フルメタル・ジャケットのレビュー・感想・評価
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キューブリック作品の「戦争と狂気」の集大成。
◯作品全体
キューブリック監督の長編作品は全部で13作品あるが、そのうち3作が戦争映画だ。初長編作品である『恐怖と欲望』、キューブリックの名を映画界に売り込んだ『突撃』、そしてビッグネームとなった後に作られた『フルメタル・ジャケット』。同じキューブリック作品だが、キューブリックのキャリア、映像演出、作品構成…様々な要素はまったく異なる3作だ。
しかし、一貫して描かれているものもある。それが「狂気」だ。これは「キューブリックの戦争映画」という枠組みにとらわれずキューブリックの根幹にある題材だが、戦争という「狂気」にまみれた舞台で描くとき、キューブリックの「狂気」を描く視点は更に多彩になると感じた。
キューブリックの戦争映画において、『恐怖と欲望』では新米兵士の精神崩壊を描くことで戦場での緊張感や非日常の過酷さを表現した。『突撃』では死へ追いやる命令や、処刑へ追いやる側・処刑される側を作る戦争の仕組みがクローズアップされる。いずれも戦争は既に始まっていて、その中で「狂気」が顕在化する部分を抽出している。
同じ監督が手掛けた戦争映画だが、語られる「狂気」が全く異なるところに、多彩、という言葉が浮かぶ。
『フルメタル・ジャケット』は前2作品とさらに大きく異なり、戦争が始まる前の「狂気」を語っている。普通の若者が各々のヘアスタイルをバリカンで刈り上げ、「狂気」といえるハートマン軍曹のシゴきがあり、「Born to Kill」のヘルメットをかぶる。過酷で、少しユーモラスな訓練シーンはとてもキャッチ―だが、普通の若者が兵士となるまでの過程は冷静に見ると「狂気」でしかない。落ちこぼれのレナードが精神に異常をきたし自殺するが、そのまま生き残って戦場で狂うか、今この場で狂うかの違いだけであることを知らしめるかのような場面だった。行き着く先は同じ「狂気」という結末。それを強烈に印象付ける前半部分だった。
『ロリータ』や『時計仕掛けのオレンジ』も本作の前半部分同様、エスカレートする狂気が描かれていたが、戦争を舞台にした本作では、また一味違ったエスカレートを見せる。そこにもまた、キューブリックの「狂気」の多彩さが垣間見えた。
後半のベトナムを舞台にした実際の戦場では、狂った倫理観を様々な登場人物を通して描く。緊張感あるシーンが続くが、兵士のアドレナリンを表現するかのような挿入歌の入れ方や登場人物の個性の付け方がユーモラスを感じさせる。登場人物たちの見ている世界が「狂ったもの」だと映させない演出のようにも感じて、ユーモアの裏にある暗さの映し方が巧い。
ラストのミッキーマウスマーチはその集大成だった。兵士のシルエットとアップテンポなミッキーマウスマーチ。普通の若者であったはずの彼らと、狂ってしまった彼らをこのワンカットで描いてしまうところに、キューブリックの凄みがあると感じた。
〇カメラワークとか
・一点透視、シンメトリーチックの画面の無機質さとハートマン軍曹の熱量のコントラストがすごかった。今までのキューブリック作品にもない演出だったような。
・前作『シャイニング』では多用していた「キューブリックステア」は本作では控えめ。レナードが狂ってからの視線くらい。
・戦闘シーンの見やすさはカメラワークの巧さがあるからだろうな。一方でスナイパーに撃たれるシーンはイマジナリーラインをめちゃくちゃにしていて、混乱っぷりが伝わるカメラワークだった。
〇その他
・「ステア」を語るシーンがあった。ジョーカーが報道部にいる時の先輩兵士が、戦場を経験している目を語る。
「1000ミリ望遠の目つきさ 長くクソ地獄にハマったときの マジに あの世まで見通す目さ」
