マイ・プライベート・アイダホのレビュー・感想・評価
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昔の映画はムダがない
1991年の映画は
キアヌ・リーブスもリヴァー・フェニックスも壊れそうな若者特有の雰囲気を纏う。
セリフや説明は少なくとも、伝わってくるのは
素晴らしいなと思う。
最後のシーン、あれはキアヌよね?
遠すぎてはっきりしないけれど
余韻を残す映画。
もうこの二人のイケメンを見るだけでも鑑賞価値あります!!
今回目黒シネマで大好きな二人の超イケメン映画のリバイバル、見たことあったかなー?わからんけど見たいから見よ!って思って見たら、やっぱり見てましたー✨
えちちなシーンの静画シーン見て、あ、これ見たわ、この静画シーン不思議すぎる、って思ったんだったわ、って思って。
若い頃に見たよりはずっと心に残ったと思います✨同じウリをやってるイケメン二人だけどバックボーンがまるで違う。かたや、自分の出生もよくわからず、一緒にいるカレを恋愛対象で好きなマイクと、かたやめちゃくちゃ実家太い、ウリやってるけど嗜好はストレートなカレ。パッと見ると二人は同じ感じだけど、心の中の空虚感が違いすぎる…そしてストレートなカレはあの時の自分を過去の若気の至りという感じで整理をつけてるのに、マイクは相変わらずそこから抜け出せず…もう発作を起こした時のカレを温かいベッドへ運んであげる人はなく、ラストシーンではまたどこかへ連れ去られてしまうマイク…
薬物乱用によって死んでしまった(と言われてる)リバーフェニックスにあまりにも似ているキャラ設定が見ていて心が苦しくなり、嘘でもいいからハッピーエンドにしてほしかった…。
見てよかったです✨見ておくべき映画。
ストーリーは??も、主演2人は美しい。
ストーリーに関しては、正直よくわからなかった…。
マイクのナルコプレシーの設定について、あの男娼たち?のコミュニティやボス?の死について、マイクの家族の問題について、スコットの父親との関係についてなど、わかったようなわからないような…。
こちらの解釈が足りてない&追いついてない部分も多々あるとは思うんだけど、それにしてもわかりづらかったような気がする。
あとマイクとスコットの関係はこの作品の一つの肝だと勝手に思ってたのでもう少し深掘りして欲しかったと
いうのが個人的な感想。
あと詩的なセリフまわしや、意味深(アート?)なカット割も個人的には混乱。
でもそんな点は置いておいても、若きキアヌ・リーブスとリバー・フェニックスは美しくて素敵だった。
(というかストーリーにいまいち乗れなかったので、途中からそれだけを楽しみに観てた。)
スコット役キアヌの整った美しさと、マイク役のリバーの危うい少年のような無垢さと美しさ。若さってそれだけで一種の暴力だなあと思う。
告白する消え入りそうなマイクに、スコットが困惑しながらも「そんなことはいいから一緒に寝よう」とマイクを手招きするシーンも美しかった。
リバー・フェニックスの人生が重なって
リバー・フェニックス本人そのままのような、主人公の存在感が凄かった。
「もっと普通の家庭に生まれていたら、もっとまともな生き方ができた。」という主人公の嘆きがリバーさんの人生に重なって切ない。
悲しい出生と持病とその日暮らしの売春生活。そんな生活から一緒に抜け出そう、嘆きの根源である母親を探そうと声をかけてくれた友人を好きになるが、友人はノーマルなので好きな女性を見つけて去ってしまう。主人公は激しく打ちのめされながらも、元の場所に戻り、元の生活を再開する。後にそんな彼を見つけた友人は心を揺さぶられたのだろう、途中で放り出した彼の母親探しに再び付き合ってくれるような、そんなことを想像させるエンディングで、少し心が慰められた気がした。
【”少年から大人へ” 一直線に伸びるアイダホの道を通って、孤独な魂は何処へ・・。】
かなり、難解な話だと思う。もしくは、色々な解釈が出来る物語と言っていいかもしれない。
冒頭、「ナルコレプシー」の定義が流れる。(故、色川武大さんが罹っていた病としても有名。)
場面は”ある一直線に伸びる道で、ナルコレプシーの発作で気を失ったマイク(リヴァー・フェニックス)を腕に抱きかかえる女性の姿が映され、
そして、マイクが体を売るシーン。
更に、ポートランド市長の息子、スコット(キアヌ・リーブス)も同様の生活を送っている事が描かれる。
ー故、リヴァー・フェニックスとキアヌ・リーブスはタイプは違うが、当たり前だが、凄い美青年である・・。ー
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■今作は、場面転換のスピードが速い。
・マイクがスコットと母親を探しにポテトの国”アイダホ”に行くシーン
ここでは、二人が焚火を囲んで話すシーンが秀逸。マイクのスコットに対する思いが発露する。マイクを抱きかかえるスコット。
・マイクの兄から母はイタリアへ行ったと言われ、”イキナリ、ローマ”
更にイタリアの田舎で出会ったカルミラという少女から、”ここにはもういない。戻った”と言われ、又、ポートランドへ。
■今作は、不思議なシーンも多い。
・マイクとスコットが男性用ポルノ雑誌の表紙になっていて、会話をしているシーン
・スコットがイタリアで出会ったカルミラとの絡みのシーン(マネキンのような静止画?)
