ち上げても、だらりと落ちてしまう「死体ごっこ」と言われるあの場面ですが、その前に事件?と思われるようなことは起こっています。
アナは父の部屋にいて、何かが倒れるような音がして、音がしたところに行くと、イサベルが倒れている。庭に通じるドアが開いておりカーテンがたなびいていました。
①イサベルが、吊り下げられていた鉢を見ていたが、踏み台を踏み外して落ちた。音はその時の音。ドアは元から開いていた。
とも見れるし、
②侵入者に驚いたイサベルが踏み台を踏み外した。もしくは侵入者がイサベルに何らかの理由で暴力をふるって、落ちた音。
③鉢も下に落ちていたので、イサベルが落としたか、侵入者が落としたかでイサベルに当たって、イサベルが倒れた。
というようにも見えます。
イサベルを心配するアナが意味ありげに、開け離れた窓の外を見るショットが挟みこまれて、いかにも侵入者の存在を暗喩するようなシーンになっています。
町山氏の監督・スタッフへのインタビューをもとにした解説を教えてくれたiwaozさんのコメントによると「監督曰く「私はアナ」というセリフは、スペイン国民に対して、希望を捨てずに新しい国を作っていこう、という呼び掛けだったらしいです。」だそうです。
私としては、イサベルに投影された「問題意識の無い若者」は「いらない」ということではなくて、今のまま今の政権に従っていたら死んでしまう・未来はない・殺されてしまうと言いたいのではと思っています。そして、精霊となったイサベルに上記の呼びかけをしているのかしらと。
死んだふりしている「イサベル=問題意識の無い若者」に上記の呼びかけをしているのだとしたら、現状が危ないことには気が付いて「問題意識の無い」ふりをしているのだから、まだ未来は明るいですが。
監督・スタッフへのインタビューをもとにした町山氏の解説は、私の子のレビューのコメントにiwaozさんが書いて下さっているのでお読みください。
再コメントありがとうございました。
再視聴されたのですね。すごいです。
ベッド。アナの看病のために邪魔だから片付けた。イサベルは別の部屋で寝ているといった方もいました。
でも、りかさんもおっしゃるように、会話の仕方が変わるので死亡説を考えてしまいました。
医者が「アナは生きている」の対に、「母が手紙を書いた相手は死んだけれど」として、イサベルには言及していない解説もありました。
レビューにも記載しましたが、火渡りは世界各地にあり、日本でも山伏等の修行とか、檀家等の素人が行事として行っているところもあります。護摩焚きやどんと焼き、お寺で、その煙を体に待とうと無病息災とか。
Wikiで調べたところ、きちんとしたやり方を守れば、火傷はしないそうです。
半面、私が暮らしたラテンアメリカの死者の日のイメージが強く、イサベルの火を飛び越える遊びに投影してしまいました。アナも一緒にやっていたら、そういう連想はしなかったと思うのですが。アナは遊びに加わらないどころか、遊んでいる子どもたちとも話していません。
イサベルの死は決定事項ではなく、他の可能性もあるので、監督に確かめたいのです。
以前のコメントにも記載いたしましたが、
町山氏が監督に聞いた話だとイサベルは「問題意識の無い若者」のメタファーだそうです。つまりイサベルが死んでいるのだとしたら、「問題意識の無い若者」がいなくなる(為政者に殺される)ということでしょうか。
そして、ラストのアナの呼びかけを「自我の目覚め」を表しているのだという解説は多いです。
つまり、「問題意識の無い若者」に、目覚めを呼び掛けている? 問題意識の無い若者が、当時のファシズム為政者に懐疑を持つようになる自我の目覚めを呼び掛けているのではないかとも解釈ができるのではないかと、一人勝手に興奮しています。
まあ、死んだふりしていても、死んだふりしていないで目覚めてよというメッセージなのかもしれませんが。
あくまで私見なので、ご意見を頂けましたら嬉しいです。
お返事をありがとうございます。
悲嘆の乗り越え方に、何かのせいにし怒りを持つで、生きるエネルギーを得るという段階があるという研究があります。怒り=アグレッションは、日本語では攻撃性と訳されてしまいますが、広義には前に進む力でもあります。