戦争での心理的障害の一つとして「1000ヤードの凝視」があるけれど、「キューブリックステア」の意図にも近い気がした。
・カウボーイが撃たれて死ぬまでの演技が素晴らしかった。目に力が入り続けていて、いつ死んだかがわかりづらい。傷口を見せず、露骨に「死んだ」っていう演技もせずに、動かなくなったことで死がわかる。カウボーイの状態の不確かさが画面に緊張感を作ってた。
炎のミッキーマウス・マーチ
初っ端から創作でも聞いたことないレベルの口汚い罵倒の連続に笑ってしまう
なのに誰も笑わないからか訓練の厳しさがリアルに伝わってくる
だから笑ってしまうけど真剣に見入ってしまう
主人公のジョン・レノン似のジョーカーに裏切られた微笑みデブがタイトル回収するシーンから暗転して、第二部に移る
しかしあの大事件がなかったかのように、同期は仲良しのままで過去を振り返るシーンは最後まで挟まれない
一部に戻ると、主人公はデブを最後にしこたま殴ってたのにその後耳を塞いでいた
サイコパスと言ってしまえば簡単だが、キューブリック監督は終始つかみにくい主人公のキャラクターで戦争の狂気を表現しているんだろう。
また凄惨なベトナム戦争で死体がゴロゴロってより、兵士たちの幼稚さを多く映し出していた。
この映画はヒロイズムなどではなく実際の戦争の一面、狂気と幼稚さにフォーカスすることで、戦争の下らなさを描いた作品なんだと思う。
また名言、見どころも多い。
最後のミッキーマウス・マーチを歌いながら行進するシーンは、正にこの作品のテーマを象徴している。
難しい映画
I see a red door, and I want it painted black. 人間が”弾丸”に変わる様をありありと描き出した、戦争映画のマスターピース!
ベトナム戦争下を舞台に、米海兵隊の常軌を逸した新兵訓練と、それにより”完全被甲弾(フルメタル・ジャケット)”と化した軍人たちが繰り広げる戦闘を描いた戦争映画。
監督/脚本/製作は『時計じかけのオレンジ』『シャイニング』の、巨匠スタンリー・キューブリック。
原作は自らもベトナム戦争に従軍した経験を持つ小説家、グスタフ・ハスフォードの「The Short-Timers」(1979)。ハスフォードは本作の脚本にも参加している。
イギリスから一歩も出ない事で知られる”史上最強の引きこもり”キューブリック。ベトナム戦争を舞台にした映画でありながら東南アジアでのロケは一切行わず、ロンドン郊外にあるガス工場跡地に広大なセットを設営し、そこであの壮絶なフエ市街戦を撮影してしまった。
この荒れ果てたフエの街並みは現地で撮影したとしか思えない凄まじいクオリティである。リアリティが半端では無い。
そんな本物と見紛う広大なセットで行われる、凄惨極まりない大戦争描写。この世の地獄とも思える激しい戦いを、兵士と同じ目線でカメラは捉える。どこから狙われているのかわからないスナイパーの恐怖、それを掻い潜り進む兵士たち。その手に汗握る攻防の中に観客を放り込み、兵士たちの緊張と興奮を追体験させる。観客を映画の中に巻き込んでいくその手腕と手際、本当に見事だと思います。
が、ここまではよく出来たベトナム戦争映画。ここからがキューブリックなんです。
戦争映画を鑑賞するときに生じる矛盾。一方で「戦争はなんて愚かでクソッタレな行為なんだ💢」と憤りながら、一方では「ウッヒョー!このド派手な銃撃戦タマンねぇーっ!」と戦闘描写をエンタメとして消費している。この2つのアンビバレントな感情に、なんだか座り心地の悪さを感じてしまう観客は自分だけではないだろう。もちろん、戦争の悲惨さにのみ重きを置き、娯楽的な戦闘描写は一切しないという戦争映画もあるが、それだとやはり退屈な映画になってしまうし、逆に戦争サイコーッ!!フゥーー!!みたいなノリの映画は、どれだけ面白くともやはり鼻白んでしまう。