・ハンス(ウド・キア)とマイクとスコットの三つ巴絡みシーンも静止画?
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ポートランドでは、スコットは三つ揃えのスーツをビシッと着こなし(キアヌ・リーブス更に男前・・・)、父の後を継ごうとしている事が分かる。
彼と、マイクを体を売る道に連れ込んだ、ボブに対し、
”お前は、サイケデリックな元教師。亡き父より愛情を感じるが、もう戻らない。近づくな!”と宣言し、ショックを受けたボブはショック死。
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そして、スコットの父の葬儀をする脇で、大騒ぎをするボブの仲間達。その中にはマイクもいる。
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ラスト、再び場面はあの一直線に伸びるアイダホの道。
しかし、今回はスコットはおらず、マイクのみ・・。そして、ナルコレプシーの発作で気を失ったマイクの脇にトラックが停まり、マイクの鞄と靴を持って走り去る・・。
そして、又別の車が通りかかり、マイクを乗せ走り去る・・。
<一度見て、内容が一部掴めずに再見して、漸く、薄らぼんやりとガス・ヴァン・サント監督が言わんとしている事が分かったような気がした作品。
が、アイダホの広大な一本道の映像は美しく、そして若きリヴァー・フェニックスとキアヌ・リーブスの姿も圧倒的に美しい作品でもある。>
My Own Private Idaho
希望を感じさせる青空の下で、その果てしなさに絶望を覚えるような道がどこまでも続いている。その中心で「この道はどこまでも続く」と伝うマイクのモノローグは、明らかに救いのない展開を示唆しているようで、冒頭から観ているのが辛かった。気絶するように道端で眠ってしまうのを観てしまったら、なおさら。
この映画を単なる「青春映画」とカテゴライズするにはあまりに救いのない重苦しいストーリーだと思った。同性愛、近親相姦、ナルコプレシー、ドラッグ、売春、ホームレス…これでもかと普段目を逸らしてしまいがちな人間社会の側面が詰め込まれていて、不健全な若者たちを直視する恐ろしさを感じた。
端から出自や身分に差がありながらも、親友として時間を共にしてきたマイクとスコット。マイクはスコットへ「君が好きだ」と告げるも、スコットが「セックスはお金のためであり、お金のため以外で男同士が愛し合っちゃいけない」と言い放つシーンはとてもやるせない。その後もマイクの父親は実の兄であることがわかったり、母親を訪ねて来たローマにはもう母親はいないどころか、その農場の娘であるカルミラと恋に落ちたスコットは二人でアメリカへ帰ってしまうなど、マイクはどんどん孤独へ追いやられていく。
ポートランドへ戻ったマイクは、不良行為から足を洗ったスコットと再会する。葬儀のシーンで二人が交わす冷ややかな視線が痛い。いつでも市長の息子として真っ当な道に戻ることができたスコットと、終わりのない道を歩き続けるしかないマイク。二人の生きる道が全く違うものだと如実に表現されているシーンだった。スコットがあまりに身勝手で残酷な人間に思えたが、これがある意味ひとつの現実なのかもしれない。
最後は再びアイダホの道路のシーンで眠り込んでしまうマイク。スコットと過ごした時間は「道の途中」で起きたことであり、マイクの人生はこれからもどこかへ続いていくのである。一台の車が彼を乗せて走っていく。それがこの映画の唯一の救いなのかもしれない。
I'm tasting a road my whole life. キアヌとリバーを観る映画
一人で勝手にやってる「キアヌ・リーブス強化月間」。第五回は「マイ・プライベート・アイダホ」です。うん、よくわからんかった。考えるな、感じろ系の右脳映画な気がします。
若かりし頃のキアヌは本当に美形です。珍しく本作では頭が良さそうな感じでした。反抗期で男娼やってても、ビジネスマンの姿になっても、どちらもサマになります。対するリバーは繊細なストリートチルドレン。路上生活者でも全然ワイルドさは感じられません。
全体的に悲壮感漂っていて、ストーリーはヌルヌル進むのですが、特に胸をわしづかみされるような大きなイベントもなく、個人的には今一つピンと来なかったです。美形男子のキアヌとリバーを観る映画として、当時からある一定層に需要があり、そこに一転集中で作られた感じの作品でした。
人生のマイナー組 ここでいう貧困 同性愛者が鬱々と報われない様子が...
