非情の罠のレビュー・感想・評価
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物語の理路整然さが、主人公の内面を語る。
◯作品全体
男が女性絡みでヤクザトラブルに巻き込まれ、なんだかんだあって決着するっていう脚本に当時の作品群から見ても新鮮みはないけれど、主人公とヒロインの日常を見せ、トラブルの火種を映し、行き違いの末、最終決戦…という、それぞれのシーンの役割がはっきりしていて見やすい作品だった。
序盤の主人公・デイヴィとヒロイン・グロリアは互いが互いを意識しながら別々の生活を過ごす。最初にデイヴィの部屋を映すシーンではデイヴィの生活を見せながら、少しずつ窓越しにグロリアを視線誘導するカメラワークが巧い。グロリア側の視点を映さずとも二人が重なるときがくる予兆を感じさせる。二人がアパートを出て、近い距離感でありながら会話をせず別れていく俯瞰気味のカットも予兆がいつくるのか、というもどかしさに繋がっていて、巧みな「ツカミ」の演出に惹き込まれた。
緊迫したアクションシーンの中で主人公、ヒロインの別れを描いているのも面白かった。頼れるものがないグロリアはデイヴィが倒された時点でヤクザの女に落ちぶれるしかないと判断するが、それを裏切りだと思い、一人で逃げ出すデイヴィ。二人が直接会話するのではなく、それぞれの行動によって別れを描いているのがドラマティックだ。そして会話を持たない分、それぞれの行動だけみれば決別に近いが、ここでファーストカットである駅で待つデイヴィの姿が活きてくる。デイヴィのモノローグから分かる通り、この作品は駅で待つデイヴィの追想によって語られている。その時々のグロリアの感情を時折デイヴィがモノローグで語ることで、デイヴィがグロリアの行動に自問自答するようにして、グロリアのことを理解しようとしている。そう考えると、ファーストカットはテロップ表記のために時間が長い、というのもあるが、デイヴィがことの経緯を振り返り、グロリアの行動を理解しようと考えている時間とも見て取れる。別れるときは一瞬だが、再会の場面に至るまでにはグロリアに対するデイヴィの思慮がある。細かいことは気にしない、ハードボイルドな主人公もカッコいいが、デイヴィのような思い巡らすタイプの主人公は二人の別れと再会に納得を与えてくれるから見ていて楽しい。
作品内で起こる出来事はフィクションではありきたりかもしれないが、作品の構成と登場人物の考えがマッチしているから存分に楽しめる作品だった。
◯カメラワークとか
・本作の1年後に作られるキューブリック作品『現金に体を張れ』でもあったけど、鏡を使った演出がこちらにもあった。鏡越しにグロリアを見るデイヴィのカット。鏡越しに加えて窓越し、という意味も重ねていた。
・グロリアが出ていった扉に向かってラパロが物を投げるカットは投げた物がカメラのレンズに当たって穴が開く、というメタチックな演出。
・回想シーンのインサートはちょっとベタで野暮ったかった。ぼやけたり、滲んで動かしたり、カメラが高速で平行にグルグル回ったり。相手のパンチを食らって倒れるデイヴィの主観カットも、今見るとありきたりだし、ちょっと安っぽく見えちゃう。
・デイヴィが見る悪夢がネガポジ調というか、ハイキーな色味だった。モノクロ映画だとそこまで印象に残らない気がする。
◯その他
・マネキン工場でのクライマックスシーンはシンプルにダサかった。相手の居場所がわからないでコソコソ戦ってる時間が長すぎる。5,60年代のアクションシーンで結構見る気がするけど、緊迫感があるのは最初くらいで途中からその構図に飽きてきちゃう。アクションの構成もマネキンを武器にしたりしていて、なんというか、へっぴり腰の素人同士の殴り合いみたいな感じがしてしまった。プロボクサーっていう設定をアクションとかカッコよさに使っていないのはすごく珍しい気がする。でもこの作品ではその設定使った方が良かった気がするけどな…
・グロリアの部屋のシーンで何回も映るぬいぐるみは、グロリアの精神的な弱さのプロップ演出として上手だった。謎多き大人な女性として登場する序盤のグロリアだけど、親族が居ないことによる内面に抱えた庇護欲の演出として短い作品時間の中で効果的だった気がする。そしてその庇護欲がキチンとグロリアというキャラクターの軸になっているのも良い。
・ファーストカット、駅で待っているデイヴィを映し続けてるのがカッコよかった。テロップ表記のためなんだろうけど。テロップ終わってすぐにカット割っちゃったのがちょっともったいない。
「時計仕掛けのオレンジ」の家具、「シャイニング」の斧、などのキュ...
「時計仕掛けのオレンジ」の家具、「シャイニング」の斧、などのキューブリック作品の様々な要素が含まれている作品になっている。
それとは別にキューブリックらしくない要素もある。回想シーンが何度も出てくるのだ。これはこれでキューブリックの違った面白さも観れるだろう。
この作品はキューブリックらしい部分もらしくない違った部分も観れるのでファンは観ておくべきだろう。
キューブリックは最初からキューブリックだった
本作は1955年製作
ヒッチコックの裏窓はその前年
裏窓から見える事件というモチーフを使い、自分ならこう撮るという作品ではなかったか
脚本もキューブリック自身が手掛けている
撮影もキューブリック自身で行っている
白黒の陰影をうまく活かした映像が印象的で、間違い殺人のシーンの殺人者を黒く影にして見せない
そのスリリングなシーンは低い構図で大変にスタイリッシュでもある
ボクシング試合のシーン、終盤のマネキン工場での死闘の迫力は被写体が画面から溢れはみ出るように撮られ、その迫力には圧倒されるものがある
ギャングの女の初め配役も良い
ヒッチコックの大衆を惹き付ける玄人技の名人芸のような「裏窓」と比べるのは酷ではあるが、それでも全く新しい斬新な映像表現が詰まっていると言える
本作を観たならヒッチコック作品ももってしても時代遅れに見えてしまう、それほどの映像の画の力があるのだ
キューブリック監督の実質的な第一作
キューブリックは最初からキューブリックだった
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