肉体の冠のレビュー・感想・評価
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良質の映画だとは思うが、良い齢こいたオッサンオバハンのやってることがあまりに幼稚すぎて……
おお、シネマヴェーラの整理券番号が3ケタ行ってるの、久々に見たよ。 100人以上入っても、まだ若干の余裕はあるんだな。 年末年始の2回を除けば、この回しか上映がないのもあるだろうし、 「濱口竜介絶賛」ってのも効いてるのかもしれないが、大入り満員のなかでの視聴。 とはいえ、「カリウスマキやクロード・ミレール、濱口竜介らが絶賛するベッケルの代表作」といわれちゃうと、やっぱり観ておかないとね。 Wikiによれば、青山真治も「二十歳の野暮な私に人生の神秘を垣間見せてくれた究極の粋な映画」って言ってたらしいし。 ベッケルの映画は、『赤い手のグッピー』『幸福の設計』『現金に手を出すな』『モンパルナスの灯』『穴』あたりを観ているが、ジャンルが多岐にわたるせいか、あまりこれといった特徴や個性を語りにくい気もする。いずれも面白かったが、個人的には圧倒的に、実験的ショットと暴力的ノイズが観客をわしづかみにしてくる『穴』が傑作だと思う(フランス版横溝正史ワールド全開の『赤い手のグッピー』もなかなかの珍品だけど)。 『肉体の冠』も、映画としては、ふつうによくできている。 演出に隙がないし、常にひりひりした緊迫感があって、恋愛パートと犯罪パートがうまく引き立て合っている。 とはいえ、本作に関しては、個人的には題材そのものが非常に苦手だったかも。 だって、良い齢こいたオッサンオバハンが、街の愚連隊みたいに、惚れたはれたでアホみたいに殴り合いして殺し合いして……なんか、あまりに幼稚すぎて、観ていてふつうに呆れてしまった(笑)。 同じ話を赤木圭一郎とか渡哲也とか浅丘ルリ子とかがやってたら、まだ面白く観られたのかもしれないが、シモーヌ・シニョレは白サイか、水木しげるの妖怪図鑑に出てくる水虎みたいにしか見えないし(ファンの皆さんごめんなさい)、口ひげ生やしたセルジュ・レジアニもなんだかニーチェかヨハン・シュトラウスみたいな顔で、ちっともかっこいい男には思えない。 他のギャング連中は、愚連隊どころか、地下道にでも寝ていそうな、ただの汚い親父ばっかりである。 「肉体の冠」というタイトルは「肉とさか」みたいでなんだかエロがましいが、実在したベル・エポック期の娼婦アメリー・エリーのあだ名カスク・ドール(黄金の兜=ゴールデン・ヘルメット)から来ていて、いつも兜みたいな形に髪を結っていたからついた二つ名らしい。 この、白くて肥った顔のでかい娼婦をめぐって、頭のおかしいキレ芸のギャングと、魯鈍そうなその辺の大工と、カリスマ性のかけらも感じられないボスが、醜い奪い合いを展開。 とくにボスは、たかだか7、8人しかいない部下を次々と犠牲にしてまで、いったい何をやっているのか。あの決闘だって、大工としては思い切り強要されたもので、立派な正当防衛なんだから、ビビらずに最初から司法にそう言えばいいと思うんだが、署長とボスが癒着してるから、そういうわけにもいかないのか。 誤認逮捕された、三木のり平か桜井センリみたいな顔の初老のギャング(大工の親友)も、あそこまでボスにされてなんで黙ってるのか、よくわからない。移送車から脱走するより、よほどやれることがあると思うけど。 全体に、登場人物が皆、あまりに短慮で、軽率で、惚れっぽくて、ムダに無軌道で脱法的。 破滅型といえば聞こえはいいが、総じて、すこしおつむが足りなすぎる。 僕にとって共感できるキャラクター群では、残念ながらなかった。 それに、現代の感覚でいうと、こんなことでギロチン送りにされてちゃあ、世話ないよね。 ただ、印象派やエコール・ド・パリの絵画でよく見知った、おめかしした男女の集う舟遊びや、ぎゅう詰めのダンス・フロアでの激しい踊り、カフェでの社交、水辺での郊外の休暇、といった人々の生活ぶりが活写されているのは、なんだか絵画の世界が三次元によみがえったみたいで、観ていて大変楽しかった。ベル・エポックの空気感を追体験するという意味では、良い映画なのかもしれない。
娼婦マリー
娼館の親分ルカにも惚れられてしまうマリー。たかが娼婦と侮ってはいけない。プライドが高いけどかなり魅力的なのである。そのマリーがフィアンセのいるマンダに興味を持った。家に押しかけていきなりキスをするシーンがよかった。 その後決闘にて、誤ってロランを殺してしまったマンダ。殺してしまったのに、さすが野性味のある職人。罪の意識もあまりないようだ。友人レイモンのはからいで伯母さんの家で逢引する二人。事件とは無縁・・・そんな折、レイモンが逮捕される。 女のためには仲間も売る。極悪非道のボスに決着をつけなければ・・・と、友人を助けるマンダも渋い。そして警察で銃を奪い・・・
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