人生のマイナー組
ここでいう貧困 同性愛者が鬱々と報われない様子が悲しいが対してお金持ちになったキアヌもお金を持ち綺麗な奥さんを娶ることが幸せなんだろうかと昔を懐かしんでるようにも思う
なんか見る側の理解力を試される作品なので私にはまだ早かった…
難しい…
冷静に見れたかも
先ずフェニックスは突如として深い眠りに落ちちゃう病を抱えた家族に恵まれない青年。
にもかかわらず、お金じゃなく人を愛することができる心豊かな青年。
一方でお金に頼ってフラフラしてるバイの坊ちゃんキアヌ。
2人の対照的な環境が寂しい結末となる。
この映画を見て、人を積極的に愛せる人と後からしか愛せない人がいることを知りました。
まぁどちらも裁けないけれど…
愛してくれる人を探して
子供の頃、この映画ポスターの俳優2人の美しさに惹かれました。当時はまだ年齢的に観れず、いつかいつか観てみたいと思いながら、気付けば廃盤とかで、レンタルは常に100人近く待機でした。たまたま未使用円盤が、かつて憧れたバイクポスターのカバーで、ネットで数百円で売られており、即買いしてしまいました。
そして満を持して鑑賞…うん10年?の期待を裏切る話でした。両極端な家族背景を持つ若い男娼2人を通して、青春を、深過ぎない悲壮感が漂う、切なく儚い人生の断片として描いておりました。
Mikeは母とその愛を探して旅したのに、母親を見付けられなかったばかりか、告白までしたScottをも失ってしまいます。
顔が違うのと同じように、人生も誰1人同じ道を歩むのではない…けれど、病で気絶しなければ、母親や幸せだった頃の家庭の夢を見れないMikeの環境は無防備で悲し過ぎます。Mikeは旅の途中でIdahoに住む兄を訪ねますが、兄のトレーラーハウスの後ろにある家が、夢と想像の欠片に出てくる実家です。彼は気を失い眠ることで、過酷な現実から理想の家族愛に満たされた世界・過去へトリップするのですが、その理想郷こそ彼自身のIdahoなのです。
拾う神のように出て来た最後の男性、あれはMikeの兄ですか?服装と車の色は同じなのですが、車種も同一かは分かりませんでした。
Riverの演技は素晴らしく、Scottと別れた後、後半路上で這いずり回るシーンは息を飲みました。Keanuの美貌も盛りの頃です。
個人的には一瞬映るJim Caviezelの笑顔が好きです。彼のデビュー作として鑑賞する方はまずいないと思いますが、大人になって自分の男性の好みの変化もしみじみ感じました。
視覚の暴力と言っていい美形2人…
主演2人の美しさだけでしんどいシナリオを耐えられる映画。
冒頭から醜男に股間を愛撫されるリバーの映像。
リバーを姫抱きするキアヌが美しい。
胸から股間まで自らを撫でるキアヌが美しい。
カモフラージュで性交中の振りをする2人が美しい。
「I love you」と繰り返すリバーの縮こまった体が愛らしい。
リバーを抱いて眠るキアヌが美しい。
バイクに2人乗りしたサングラス姿のリバーが美しい。
…挙げればきりがないほど、特定の女性陣には垂涎もののカットがこれでもかと散りばめられた末、もうがっかりにもほどがあるエンディングが待っていました。本当スコット最低だよふざけんなよ。ぶっとばしてやりたいよ。
大変理解のしづらい、空白を読み取る力の必要な作品かと思います。自分は全部を理解出来た自信がありません。
どこまでも憂鬱な雰囲気
総合:45点
ストーリー: 40
キャスト: 75
演出: 55
ビジュアル: 65
音楽: 60
不幸な生い立ちが不幸に拍車をかける。そこから抜け出る手段を知らず、頼るべき相手も持たない。自分の置かれた環境に耐え切れず自分探しの旅に出るけど、結局わかったのは自分が不幸の星の下に生まれたと言うことだけ。実は金持ちの名家に生まれたけど一種の反抗期として男娼をしていたキアヌ・リーブスと異なり、今後も彼は不幸が続くのだろうか。
リバー・フェニックス作品というから見てみたんだけど、最初からずっと憂鬱な雰囲気に満たされていて、見ているこちらも憂鬱になる。別に同性愛とか売春とかが主題として悪いとかはないけれど、どうもこの救いのない雰囲気が好きになれませんでした。
リバー・フェニックス自身も貧乏で乱れた子供時代を送ったというから、この作品に出演したのもひょっとするとそのせいかもしれません。
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