「強烈なメタファー」ウイークエンド penさんの映画レビュー(感想・評価)
強烈なメタファー
他作品と比べなかなか鑑賞の機会がなく、有名な移動撮影を是非みてみたいと思っていましたが、今回漸く思いが叶いました。そして何故今まで出会う機会がなかったのかその理由もわかりました。
1967年8月に、ゴダールはアメリカ映画が世界を席巻し君臨することを強く批判し、自らの商業映画との決別宣言文を発表したわけですが(Wikiより)ゴダールはこの作品を1967年9月から10月にかけて、パリとその近郊で撮影しています(E/Mブックス「ジャン=リュック・ゴダール」)。なのでその作品のテイストは、必然的に、商業主義や資本主義に批判的である政治的な色彩を強くおびることになっているのも良く理解できました。
贅沢三昧・愛人との性的快楽だけを夢見ることだけで結ばれている仮面夫婦。そして有名な移動撮影で延々と映しとられていたのは、労働者たちが、週末にささやかな郊外での休息を求めてドライブに出かけながらも、交通事故や怒号や警笛で、騒然とした渋滞に巻き込まれてしまう、そんな地獄絵図でした。血の海の中多くの死体が横たわる間を抜けて、主人公夫婦はそんなことはお構いなく、とある計画を実行するため、車列を無視し追い越し運転してゆきます。そしてその先には・・・
つまり、当時のゴダールは、モータリゼーションも含めた過剰な消費システムを持つ資本主義社会において、実際に行われていることを、誇張し、悲劇的かつ喜劇的なメタファーとして描こうとしていたのだと思いました。1%の金持ちのために99%が犠牲になっている世界を。そして1%が望んでいるものが本質的にはどういうものなのかを。表現は過激の限りをつくしていて、一部正視に耐えないものもありましたが、それは当時のゴダールの問題意識や怒りが強烈故だったのだと思います。
私は必ずしも最近のSDGsの潮流の中で勢いを増している資本主義全面否定論者ではありませんし、渋滞は嫌ですけど休日のドライブは割と楽しみだったりします^_^。でも誇張されたそのメタファーには多分現代においても、いや現代においてなお一層一部真理が含まれているのだろうなと思います。
確か経済学者の宇沢氏だったでしょうか、クルマ社会はある意味環境資本の犠牲や交通事故犠牲者の上に、そして渋滞という不経済と不快の上に成り立っているので、トータルのコスパは宜しくないという、主張もあり、資本主義社会の象徴の様に言われる事もある様です。なのでメタファーが強烈であり鮮烈であるが故に、作品としての価値は高いのではないかと思いました。
それにしても、こんな映画を商業映画として撮ってしまうゴダール。やはりすごいです。