劇場公開日 2000年3月25日

「何故ジョンコフィーは黒人で大男で愚鈍に見えるように造形されているのでしょうか?」グリーンマイル あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0 何故ジョンコフィーは黒人で大男で愚鈍に見えるように造形されているのでしょうか?

2025年7月27日
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鑑賞方法:VOD

グリーンマイル
1996年米国公開

終盤で涙があふれました
ラストシーンでは胸いっぱいの感動を得ました
良い映画に出会った喜びと余韻がいつまでも残ります

セントクリストファーのネックレスの意味

所長の妻メリンダからコフィーに渡されたのはセントクリストファー(聖クリストファー)のネックレスでした
調べてみると聖クリストファーは、多くの人が命を失った危険な川で、旅行者を無事に運ぶ任務が与えられていた聖者のことだそうです
伝説では、子供の姿のイエスキリストが川を渡るのを手助けをしたと言われています。 だから聖クリストファーという名前は「キリストを背負う者」という意味から付けられた名前なんだそうです。

つまりジョン コフィーは聖者、救世主を背負う者なのでしょう

聖者としてキリストの力を借りて奇跡を起こし、苦しむ人を救済することができたのです

では何故彼は黒人で大男で愚鈍に見えるように造形されているのでしょうか?

彼が白人の好青年であったなら、登場人物達も私達観客も彼をすぐに聖者と認めてしまうからです
それではこの物語自体が成立しないからです
コフィーを聖者とは認められないとう差別意識があるからこそこの物語が成り立つのです
それを逆手に取られていたわけです

だから、彼はいつも飲み物のコーヒーとスペルが違うというのです
つまり、正しくないものをそうだと思いこんではならないと言っていたのです

そして、ジョンコフィーが大変に重い大男であることにはもっと意味があると思います

グリーンマイルとは危ない川の例えなのだと思います

伝説では聖クリストファーが小さな男の子を背負って川を渡ろうとすると、その子供は異様に重かったそうです
それで、その子がただ者ではないと悟り名前を丁重に尋ねると、イエスキリストであると明かされて、全世界の人々の罪を一身に背負っていたからその男の子は異様に重かったのだと分かったそうです

主人公のポールもまた、聖クリストファーのようにジョンコフィーを川の向こうに渡しました
そして、そのあまりの重さの意味を知ったのです

ジョンコフィーの巨体とその重さとは、人々の罪の重さの表現であったのです

人間の肉体の中に私達の魂は閉じ込められています
しかし、普段そんなことは当たり前のこととして気にも止めていませんし、肉体から魂が抜けだしてしまうことは、死として恐れています
しかし、所長の妻メリンダのように大病に苦しみ、治る見込みもなく苦しみ続ける人ならどうでしょう?
その人に取っては肉体とはポールの勤めている死刑囚監獄そのものではないでしょうか?
毎日毎日パーシーのような苦痛を与える看守が見回り横暴を繰り返すのですから
グリーンマイルを早く渡りたいという気持ちが起こっても当たり前だと思います
でもそれは神に背くことになるから、神が迎えにこられるその日まで、強く耐えなければなりません

では、自分の犯した罪の大きさに毎日苦しみ悶えている死刑囚ならばどうでしょう?
死刑執行の日の到来を恐れてはいても、早く渡って楽になりたいとの気持ちがあるのかも知れません

逆に、ビルのように、全く反省もない者ならば肉体にしがみついているでしょう

ポールはそんな死刑囚達を背負って川を渡し続けているのです
彼らに罪を贖わせるために

ジョンコフィーはポールとネズミのミスタージングルスに長い寿命を与えました

死刑囚監獄から少年更正院に転属してからも、周囲の人々より長生きして川を渡し続けなかればならなかったのです

それは罰だったのでしょうか?
無実と知りながら聖者を処刑したのですから確かに罰だったのかも知れません

キリストの処刑を指揮したのはローマの百人隊長ロンギヌスです
彼は目が白内障であったそうです
が、イエスキリストを処刑した槍の血が目に入り、目が治ったそうです
ジョンコフィーも目が不自由そうに描かれています
彼は暗闇が怖いとも何度もいいます
ポールは自分が無実の聖者コフィーをグリーンマイルを渡らせることになると覚悟したとき、自分は実はロンギヌスだったのだと分かったはずです

ロンギヌスはその後、キリスト教の洗礼を受け、28年間修道士のような生活をおくり、殉教したとされています
ポールもそれをなぞって殉教する運命の日がくることを待つことになると知っているのだと思いました
ポールは108歳
本当の寿命は80歳だったのかもしれません

そしてポールがこの物語を伝え終わり、老人ホームの友人エレインの死を看取ったときの大きなかなしみを噛み締めたとき、ようやく彼のロンギヌスとしての殉教の時がきたのかも知れません

ジングルスの名前の意味

ジングルとはチリンチリンと鳴って合図する音のこと

エレインにジングルスを見せたとき、神はポールにチリンチリンとその時がきたと知らせたのかもしれません
その時のために、ジングルスもまた長生きさせられていたのでしょう

蛇足
自分はキリスト教徒ではありませんので、
勝手な解釈で間違っていることばかりかもしれません
悪しからずご容赦下さい

しかし、京都や奈良の寺院を巡ると昔の人々は大変な巨額や労力をかけて大きな寺院や立派な仏像をなぜ沢山建立したのかの謎が、本作を観てやっと分かったように思いました

近代になるまで、医学は未発達でしたから、大病や大怪我の痛みや苦しみ、後遺症の辛さから逃れるすべは、神や仏にすがって、この苦しみから解放してもらうように祈る他なかったのです
だからあのように巨大で立派な寺院を寄進してまで、その苦しみから救って貰いたかったのです
それほど苦しんでいたのです
千手観音があれほど無数の手を持っているのは、苦しんでいる人間が無数にいても、それほど沢山の手があるのならば、自分も救って貰えるかも知れないと思えるからだと分かりました
八面、十一面も顔があるのは、苦しんでいる自分を見落とさずに見つけて貰えると信じられるからとわかりました
そして観音立像の脚や腰があのように今にも動きそうなのは、苦しんでいる自分を見つけたなら、すぐさま救いに動いて下さると信じられるからなのでしょう
肉体に魂が閉じ込められて、監獄のように逃げようがなかった時代だからそこ切実だったのでしょう

医学が発展した現代でもなお、神仏に祈る他ない人も多いでしょう

ジョンコフィーのような聖者
仏教なら観音様がお迎えに来られることを祈る他ないのてす

あき240
ジョニーデブさんのコメント
2025年8月7日

素晴らしいレビューです。

ジョニーデブ
りかさんのコメント
2025年7月29日

コメントいただきまして
   ありがとうございました😊

りか
りかさんのコメント
2025年7月28日

→仏壇を拝みながら考えています。
やはり神や仏は存在するのでしょうか?と。

りか
りかさんのコメント
2025年7月28日

共感ありがとうございます。

話が逸れますが、来世があるか否か、人が亡くなったら完全に無なのか魂は残るのか?科学的には死は無になると言われていますが、レビューにも少し触れられておられますように、奈良にも京都にも立派な寺院が沢山あります。日本だけでなく世界中宗教が栄えて教会や寺院も建てられています。昔から。
世界中でこれだけ宗教が信じられているのはどういうことなのか↓

りか
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