劇場公開日 1996年5月25日

「愛したのは妻ではなく、“敵”だった」ヒート チンプソンさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0愛したのは妻ではなく、“敵”だった

2017年3月28日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

泣ける

興奮

20周年記念BDで観賞。
BDによるものか、95年とは思えない映像で、全く古くささを感じない。
映像だけでなく演出も凄く、絶えず登場人物の心理が観ている側に流込んでくるほどリアル。
その説得力あるビジュアルで描かれる物語は、妻や娘の家族愛や、仲間同士の信頼といったものではなく、
己の役割上に存在する一番愛おしい人間の愛の物語と言える。
それがこの作品では警察のプロと犯罪のプロ同士が惹かれ合うというものになっている。

効率的かつ非情にも近い警部補のヴィンセント。妻と一人娘の仲の良い家族を持ち、
しかし度重なる犯罪にポケベルが絶えず鳴り響く忙しい日常に、夫婦の会話は冷え、妻は物足りなさを抱き、次第に家庭は崩壊していく。
その崩壊を招いたのは独り身の犯罪者ニールだ。
彼が緻密に計画する強盗にヴィンセントは躍起になってニールを追いかける。ただのゴロツキの犯罪ではない、“歯応えのある”悪党相手に期待感抱き始める。
一方のニールはその道のプロを突き進むため、30秒で高飛び出来るをモットーに、身に背負うものを必要最低限に抑える。妻も人間関係も、家具さえも背負わない。
けれども仲間たちが背負う「家族」に淋しさを感じ始める。ニールの弱さとも言える淋しい気持ちが、コワモテの顔からは想像つかないほど滲み出し、ついに愛人を作ってしまう。

度重なりる犯罪の末、ニールの眼前では次々と“家族を持った仲間たちの死”が見せられる。
後悔や夢見たこと、世間の息苦しさを痛感し走った犯罪行為の悲しい末路に、家族は涙を浮かべる。まさに不幸。
その不幸がニールにも訪れる。それも、自らが選択したがための、自業自得とも言える形で。

しかしヴィンセントもニールも、共に家族を持ったが、この二組はいずれも善きもの悪いものの“仕事”に取り憑かれた者同士で、
家庭の崩壊は二人が相思相愛と言えるほど関わったからとも受け取れる。
敵同士でありながら愛人でもあったということ。
特にヴィンセントは終盤、娘の一大事を受け止め、関係改善を妻と誓い合ったが、
妻の許しを得てから姿を現したニールを追うことを決めた際の、彼の階段を下りるシーンは、まさしく好きな愛人に久し振りに会いに行くかのように軽やかな足並みだ。
そしてついに決着がついた時、二人は握手を交わす。
敵同士であるはずなのに、家庭を崩壊させた間接的な原因同士でもあるのに。

見方によってはゲイが惹かれ合う話とも言えるかもしれない。
それぐらい、異性の愛よりも同性の敵同士の愛の物語に見えた。
それも殺し合うほどの愛を。
度々入る追い掛けるニールの姿は、まさに恋人に向かって走るようだった。

チンプソン