「人生における〝覚悟の総量〟について」テルマ&ルイーズ グレシャムの法則さんの映画レビュー(感想・評価)
人生における〝覚悟の総量〟について
〝多元的無知〟という概念があります。
たとえば残業が常態化している職場。
全員が早く帰りたいと思っているにもかかわらず、「自分以外の他の人はそんなこと思っていないだろう」と思い込み、自分も残業しなければいけないと思い込む。
今であれば、男性の育休が取りづらい職場。
自分は、奥さまのためにも、幼な子とのスキンシップのためにも取りたいと思っているのに、「出世を諦めたな」と周りは思うはず、とか、上司の人事評価にとってはマイナスになるはずだ、という感じで、みんながそう思ってると勝手に思い込み、育休取得に踏み切れない。
女性にとっては、レイプやセクシャルハラスメントを巡る事後の対応については、今なお決して〝多元的無知〟ではなくて、不安に思うことのほうが正しいという現実がある。
正当な告発自体を躊躇う事例はあとを絶たない。或いは告発してもなお、〝女性にも責任がある〟的な攻撃を受ける覚悟をしなければならない。
仮に、性的な被害を受けた女性が目の前にいた時、そして彼女が告発を躊躇っていた時。
もうそんな思い込みで躊躇う必要はない。
社会(みんな)の意識は明らかに変わったよ。
それらのことは多元的無知なんだよ。
などということを、少なくとも私は言えない。
言えるのは、せいぜい『世の中の意識を変えるためにも、勇気と覚悟を持って告発して欲しい』というくらいのことだ。
勇気を強いられ覚悟をしなければならないのは、ほとんどの場合、女性の側なのだと思う。
映画的にはワイスピの多彩かつ派手なアクションとは異なる〝深み〟を纏うという意味で、最高のカーダイブ。
製作から30年以上経った今日的な観点からは、ジェンダー平等の実態に対しての強烈な叱咤激励だと思います。
就職、結婚、産休、育休、復帰…
〝覚悟〟しなければならない頻度と回数、判断するまでの時間。
人生における〝覚悟の総量〟は圧倒的に女性のほうが多いということを、男性はしっかりと〝覚悟をもって〟認識しなければならない。
多元的無知でググったらあの「キティ・ジェノヴィーズ事件」が出てきましたがなるほど。
見て見ぬ振りは簡単ですけど、犯罪を日常性バイアスに組み込んでしまって、実は誰も楽にはならないんですね。
グレシャムさん、コメントありがとうございます。おっしゃる通り程度の差こそあれ世界中の政治家のレベル(思考力、言語化能力、教養、議論・外交能力、過去から学ぶ能力、未来に想いを馳せる想像力などなど)が低下しているように思います。その筆頭国の一つが日本のように思えてなりません
カスハラ・クレーマーの多くは高齢男性であると読んだことがあります。グレシャムさんに教わった「前頭葉」の機能が衰えて感情のコントロールが出来なくなるからでしょうか?加えて、若い女相手であれば自分が優位だと何の根拠もなく思うんでしょうね
今晩は
そろそろ、読書タイムなんですが・・。
流石のレビューですね。
私は,一緒に働く同僚(男性)に子供が生まれた時には、別室に読んで”育児休暇を取ったからと言って、君の不利益にならない様にするから、奥さんとキチンと話し合えよ。”と言っています。
理由はその男性よりも、会ったことが無い奥さんを思っての事です。それにしても、オイラの奥さんが子供を出産した時には、当時の上司から”ちょっと、顔を出してから戻って来いよ。”と言われたなあ。
隔世の感があります。では。
男~、全くわかってない、わかろうともしないの多すぎ!高年齢で想像力ゼロの男が力を持ってあるいは全く無力なのに、ふんぞり返ってえらそうにしてるのナニサマ?世界の変化知らなさすぎで卒倒しそう、でも卒倒すべきは私じゃないから!