アクション映画としての面白さを担保しつつも単なる娯楽映画には堕さず、戦争の愚かさと馬鹿らしさを強烈に描きこむ。
この矛盾しているようにも思える無理難題に対し、キューブリックは本作を2部構成にする事により見事な回答をしてみせた。それはつまり、苛烈なベトナム戦争パートの前に、新兵たちを徹底的に鍛え上げる狂気的なブートキャンプパートを据えたのである。
事前に洗脳となんら変わらない異常な新兵訓練の光景を描いておけば、その後の戦争シーンでどれだけ英雄的な行いを米兵が見せようが、どれだけ血湧き肉躍るアクション描写があろうが、そこに観客を喜ばせる快楽は生まれない。むしろ、それらを強く描き出さば出すほど、人をただの”フルメタル・ジャケット”に変えてしまう戦争の怖さや愚かさが浮き彫りになる。これは映画史に残る見事な発明であると言わざるを得ないでしょう。
キューブリックの素晴らしさは、この新兵訓練描写に一切の手心を加えなかったところにある。それどころか、放送コードギリギリ…というか完全アウトな罵倒語の数々がまぁ出るわ出るわ💦あまりにも酷すぎて不快感を通り越して爆笑しするわこんなんっ!!🤣
『時計じかけのオレンジ』(1971)にしろ『シャイニング』(1980)にしろ、キューブリックの作品における狂気や絶望は笑いと紙一重。そんな作風が、この洗脳パワハラ新兵訓練とピッタリとマッチ。爆笑級の罵倒の数々が、自由の名の下に死体の山を築きまくったベトナム戦争の滑稽さをより強調している。
資本主義の象徴たる「ミッキーマウス・マーチ」を口ずさみながら、廃墟となったフエの街を後進するというラストカット、そしてエンドロールで流れるストーンズの「黒くぬれ!」。形容し難い後味を残すクライマックスの切れ味も完璧。
前半パートが面白すぎるが故、後半パートが若干霞んでしまっているというバランスの悪さはあるものの、歴史に残る大傑作である事は疑う余地もない。これぞベトナム戦争映画の決定版である!
戦争。
始まりはコメディのようだった。
男達は髪を剃り落とし、訓練を受ける。「ほほえみデブ」は沢山しごかれて教官を殺す。そして自殺する。
たくさんの命が泡のように消える。
「ジョーカー」は命の価値が薄れ始めた。
キューブリックに感じられるシュールな構図、というのか、ほほえみデブが真ん中でドーナツを食べ、腕立て伏せをする屈強な男たちに囲まれている。
とてもいい映画だった。残酷だが生き抜くためには仕方なかったのだろう。それは敵もそうであるように。
兵士たちは最後ミッキーマウス(アメリカの象徴?)の歌を歌いながら移動し終わるが、行先が闇になっている。アメリカは戦争をし、どこへ向かうのか?という考察もできる、のかなとか。
神様キューブリックの視点〜ベトナム戦争編〜
公開当時、数多くのベトナム戦争映画が作られたと思いますが、スタンリー・キューブリック監督がそれらをまとめて一刀両断にしてくれた傑作‼️構成としては二部構成‼️殺人兵器として猛特訓を受ける新兵を描いた前半と、彼らがベトナムで実際に体験する地獄のような戦場を描いた後半‼️まず前半‼️何といっても鬼教官ハートマン役のリー・アーメイがホントに素晴らしいです‼️凄まじい威圧感とFワードの連発‼️そして兵隊たちへランニングの時にかける掛け声‼️股間を押さえながら "これぞ我が銃、こっちは我が大砲!!" ‼️サイコーです‼️イカれてます‼️そしてデブで落ちこぼれな新兵パイル役のヴィンセント・ドノフリオ‼️ハートマンの超シゴきに精神を病んでしまう‼️夜中にトイレで実弾を装填しながらの恐ろしいニヤけ顔‼️あぁ、もうトラウマ‼️そしてハートマンを射殺した後、口にライフルを突っ込んで自殺‼️狂気の怪演‼️これぞ戦争です‼️そして後半‼️マシュー・モディーン扮するジョーカーはヘルメットにピース・マークと "ボーントゥ・キル(殺すために生まれてきた)" の文字‼️ミッキーマウスのテーマを歌い、戦場を闊歩する‼️殺すために鍛えられ、殺すためにベトナムの戦場に送られ、ビルから凄まじい腕前の狙撃手に狙われ、狙撃手との凄絶な戦闘を繰り広げる‼️狙撃手を追い詰めたジョーカーたちが見たのは、まだ若い少女だった‼️祈りを捧げながら死んでいく狙撃手の少女‼️ホント衝撃‼️ホントに恐ろしくて無意味な戦争‼️神様キューブリックが描くとこうなります‼️息をつめて、正座して、この映画に向き合いましょう‼️
完全被甲弾
フルメタルジャケット→完全被甲弾。鉛剥き出しの弾は、人体に入ると変形が大きく、深手を与えるので戦場では、完全被甲弾を通常使用するということらしい。自分が、この演題から受け取ったのは、戦争のために洗脳を受けて、強靭化することで、人間としての変形を小さくするというイメージだ。封切りされて鑑賞して以来、2度目の鑑賞。
前半、新兵になるための訓練は、人間性の破壊だ。指導官のハートマンのしごきは、徹底的で、その罵詈雑言は、性的な言葉のオンパレード、家族を辱め、原初的な生存欲求が剥き出しの状態になるように仕組まれているかのようだ。デブのレナードが、皆に遅れをとり、面倒を見てくれたジョーカーにも見捨てられ、狂気の眼を宿していったのが一つの見所だった。精神がメタルジャケットを帯びることができず、人間性のコアな部分まで、破壊されてしまったのだろう。
後半は、一転してベトナム戦争の現地の生々しい現実が映し出される。まるで、ハートマンの罵詈雑言をそのまま映し出したかのような戦地。兵士同士の会話も現地人との出来事も、性的、暴力的なウィットとジョークのオンパレード。米国で恵まれた生活をしている国民が、ベトナムで戦うためには、あのような訓練と罵詈雑言が必要だったという感じがした。
そして、戦闘シーンは、遠くから攻撃してくる南ベトナム兵との交戦シーンばかり。他のベトナム戦争と違って、肝心の相手の姿や表情は、ほぼ描かれない。見えない敵が、いつ銃撃し狙撃してくるかわからず、怯えながら進む。次第に罵詈雑言やジョークは影を潜めて、兵士たちの現実的な言葉が交わされるようになっていく。
フエ市への侵攻の場面、進路を間違えるというヘマをして、進路変更のため偵察に出たエイトボールが狙撃され、助けに出た兵も同様に。前進して無線連絡をしようとした所でカウボーイも狙撃され、相手にお礼参りをしようと建物に乗り込む。ジョーカーが相手と対峙するがライフルが弾切れ。味方の兵が相手兵を射撃したら、狙撃兵は綺麗な目をした若い女一人だった。ベトナム兵は、家族や知人が殺され、自分らを守るため、相手への憎しみを募らせて戦っている。米兵のようなフルメタルジャケットを帯びる訓練など必要がない。
かたやどんなに訓練をして前線に送られても、米兵は相手に怯え、一人の命を助けるために味方が助けにいくという戦い方の違いが対照的。ベトナム兵と比較して、決死の覚悟がなく米兵の脆弱な感じが透けて見える。
最後、ジョーカーが狙撃兵を殺したのは、殺戮者と平和を望む二面性を残した彼だったからこそ、相手に対する情けだったのだろう。彼は、自分の人間性を保っていたのだ。最後、ミッキーマウスの歌を歌いながら行進して終わる。これもフルメタルジャケット、人間性を守るための行為ではないだろうか。
この映画、とかく前半の訓練所のシーンが話題になるが、後半のシーンを、前半とどう絡めてどう解釈するかが、キューブリックの言いたかったことだろうと思う。現段階で、自分が読み取ったことは以上に述べたことである。
「時計じかけのオレンジ」、「シャイニング」に比べると、ちょっと大人しく感じたのは、他のベトナム戦争の映画を見慣れたせいかもしれない。「地獄の黙示録」と並んで、戦場で戦うためには狂気が必要だという意味では双璧の映画かと思う。
