「このカメラワークには今観ても驚き!監督の気迫が溢れる力作だ!」白昼の通り魔 Ryuu topiann(リュウとぴあん)さんの映画レビュー(感想・評価)
このカメラワークには今観ても驚き!監督の気迫が溢れる力作だ!
この映画が制作されたのは昭和41年だ。その2年前は東京オリンピックが開催された年で、「3丁目の夕日」などで描かれている通り、日本経済は徐々に高度経済成長の時代へと移行して行く時代で、正にそれまでの戦後直後のアメリカの占領政策による新しい価値観が出来たのとは別の意味で、日本の社会にも、また更なる新しい波が沸き起こってこようとしていた、激震の時期のようだ。そして「マイバックページ」に描かれていた安田講堂事件が起きたのは、本作が大島監督によって出来た年から、僅か3年後の事だ。
昭和40年代と言えば、丁度この頃に制作された他の作品には、若大将シリーズや駅前シリーズが流行っていた時代だ。そして、この本作の公開の前年には東宝で黒澤監督の「赤ひげ」が公開された年なのだ。
そして東京オリンピックの開催された年の前年と言えば、松竹映画の名監督であられる、あの小津安二郎監督が亡くなられた年なのだ。
日本映画が大きく変わっていく時代でもあっただろう。
大島監督が松竹映画に入社したのは昭和29年であるが、彼の映画の作風が余りにも反体制的な事から、松竹の作風と合わない事で、僅か入社6年後の昭和35年には松竹を退社しているが、しかしその一方で、日本のヌーベルバーグの旗手と言われ、新しい実験的な映像作品の数々を世に送り続けていたのが、つい先頃亡くなった、大島渚監督というわけで、本作は大島監督が30代前半に制作した作品なので、非常にエネルギーが溢れ出るような、力強い、躍動感ある作品に仕上がっている。
私は勿論本作を公開当時に観たわけではないが、名画座で学生時代に観たのだが、良く意味が解らない映画と言う印象が残っていたが、今DVDで改めて見直して見ても、凡人である自分には、訳が解らない作品には変わりがない作品だ。
しかし、このカメラワークは今見直しても、佐藤慶演じる英助の異常なまでのシノに対する性への執着と、彼の壊れかけて行く異常心理をカメラワークでのみ表現しているのだから凄い表現力だ。この映画の公開当時は大変なインパクトがあった事だろう。
そしてこの映画で監督は、英助のみならず人間の根底にある性衝動と情念の恐ろしさを、小山明子演じる英助の妻であり、中学校の教員であるマツ子の心の奥底を描く事で、女性の愛と嫉妬の心理をも焙り出して行く。
生徒に繰り返し教えるマツ子の、人間の無償の愛と言う正の顔と彼女の心の奥に潜む負の顔の心の揺れのせめぎ合いが何とも恐ろしい作品だ。
映画は英助とマツ子、シノと源治の4人の三角関係ならぬ、四角関係を描く事で、同時に、社会的に立場の弱い人々と社会的権力を持つ人々との間に生れるギャップをも焙り出しているように思うのだ。言うなれば、社会構造に対する力関係のせめぎ合いと言うところまで、描き出しているのだろう。大島監督は、晩年もやはりTVで朝までバトルを繰り返していた事を思えば、本作は大島監督作品らしい映画の1つと言えると思う。人間の本質に迫ろうと常に試みていた、監督の表現者としての気迫が作品から滲み出ていたのと同時に、監督の人間に対する慈しみ、ロマンティストな一面を併せ持った力作だったと思う。