セリーヌとジュリーは舟でゆくのレビュー・感想・評価
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魅力的な傑作!
何とも不思議な感覚にさせられるジャック・リヴェット監督作品。
「不思議の国のアリス」を更に進化させたような「現実と夢世界」・「外的世界と内的世界」・などが入り混じった映画で、3時間超の尺があるにも拘らず、のめり込むようにして見入ってしまった楽しい世界だった。
公園で「魔術」の本を読んでいるジュリー(ドミニク・ラブリエ)の見ている所で、いろんな物を落として行くセリーヌ(ジュリエット・ベルト)をジュリーが追いかける。
それから二人が体験する不思議な事を「観客は見る」ことになる。
面白いのは「飴をなめると幻視ができること」であり、それが彼女たち2人の共通イメージとして描かれる。
彼女たちが幻視するのは、実際にある家の中の物語なのだが、最初のうちは彼女たちのいずれかがその家に入って行くのは家の外観のみに留めていて、家の内部をカメラが直接映すことはしない。
しかし、カメラが映さない「家の中の出来事」は彼女たちの幻視によって描かれる。
この辺りの切り分けが、とても上手い描き方だと思った。
カメラが「現実と夢世界」の映画における棲み分けを明確にしているように見えるが、実は曖昧だったりする面白さ。
家の中の人物たちが幽霊に見えたりするが、セリーヌとジュリーたちがボートを漕いでいると、ボートを漕ぎもせずにスーッとそれらの人物たちが通るシーンなどは、なかなか怖いが面白い。
こうした摩訶不思議な映画は、とても魅力的に思えて「何度でも観たい」と思うのだが、如何せん3時間超の映画なのでリピート鑑賞は余裕がある時にしか出来ないかも…。
ジャック・リヴェット監督による魅力的な傑作!
監督だいすきになっちゃうよ…
剛腕リヴェット。明らかにメタファーを含んだどうでもいい話を風呂敷を...
剛腕リヴェット。明らかにメタファーを含んだどうでもいい話を風呂敷を畳めたかもわからぬまま終わらせる。途中デヴィッドリンチみたくなり手に汗握る。振り返ると、客が物語がキチンと終わるかとか教訓があるかとか気にしてソワソワする必要ってないんだよな。リヴェットの方が何も気にしてない。剛腕。
タイトルなし(ネタバレ)
公園のベンチで「魔術」という本を読んでいる図書館書士のジュリー(ドミニク・ラブリエ)。
目の前を若い女性が駆け抜けていく。
彼女(ジュリエット・ベルト)はサングラスを落としていった。
追いかけれども追いつかない。
次に薄手のマフラーを落としていく。
やはり捕まらない。
遂に彼女は小さなホテルに駆け込んだ。
ふたりの出逢いは、これで終わりではなく、始まりだった。
彼女の名前はセリーヌ。
しけたマジックを披露する魔術師だった・・・
といったところからはじまる物語で、瑞々しいといえば誉め言葉で、なんだか素人じみた画と繋ぎではじまる。
ここまでほとんど台詞らしい台詞はなく、すぐに「しかし、翌日・・・」と字幕が出ることから、「ははん、こりゃサイレント映画のもじりだねぇ」と納得しました。
その後も、勤めに出たジュリーのもとへ、子どもの頃のボーイフレンドから電話がかかって来、十数年ぶりということでセリーヌがジュリーに「なりすまし」て出かけることに。
ここでもズンダラなお笑いが繰り広げられるのですが、この「なりすまし」は、その後、ジュリーもセリーヌになしすましてステージに上がったりして、この映画のテーマのひとつということが後々判明します。
で、なんやかんやで、セリーヌから告げられたお邸へ向かったジュリーはそこで不思議な体験をする。
が、そこでの出来事は、玄関の扉が閉じられた後は描かれず、ふたりの幻視という形で描かれていきます。
それも途切れ途切れで。
ここのところがわかりづらく、彼女たちふたりは何かを体験したのか、それとも単に観ただけなのか。
この「観る」という行為と「体験したかどうか不明」というのも、この映画のテーマのひとつで、これは映画の観客、演劇の観客のもじり。
幻視を観はじめたふたりのリアクションは、当初は「観客」とはかけ離れていて、それも途切れ途切れなので、観客のイメージから遠いのだけれど、幻視を観るためのモチーフが飴玉(ボンボンと言っているが、大阪弁のアメちゃんに近い)。
飴玉は、劇場へのチケット。
邸にはいったら、何が中で行われているのかは「外から」は見えない(これが、ふたりの実世界では邸の入り口だけしか描かれない理由ですね)。
最終的には、ふたり横並びで、スクリーンか舞台を観るような形で幻視を観ることになり、ふたりが正面を向いて観客と相対している構図となる。
そうすると、当初、ふたりが途切れ途切れに見る幻視は・・・「ほら、そこのあんた、ちょっと今、居眠りしたでしょ?」とでも言っているかのよう(実際、隣の観客は舟をこいでいた)。
最終的には、セリーヌとジュリーのふたりは幻視の世界に飛び込んで、少女を殺人事件から助け出すことになるのだけれど、そこでもひと捻り。
邸の中でのふたりの役割は看護婦。
ふたり以外は、これまで見てきた幻視の内容どおりに同じ動作を繰り返すが、ふたりは現実世界からやって来たので、まったく異なる動きをしても可。
その上、ひとりの看護婦の役柄をふたりで交互に演じている。
「なりすまし」は、取り換えが効くということでもあり、これは俳優と役柄の関係と同じ。
さらに、ふたりが飛び込んだ幻視邸内では、登場人物たちは「白塗り」をしており、動きがまるでゾンビのよう。
特に、児童遊戯「ワン・ドゥ・トロワ」(日本では「坊(ぼん)さんが屁をこいた」または「だるまさんがころんだ」と呼ばれる)のシーンは爆笑必至。
セリーヌとジュリーのふたりは少女を救け出し、舟で進んで、めでたしめでたし・・・
だが、邸世界のひとびとも白塗りのままも舟でやって来、さらにはこれまでの話が夢だったかも、と冒頭の追いかけっこが、今度はセリーヌがジュリーを追いかけていきます。
物語はエンドレス、現実世界と異世界は地続き、その入り口は劇場、たまには、舟を漕ぐのもOK。
そんな映画ですね。
にしても、3時間10分は長い!
そんな長いのに、エンドクレジットは超短い!
第38回PFF 追悼/J・リヴェット 女優の魔術師
誰かコノ映画の良さを教えて下さい。
完全に受け付けない作品でした。
三時間は長過ぎる。
屋敷に居るアノ四人は幽霊なのですか?
少女を助ける為に奔走する二人ですが幽霊ならそもそも死んでる訳で助けるって?
あの飴は魔法の効力があって舐めると屋敷の様子を観れる?
二人の前にはスクリーンか何かが?
屋敷に潜入して飴を舐めて屋敷を監視して何度も同じ屋敷のシーンがイライラ。
少女を助けて川にブロンドと黒髪と父親が登場してラストは始まりの逆ヴァージョンってそもそも誰も存在しないのか?
劇場内は爆笑で一時かと思いきや爆笑が続いて笑える箇所が皆無だった自分はこの映画を理解も楽しむ事も出来ずに。
二人の追いかけっこシーンから仲良くなる無理やり感と根本的に受け付けない映画でした。
だれか解説と面白さを教えて下さい!?
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