本格的な戦争映画
軍隊に入って精神をやられて自殺する人一人。総督?の罵声の内容がすごい…。
自殺したパイルの演技力がよかった。
後半はベトナム戦争だが、敵がスナイパーの少女一人で苦戦していた。前半がすごかっただけに後半が尻すぼみした感じがあるが
後半も普通によかった。
独特な翻訳と歌が印象的
・訳が独特な言い回しが多くて、理解が追いつかずぼんやりしてしまった。何かでそこにもこだわりがあったとかなかったとかで、多分そうだろうと思った。
・兵士たちが歌う歌が印象的だった。ラストのミッキーマウスは何だか笑ってしまう。
・訓練のほぼいじめみたいな内容がしんどく、デブと呼ばれてた人が案の定、病んで教官を撃ち殺したところは、これは戦争なのか、日常の延長の事なのか、すこし考えさせられる。
・ベトナム戦争の予備知識がなかったので、少し勉強してから見れば良かった。
一回見たらいい
前半は教官が新人隊員に、聞くに耐えれないほどの下ネタの喝ばかり。怒鳴り声ばかりで聞いてて疲れる。
後半は戦争映画らしい戦闘シーン。
ただベトナム兵のスナイパーが最後自分を撃てなんて言うか?しかも最後はミッキーマウスマーチを歌いながらの前進って意味不明
南ベトナム解放戦線戦士が殺してほしいなどと言うはずがない。
あの2001年宇宙の旅を撮ったスタンリー・キューブリック監督にしてはセットがチープだ。ベトナムと言えばジャングル。故に、火山灰の様な場所にセットを建てて、そこでアクションしている。なんか戦争ごっこの様に見える。黒澤明監督の乱の影響があるのかもしれないが。この市街戦がフエだとすると、ベトナム解放戦線が市民を虐殺したとされるフエ虐殺を象徴してかもしれない。しかし、その事件は推測の範囲。だから、この地を選んで、アメリカ人監督が映画にしているのは、アメリカの制作側に意図的な事があると思わざるを得ない。フエは南北の国境の様な町。北ベトナムと南ベトナムが戦っているのだから、北ベトナムが南ベトナムに対して虐殺を行っていないとは言わないが、戦争であり、今でも、科学的検証はされていない。
また、南ベトナム解放戦線戦士が『殺してほしい』なんて言う訳かない。その覚悟があれば、自爆して米兵を巻き込む。
さて、エンドロール直前に平和の象徴の様なミッキーマウスの歌を登場させせている。それもフィクションだろうが、僕はその点を特に評価したい。ミッキーはベトナム戦争以前から、微妙なキャラクターとしてアメリカ人(アメリカ兵)には愛されていた。日本人はそれを理解しなければならない。
戦闘不能な者に何発も打ち込まない。狙撃兵なら居場所を悟られる前に一発で仕留め、もっと沢山の兵士を狙撃するはずだ。ロシアンスナイパーを見てもらいたい。
テト攻勢(1968年1月30日)以降の話だと思うが、この頃はソンミ村虐殺事件とかで米軍は暴走し始める時期。この映画はそれを表していると思うが、何故?ズバリそれを描かなかったか?そして、その後、約7年ベトナム戦争は続く。この映画はフエの虐殺事件の20年後に封切られている。ある意味、プロパガンダ映画かもしれない。
今起きている戦争も残念ながら簡単には終わらないと思う。歴史は繰り返すと言うが、ベトナム戦争等を教訓に早く争いをおさめてもらいたいと思う。
ローリング・ストーンズの
『Paint It, Black』が名曲と思えた。
淡々と描かれる戦争
主人公と呼ばれる存在は明確に定義されず、それでも映画として成立していると感じる脚本の妙に脱帽。
要所要所で描かれる戦争の映像美にも見入ってしまうほどの迫力がある。
最高の演出と映像と俳優で描かれたものであることは間違いないが、作品としてのメッセージが感じられず好みでは無かった。
タイトルの意味は??
