「手が込んだ作品」ファーゴ R41さんの映画レビュー(感想・評価)
手が込んだ作品
1996年の作品
実話を実写化したもののようだが、事件は1987年に起きたようだ。
つまり当時見ても時代の差を感じるのだろう。
事件そのものに背景をつけ足していると推測するが、警察署長が妊婦という設定は物語としての演出だと思った。
そして調べてみれば、
実は、
最初に実話とナレーションされているが、実際にはそれはすべて演出だったようで、すべてがフィクションというわけだ。
さすが自由の国だ。
4月1日に訳の分からないニュースをシャレで流したりできる国。
さて、
このようにこの作品は非常に手が込んでいるが、監督が示したいのは「人の思考と判断」という最も大きなミステリーだったような気がした。
この作品のジャンルは、やはりサスペンスとかミステリーとかに分類されると思うが、その根幹にあるのが理解できない「人の思考と出来事に対する判断」だろう。
冒頭
カーキャリアで「シエラ」を運んでくるジェリー
物語の時系列が入れ代わっているのかと思ったが、端然と時系列で進行している。
つまり、
後には戻れないという意味だ。
だから、仲介役のジェブとジェリーの話の詳細は最後にも登場しない。
既に話は着けられてしまった。
もう後戻りなどできないことが示されている。
ここにこの作品の手の込んだ面白さがある。
「悪の法則」と同じ手法
「もうすでに選択は終わってしまっている」
さて、
客観的に見てジェリーは「ダメ男」だ。
様々な人脈に対し体裁を繕いながら自分が優位になる方法を模索しているが、何もかもまったく上手くいかない。
何に使うのか知れないが、大金を手に入れたい。
そのために妻を誘拐して義父に身代金を支払ってもらうというまったくもって無謀な計画を立てる。
その実行犯役を仮釈放中の従業員に仲介させる。
足がつかないと考えたのだろう。
何をするのかはもちろん言わない。
ところがこの素性のしれない彼らは、取り返しのつかないことを仕出かしてしまう。
もうすでにジェリーのコントロールなど及ばないところに来てしまっている。
同時にジェリーは義父に投資話を持ち掛ける。
この話が思いがけず進展したことで早速妻誘拐の計画を中断しようとするが、時すでに遅し。
何もかもがジェリーのコントロールできないことばかりになってしまう。
実際これは視聴者の人生でもあるのだろう。
だからこそ面白い。
そしてジェリーのような思考回路は多くのアメリカ人が持っていると監督は指摘したかったのだと思う。
最後に警察署長のマージが「幸せ」について夫と語るが、ジェリーという男は決して不幸ではないし、むしろ恵まれている。
義父との大きな差と見下されていると感じていることが、彼に余計な思考を与えてしまうのだろう。
加えて義父の相棒のスタンもまた、ジェリーを見下している。
しかし彼ら二人のジェリーに対する扱いは、ジェリーそのものの思考と判断力からきているのがわかる。
頼まないのに車を塗装してクレームになることや、客の想いを考えないまま支払いについて話したりすることは、営業部長としての彼の立場上売り上げを伸ばす方法をあれこれ考えているからだろう。
当時からそんな手法は「ダメなやつ」だったはずだ。
たまたま好きで結婚した相手の父が、会社経営者だったことで彼の立ち位置が決まってしまった。
それさえも、もう後戻りなどできないことだ。
人生とは、実に後戻りができないということをこの作品は言いたいのだろう。
さて、、
妊婦の警察署長マージ
彼女は事件があっても決して慌てずにいる。
見ていて若干のんびりし過ぎているように感じるが、監督はここにもまた罠を仕掛けているのだろう。
ファーゴというのんびりした街
この街の名をタイトルにした意味
忙しなく焦りながらお金を追いかけている人々とは少し対照的だ。
実際映像の大半がミネソタ州で、冒頭のバーがファーゴだった。
雪
血
田舎
そのコントラスト 光と影のようなものだろうか?
何もない雪の積もった場所で、人間の愚かな思考からくる計画と暴力行為が始まる場所。
「お金儲けして何が悪いんですか?」
あの有名ファンド会社の言葉を思い出す。
マージはのんびりしながらも確実に事件の真相に迫ってゆく。
まるで刑事コロンボのようだが、そんな特別な推理は不要で、出てきた事実のみを積み上げていく。
勝手に追い詰められていく犯人たちとジェリー。
まるで車で逃走した犯人を歩いて追いかけているように見える。
それに対し、ジェリーの思考と行動はすべて真逆に着地していく。
このコントラスト
今この作品を見ればほぼコメディだ。
1996年のアメリカにはまだマージのようにお金と幸せを切り離して考える人々がいたのだろう。
3セントの切手の絵が採用された彼女の夫とお腹の子供
この幸せ
1987年アメリカ経済 ブラックマンデー 景気自体は悪くはなかったが、日本がバブルで沸き立ちアメリカを円で購入できると騒いでいたころ。
自動車産業は日本車の勢いがアメリカ車を追い込んでいた。
この背景と設定
そして「マイク・ヤナギタ」という人物設定
彼は学生時代にマージと友人だった。
しかし今彼は極度のノイローゼ 躁鬱状態
彼の妻、学生時代一緒だったリンダが白血病で死んだこと。
今の彼の様子
同じ友人からマイクのことを確認するマージは、本当の彼のことを知る。
運転するマージの表情には、もの悲しさがあった。
有望で血気盛んだった彼の現在
躁鬱病で署長に出世したマージをうらやむことしかできない。
変わってしまった今と、過去の想い出
人というものの不思議さ
日系である彼を選択した設定も当時を鑑みればまた手が込んでいるが、何よりも変わってしまう人の寂しさがあのシーンに溶け込んできた。
ジェリーもまた、強迫観念のようなもので変わってしまったのだろう。
その顛末 成れの果てともいうのがこの作品
なかなか手が込んだ作品だったし、いま見ても悪くない、面白かった。