その何かのせいが自分のせいであったとしたら。勿論、災害や事故でも「あの時ああしたら」と自分のせいにして悔やむ段階もあるのですが、つらいです。
ラストのアナの呼びかけを「自我の目覚め」と解釈する方々もいます。
なので、”問題意識の無い人々”が”自我”に目覚めたら、自分たちの置かれた状況に向き合いだすのでしょうかね。
専制政治下、歴史が動き出すのかなと思うとわくわくします。
共感とお返事をありがとうございました。
生きた年月の長さは関係なく、大切な人を失うのは心痛はなはだしいですが、やはり幼い子というのは心引き裂かれます。しかも、病気とか災害でなく、自分の不注意となるとやり切れません。
他の方のレビューでさらに思惑が広がります。
町山さんの説をiwaozさんに教えていただいて、「姉は、フランコ政権下で生まれて、現状に問題意識の無い若者たち。」なら、その姉が死んでいるのなら、ラスト、アナは現状に問題意識の無い若者に、「生き返れ」と呼び掛けているのでしょうし、
問題意識の無い若者が死んだふりをしているのなら、その若者は、死んだふりをいつかやめるのかなと考えると、わくわくします。
コメントをありがとうございました。
子どもの動向が気になるのは、職業柄ですかね。
また、先輩が幼子を事故で亡くした時の心痛がまざまざと心にきざみつけられていることも引きづっているのかもしれません。
「よくわかる」というのなら、りかさんのレビューの方がわかりやすいと思います。
私の方は、特にドラマチックな展開もない、わからないことだらけの映画なのに、なぜ、ここまで緊張が続き、ひきつけられるのだろうという、自分の見たものを綴っただけで、お恥ずかしいです。
私の疑問に、いろいろな方が反応してくださって(揶揄されたものもあり憤慨しましたが)、町山さんの解説を教えて下さったコメントもあり、そのことで、さらに、この作品のすごさが深まった気になりました。感謝いたします。
共感ありがとうございます。
町山解説とか無くても残る作品でした。創造の自由を制限されているのは、想像は出来ても我々は当事者ではないので、あまり鬼の首獲ったような解説等はしてほしくないです。
りかさんへ
もちろん、ある方=りかさん、です😊
りかさんの情報、本当に感謝でした。
でも「エル・スール」は少し不満があり、この作品を再鑑賞するのであれば、また、観るチャンスがあればですが、アナ・トレントが「ミツバチのささやき」の3年後に主演した「カラスの飼育」をお薦めしたいところですね。別の監督作品ですが、こちらもアナの魅力一杯の作品でしたので。
夜分、失礼いたしました。
今後とも宜しくお願いいたします。
りかさんへ
りかさんから導かれたかのように、近所の図書館で「エル・スール」のDVDを発見。内容に反するように静かで美しい作品でしたが、作品としては「ミツバチのささやき」の方が優れているようには思いました。
鑑賞の機会を頂くマジックのような情報、本当にありがとうございました。
「バービー」にコメント、お尋ねありがとうございます。
私のうちはJ:COMというのに加入してまして、チャンネルがBSとCSのチャンネルが60位あるのです。
それ以外にJcomオンデマンドというのがあって課金すると新作映画が
観れます。
Amazonでも昨日から配信してますが、TV画面で観たいので、2780円出して
観てしまいました。
映画館へ行く交通費を考えれば、まぁ良いかな?と思って
観てしまいました。
りかさんはAmazonプライムも加入ですか?
Amazonもすごく太っ腹ですよ。
課金なしで新作随分観せて貰いました。
「岸辺露伴ルーブルへ行く」とか、「ケイコ目をすませて」とか
課金なしですよ。お世話になっています。
あと他になんでもお聞きくださいね。それではまたね。
りかさんへ
良い情報を頂きました。
「エル・スール」は、もう38年前にロードショー鑑賞をしてから観ていなかったので、近々是非との作品に昇格です😊
それにしても、10年に一度の寡作監督と言われたエリセ監督だったにも関わらず、日本では「ミツバチ…」と「エル…」は同じ年の公開でしたから、その点につきましては、現在はほぼリアルタイムで観られる良い時代ですね。