前半はハートマン軍曹による人間の尊厳を無視した侮辱、暴言の数々の訓練編。後半は戦地ベトナムで次第に人間性を失っていく様を描いた2部構成。
前半はバードマン軍曹の暴言のボキャブラリー、微笑みデブが精神に異常をきたし、狂気が爆発する様が見どころ。前半がピークだと感じた。
タイトルのフルメタルジャケットは直訳で完全装甲弾であり、弾体の鉛を硬い銅で覆った弾丸のこと。それによって貫通力が上がるらしい。
それはベトナム戦争で人を殺す兵器となった兵士たちのことなんだと思った。また、ラストのミッキーソングを歌っている兵士たちを観て、感覚が麻痺し、人間性を覆って隠してしまったと言う意味もあるのかなと思った。
2部構成のような感じ
前半はベトナム戦争に行く前の鬼教官によるイジメのような訓練。そして一旦終わったかと思ったが、後半が始まり戦争編に移る。。結局、戦争の残酷さを描いていて、反戦映画だと思った。戦争に行く前に命を失う。訓練に耐え戦争に行っても、悲劇は続く。絶対に戦争だけは繰り返してはならない! この監督の作品は非常に極端で個性的なものばかりですね。
フルメタルジャケット
鬼畜な軍人たちすぎる。字幕もファッキンすぎ。
ハートマン鬼軍曹すぎ。
俺だったら1日持たんな。
最後ミッキーマウスマーチ歌ってる所もなんかアメリカやなって感じですね。
どこに狂気を感じるか人それぞれ
視聴:1回目
推薦:戦争映画たくさん見てる人に
感想:他の人がレビューでも書いているがカメラワークには奥行きを意識したものだった。前半の汚い言葉のたたみかけと狂気が混じっていく様、ポイントごとの歌とBGMを挟むところ、ベトナム兵は一向に姿を出さずにやっと倒せたと思ったら少女だったというオチ。他の戦争映画とは一線を画します。これから見る人は、他を色々見てから比較しながら見たほうが私は楽しめるのではと思った。
7.6MM Full Metal Jacket. 狂気を見事に描いたキューブリックの戦争映画
今では何の大儀もなかった事がわかってしまったベトナム戦争を描いた作品。いわゆるアメリカお得意の戦争をする為の戦争だった訳ですが、その中でもきっと現場の兵士は国の為、仲間の為と思って戦っていたんだろうなと思います。
前半の兵士を作り上げていく過程は目を見張る物があります。段々と狂気に陥っていく新兵の目つきが印象的です。おデブの新兵が愛しそうに銃を見ている目つき、怖すぎます。
後半のベトナムでの市街戦、長回しで画面に引き込まれます。CGもない時代に良く撮ったなと感心します。さすがキューブリック。これだけ時代が経った今観ても何の遜色もない良くできた戦争映画です。
撃って。
戦争とは。
普通の若者を戦争で人を殺せるマシーンに調教し、軍隊における絶対服従とホモソーシャルな繋がりを叩きこむこと。
狙撃兵がいかなる人(女、子供)であっても、躊躇いなく殺すこと。「撃って」と少女に言わせること。
沢山の人を殺すこと。私があなたが殺されること。
一体なんなんだ、戦争ってなんなんだ。シンプルに思いました。
無意味な現実に「夢の国の歌」が頭の中でノーテンキに連呼します。
面白かったー!
