「無我夢中の美しき日々。許される事と、許されない事の一本の綱渡りの物語。 でも美し過ぎて。」みじかくも美しく燃え きりんさんの映画レビュー(感想・評価)
無我夢中の美しき日々。許される事と、許されない事の一本の綱渡りの物語。 でも美し過ぎて。
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是か、否か。
軟弱か、硬派か。
スパーレ中尉は、追ってきたかつての部下をこう諭すのだった
=我々は多くの物を見過ぎた、
=いまは近視眼的になるべきだ。
そして青年将校は草上に横たわり、目の前の草に見入り、その他の世界がぼやけて見えなくなる事を部下に勧める。なるほどなぁ。
”脱走兵“を追って一週間。
部下がようやく見つけたのは ― 金色の野に遊び、キイチゴを摘み、さざ波に魚を求むる若者たちのそれだった。
カメラも敢えてピントをぼかしている。
柔らかい木綿のブラウスを脱ぎ、ヒゲ剃りのクリームと練乳のクリームにたわむれて笑い、
細い細い綱渡りの「あてどもない道行き」を燃えていく二人。
この美しい恋人たちにモーツァルトとヴィヴァルディの甘美な響きが寄り添う銀幕。
・・
原題「Elvira Madigan/エルヴィラ・マディガン」はヒロインの名前だ。原作の実話小説ではこの彼女が主人公であり、よりストーリーの表に出ていたという事だろう。
◆女優ピア・デゲルマルクは、撮影時には17歳(撮影当時17歳だが、役柄は21歳の設定)。
◆スパーレ中尉をトミー・ベルグレン(同じく撮影当時30歳、役柄では34歳)。
つまり、ひと回り上の、妻子のあるいい歳の大人が、身分違いの旅芸人に夢中となり、国境を越えての駆け落ちの逃避行なのだが、
でも、
《それで良いではないか?》と美しい青い目でこちらに問うスパーレを見ていると、僕もその目に引き込まれて《それでも良いのかも知れないと》思えてくる。
森鷗外の「舞姫」もプッチーニの「蝶々夫人」も、現地妻にAddictした挙げ句に女を捨てている。”貴族のボンボンが芸人に身をやつすスキャダルストーリー“は、男女共によくある話で、メロドラマ的には共感と感涙を絞るのだろう。
しかし、スパーレは“情婦を棄てなかった”。
「こういう生き方が認められる世の中がいつか到来するのだ」と、劇中この色男は未成年女子に告げていたっけね・・
本作が作られたのは1967年だ。若者が野に出て行った時代で、全世界でヒッピーたちの「フラワー・ムーブメント」が盛んになった頃だろう。
・・
今回とくに意外だったのが、テーマBGMに使われたあの「モーツァルトのPコンの21 番第2楽章」。ずっと最後まで聴かせてくれるのではなく、冒頭の触りだけを幾度も繰り返していて、それはベッドでも野原でも“ブツ切り“で流していた事。その違和感。
◆“最後まではイカない”二人の肉体関係様なものを思わせて、
◆そして夕日が沈む干潟でのシーンが、モネの最初期の印象画のようで泣けるほど美しくて、
◆時の経過をエルヴィラの靴が徐々にくたびれて汚れていく観察で見せている。
◆そうして「終わっていく二人の行く末」を37歳の監督は見つめていた。
許される事と、許されない事の一本の綱渡りの物語。
でも美し過ぎて。
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