「ネットの時代の愛の神話 コロナ後の世界に必要とされる映画です 今こそリメイクされるべきです」(ハル) あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
ネットの時代の愛の神話 コロナ後の世界に必要とされる映画です 今こそリメイクされるべきです
大きく感動しました
そして深く深く心に染み入りました
これこそ現代において作られなければならない映画です
匿名、虚実が入り交じる、性別、年齢すら定かではないネットの世界
それってネットだけの世界なのでしょうか?
大都会ですれ違う人々
私達は相手の何を知っていると言えるのでしょうか?
居酒屋やバーやクラブで偶々隣あって意気投合した相手の姿が、本当の姿かどうか何も知らない
自己紹介した名前、住んでるところ、仕事
全部嘘かも知れない
いま向かいあって見ている相手の姿形は真実?
歳だって、もしかしたら性別だって本当かどうかわからいない
ネットもそれと同じに過ぎません
馴染みのバーで良く遭う人物の何を知っているのでしょうか?
彼女、あるいは彼の身の上話だって、それは本当なのでしょうか?
人間は言語で考える存在です
見たもの、感じたことを言語化してテキストとして脳内で独り言をしているのです
であるならば、最初から言語だけのコミュニケーションはよりダイレクトに心に響くのは当然のことです
昔から文通が深い人間関係を繋ぐことは良く知られています
だからネットでのコミュニケーションは、それがより簡単にできるようになっただけのことです
それが一般的になったということが昔との違いということだと思います
だから本作は作られなければならない必然性があったのです
都市化して、核家族どころか個人化して、砂のように人はバラバラに暮らしているのが現代です
限りなく独りで暮らして行けるのです
でも寂しい
だってここにいる自分を知って欲しい、何を考えているか、何を感じているか知って欲しい、共感して欲しいのです
かといって過剰にパーソナルスペースに踏み込んで欲しくない
何故って傷付きたくないから、不愉快な思いをしたくないから、楽しい時間を潰されたくないから
ストーカーなんか絶対に御免です
逆に人格同士が触れ合うことの無い関係性はどうでしょうか?
ほしがプロポーズを断ったのは当然です
そんなコミュニケーションに何の値打ちがあるというのでしょうか?
これこそ疑似恋愛です
お互の人格同士が触れ合うコミュニケーションは、相手を深く知らなければできるわけは有りません
相手の本当の姿を知ってはいなくても、何往復も何十通もメールを何ヶ月も交わしていれば、相手の人格は滲んでくるものです
知らされたプロフィールが嘘か本当か分からなくても、考え方や共感は嘘ではないと思えるのです
だからネットでのコミュニケーションは余計に心に響くのです
本当の恋愛とは人格に惹かれ合うことなのだと思います
1996年バブル崩壊の最中の作品です
人はより内向きになっていった時代です
人に積極的にリアルに踏み込んで関係性を結んで行く積極性が薄れて行ったのです
インターネットは1993年頃から一部で使われるようになって来ましたが、本格的に普及しだしたのは1995年のwindows 95 の発売からでした
パソコン通信はそれ以前の1985年頃から始まって
インターネットとwindows やMac の時代となっても人気でした
ちょうど今の某巨大掲示板のような存在でした
ただパソコン通信の場合は匿名でありながらもID とハンドルネームで特定された個人でのコミュニケーションできるSNSにも似たシステムでした
だからダイレクトにハルとほしのように直接メールのやりとりができたのです
というかインターネットが普及するまでは、パソコン通信の同じサービス会社同士でないとメールのやりとりすら出来なかったのです
今のSNSのようにはコミュニケーションできない世界でもありました
携帯も既に有りましたが、メールをやりとりできるように人なったのは本作の3年後の1999年頃からです
本格的にモバイルでSNSが利用出来るようになったのはiPhoneが日本発売された2008年以降のこと
Android携帯もできたここ10年程でSNS のコミュニケーションは最早モバイルが中心に変わりました
今ではPC を使うなんて仕事とか、何かするために特定のアプリケーションを使う時くらいになっています
だから人はより個々のコミュニケーションになり、常時オンラインとなってしまったのです
それが現代の姿です
それでもハルとほしの物語は、このコミュニケーションの原形です
モバイルSNS の現代であっても変わりは無いのです
ネットの時代の愛の神話なのだと思います
通過する新幹線で互いのリアルを確かめあうシーンこそは本作のクライマックスです
そしてラストシーンのテキストメッセージはリアルもネットも変わりのない等価であると証明された感動のシーンでした
深津絵里、内野聖陽の二人の孤独と空虚感は見事な実在感がある配役と演出でした
そしてその二人のラストシーンの互いを見つめ合い実存を確かめあう姿に涙がこぼれました
互いの人格が認められ、その信頼する人格が本当に実存する事を確かめあったのです
これ以上のラブシーンは有りません
大量のテキストは洋画の字幕と思えば大したことではありません
結局のところ、普通の映画だって脳内で台詞を無意識にテキスト変換して意識に流し込んでいるだけに過ぎないのです
新型コロナウイルスの猛威によって、世界的に外出制限になっています
人と人との接触を避けなければならない世の中なのです
コロナウイルスが収まったとしても、これからは昔のように直接に人とあってコミュニケーションするようには、もう戻らないかも知れません
人はより孤立して、ネットによるコミュニケーションで生きていく社会になってもいくことは間違いないことと思います
今こそ本作はリメイクされるべきだと思います
21世紀のコロナ後の世界にこそ必要な映画なのです