「セッション」を映画館で鑑賞した後に自宅で観たので、鬼教官とデブの関係がフレッチャーとアンドリューに重なり、変な既視感を味わうことになった。直接的な暴力はもちろん、立場を利用した精神的な攻撃で若者の心の隙間を破壊する描写はとても痛々しく変な汗をかいてしまった。
キューブリック監督のカメラワークは最高にクールだ。手ブレなし、長回し、画面の奥の奥まで被写体を捉えた広角レンズの臨場感と情報量。そこに写し出された圧倒的な映像がジワリジワリと脳を刺激しアドレナリンを放出させる。本作でも狂気が渦巻くシーンですら映像は美しく、むしろ目の保養になるぐらいの視覚的心地よさを感じた。
背景の奥に溶け込んで動く人間が多いのもポイントで、主人公達が途方もなくスケールの大きな戦争のワンピースに過ぎず、ミラクル弾除けで勝利に導くありがちなアメリカン英雄列伝ではないと分かる。ベトナム市街地戦を描く後半の体感時間は長く、戦闘シーン以外でも、いつ誰が死んでもおかしくない緊張感が漂っているため神経がすり減った。
全ての演技が素晴らしいのだが、ピンポイントで気に入ったシーンがある。それは広報部に配属された主人公がお供のカメラマンとヘリコプターに乗り込み移動するシーンで、機関銃で女子供を撃ちまくるクレイジーな兵士とインタビュアーが交互に映し出される。乗り物酔いしたカメラマンが吐き気を催しているのが徐々に分かるのだが、吐きそうで吐かない、その演技がビックリするほど表情豊かでリアルなのだ。目をこすり何度も口を閉じ体勢を整える。口を開けるが何も出ない。平静を装いつつも徐々に瞬きの回数が増えていく。すげーリアル。重要なシーンではないため、登場人物の誰も彼に声をかけない。カメラもフォーカスしない。もしかしたら本当に役者が酔っていたのかもしれない。ただ、これを見てしまったら他のありとあらゆる映画の吐き気シーンが生ぬるく感じてしまうだろう。吐き気演技のアワードがあったらぶっち切りのベストアクトに選んであげたい!
世界の残酷さ
カナザワ映画祭2014の爆音上映で見た。
ハートマン軍曹の号令が楽しい。ひどい罵声で、兵士の人格を改造するためのメソッドであると言われているけど、明らかにノリノリだ。そうじゃないとあんなに豊かなワードセンスになるわけがない。そんなひどい号令を爆音で見れて最高だった。ハートマン軍曹の掛け声はミニストリーの『Thieves』という曲でサンプリングされていることに気づいた。すごく好きな曲だったのにこれまで気づかなかった。
前に見た時は誰が誰だかさっぱり分からなくて、微笑みデブが頭を自分で吹っ飛ばすところと、敵の凄腕スナイパーが女だったことしか印象になかった。今回は役者に注目していたら、明確にジョーカーが主人公で彼を中心に描いていた。3回目くらいでやっと気づくとは非常に情けない事だ。彼は、ピースマークのバッチをつけるなど反骨精神のある男で上司にも楯突いてばかりいた。
冗談でも言わないとやっていられないのか、米兵がひどく悪趣味なジョークを連発しているところがかっこよかった。
微笑みデブはせっかく銃の腕前を認められそうになっていたところだったのに残念だった。
戦場場面は奥行きがすごくて、基地にジョーカーが配属されるさいにテントまで歩くとき、他の兵隊がなにか作業したり移動している様子がどこまでも広がっている感じがした。日本映画の時代劇では画角を狭くしてなるべく奥が見えないように努力していて、それはそれで頑張っているのだが、すごく差を見せつけられている感じがした。外国映画でもキューブリックだからこそというものでもあり、これぞ映画!という見ごたえがさりげなくある。
社会や世界は容赦なく残酷で理不尽極まりない現実がまかり通っている事をリアルにきちんと描いていて素晴らしい映画だった。
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