プレタポルテのレビュー・感想・評価
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ファッションデザインの業界も、音楽の世界も、《アイデアの枯渇》が一番の苦しみなんだろう
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小噺「エデンの園で」
ねえ、アダム?
新しいイチヂクの葉っぱを取ってちょうだいな
いいよ、ほらよ。
違う違う。それじゃなくて、ほら あっちの もっと素敵な葉っぱよ
えー、どれもおんなじだろ?
ち-が-う-の!
あなたの目は節穴?
私はね、いつも最高の葉っぱに新調したいのよ
他の女なんかに負けたくないのよ 怒
(はァ? 他の女ってさ、おまえどこにいるのさ)
あんたなんかと結婚すんじゃなかったわッ
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映画「プレタポルテ」の『結末』は、
ご覧になってのお楽しみなのですが、この『切り札』を使ってしまったからには他の映画ではもう“この手”は使えませんね、
あれ、ジョーカーですから。
もう、ゲームオーバーの 上がりですから。
それだけあの『ラスト』は記憶に残る、圧倒的名場面でした。
映画は
パリコレの悲喜こもごもでした。
・モード雑誌の編集長たちの足の引っ張り合い、
・ファッションカメラマンの俗悪さ、
・取材にきたはずの若い記者の男女は、プレスもショーもそっちのけでベッドに入浸り。ファッションなんかどうでもいい世代増加への、業界の焦りも、きっとあそこは織り込まれていますね。
(あの二人、意味を見い出せない彼らのシーンの挿入だけれど、繰り返し現れて本編の奮まる緊張をほぐしてくれる役割、閑話休題として)。
そして
メゾン同士の探り合いと愛欲。
愛人を失ったメゾンの女主人アヌーク・エーメ(!)は、頭の悪い息子に自分の城の経営を引っ掻き回されて、ついにはブチ切れて“あの暴挙”に出るわけで。
とにかくスンゴイんですよ、並み居る出演者の、実物=御本人の顔ぶれには もう空いた口がふさがりません。
金と、モード界のヒエラルキーと、
モード業界のみならず映画や報道の世界そのものへの痛烈なからかいと ―
そしてそれら全てを一旦御破算にして、『原点』に戻ることの勧め。
映画「プレタポルテ」は業界の全てをアジる、痛快コントショーでした。
ボカシやモザイクはいけません。
ぶち壊しになります。
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ところで、「赤の広場」には Dior が本当にあるのか、ないのか、
旅行でいらした方、ご存知の方は教えてください。
ラスト良ければすべて良し
ファッション業界の裏側の
無駄と思われるエピソードが多すぎてややこし感はあるけれど、
スピーディな展開、音楽、キャスティングは私好み。
ラストは圧巻!!。
往年のカップル、マストロヤンニとソフィア・ローレン、この辺軽く流して良し(笑。
普通を放棄すればとんでもないことが起きる
昔、ホテルマンだった時代にゲイのジュエリー・デザイナーがホテルのお得意様でいました。年に3回くらいファッションショーをホテルで開き、ゲストは皇室や芸能界から来ていて、さらにモデルさんは外国からと、それはまあ異常な世界でした。
本作は実際のパリコレに合わせ、カメラを入れて撮られたフィクションです。俳優陣はどれも見たことがあるか知っているそうそうたる顔ぶれで、舞台裏の人間模様は、わたくしがホテル時代に見たそれを何十倍にも凌ぐほどドロドロしています。モデルに対するデザイナーの扱いなんて人間扱いじゃありません。
本作の監督、故ロバート・アルトマンさんはそんな世界の群像劇をドライかつシニカルに描いているのですが、そこで描かれている空気や人はまさしくわたくしが見てきた世界そのものでした。なにか巨大な欲望が隠れてニタニタと笑っているような世界なのです。並の神経じゃ到底生きていけるような世界じゃありません。
本作を観ていて、個人的ににんまりしてしまったのが、この作品にはどこかフェリーニの「甘い生活」へのオマージュがある所でした。耽美的な世界ほど、欲望と生と死が似合う世界はないのでしょう。そんな世界では人が笑っていても、どこか泣いているみたいです。
でも、こんな世界に一生を捧げてみるのも悪い生き方じゃないかな、なんて思ってみたりもしました。
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