運命の女のレビュー・感想・評価
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セクシーなダイアンレイン
ダイアンレイン扮する妻コニーサムナーはリチャードギア扮する会社経営する夫エドワードと息子チャーリーと暮らしていた。ある風の強い日、コニーはころんでケガをしてオリビエマルティネス扮するポールマーテルと知り合った。 そりゃあダイアンレインみたいな美人が偶然家に来たらたまらんだろうね。ダイアンレインは好きな女優のひとりだからセクシーさに感動するよ。 問題はポールが二回目にどうやって会うのかなんだが、コニーからお礼の電話をしたから当然男性としては誘うさ。手なんか握ったりしてね。そして3回目。もうポールにはまってるね。やっぱり男性が魅力的じゃないとこうはならないな。旦那は気の毒なもんだ。以前観た事があるのを後半で思い出したよ。
裕福で幸せであっても…。
社会的立場を度外視して男女が向き合い。 女性が男に狂う時…。 男が女性を弄ぶ時…。 それは男女共に共通した喜びなのかもしれない。 しかし、社会的な立場はそれを許さない事がある。 その一つが浮気。 発覚すれば想像を越えるような事が起こる。 相手を裏切る…裏切ると言うことはそういう事である。 人間って、愚か…。 そして、それが愛おしいと思わせてくれる。
運命じゃないぞ
ものごとには程度があって、たとえば不倫にしても、なんとなく許せるのと、えげつないやつ──があるが、こじんてきに不倫にたいして、世間様ほどには発憤しない。 ところで「ネットの声」は狭い見識ではなかろうか。いわゆる世間様と「ネットの声」はおなじものではない。と思う。 たとえば小室さんの件における「ネットの声」は一様に非難ごうごうで、擁護なんてひとりもいなかった。が、どうだろう──わたし/あなたの身の周りでふたりを誹ったり罵ったりしていたひとはいただろうか。ほとんどの一般庶民は、まったく関知しないか、または、連日マスコミに追いかけられて気の毒だねえ──と同情していたはずである。 ふたりの結婚劇に主体的ないきどおりを持ったり、まして血税とか言っちゃうひとなんて、ごく稀なひとだとみていい。 (ただし、人知れずあげる声が「ネットの声」ではある。 実生活の現場では、ぼくはなんにも知りませんよ──という態度や顔をしておきながら、がんがん言っちゃうのがインターネットです。 わたしも、映画なんか見ないしまして映画評なんか書くわけがないじゃないですか──みたいな態度や顔をしておきながら、人知れず、辛辣評を書き連ねている。(→さびしいやつです。)) 同様に、不倫(たとえば)ベッキー東出昌大渡部健・・・に対して「ネットの声」はすごく怒り、かつ怒り続けているが、一般庶民は芸能人の不倫に「へえ」と思うのがふつうであろう。と思う。だいたいなんの関係もない。 とはいえ腹に据えかねる、のもある。 政治家もしくは元政治家で宮崎某と金子某という夫婦がいる。 記憶ベースだが宮崎さんが金子さんの妊娠中にうわきをして文春砲を浴びた。そこから宮崎さんはうわきをする専業主夫のブランディングをして、金子さんはうわきを許すキャリアのブランディングをして、バラエティで笑いをとっている。 冒頭に、ものごとには程度がある──と言ったが、わたしの主観では、宮崎某のうわきは東出昌大のうわきよりもずっと「えげつないやつ」だった。 (渡部健にしたってマスコミは多目的トイレを面白おかしく揶揄したが個人的には多目的トイレでやったのを世間様に釈明したことで渡部健の禊は済んだとみている。(もしわたし/あなたが秘匿したい情交の現場を世間様に晒さなきゃいけないとしたらどうするんだ──それを白状させるのは下世話すぎる、というよりゲスすぎる。(言うまでもないが)多目的トイレでQuick Fuckするよりもそれを取材することの方が何倍もゲスい、たんじゅんに放っといてやんなさいよ、という話。)) ところがそのあとのブランディングによって宮崎は「うわきをしてしまうダメな夫」というキャラクターを確保した──わけである。 いっぽう東出昌大(ベッキーも渡部健も)は叩かれ続けている。し、(寝ても覚めてもを見て)好ましさと希少性を感じた女優唐田えりかもレッテル貼られてしまった。 人様のことは知らないが、わたしは「うわきをしてしまうダメな夫」などというキャラクターは認容できない。 世の中には「おまえってやつはしょうのないやつだな」という一種の可愛げによって、違反や不法をまぬがれてしまうシチュエーションがある。 社会人になったばかりのころ、わたしはじぶんの失敗を「しょうのないやつ」に見せようとして怒られた。その怒りは消えないトラウマになっている。 言っていることがわかるだろうか。会社で何らかの失態をする。それを繰り返す。すると「また、あいつか」になって、ときとしてそれがキャラ化する。ことがある。あたかも学生時代のように。 しかし大人になってから、子供や学生のように、やらかしておいてテヘペロをすると、まっとうな人間社会では、信用されなくなる。それ以前に干される。 宮崎某は定期的にうわきをして、そのたびにテヘペロで公に出張るキャラクター。そんなのが許されていいの──という話。 てなわけで、ものごとには程度がある、が、芸能界には程度をしのぐ位相がある。泳ぎ方やポジションによって、叩かれたり、まぬがれたり、あるいはキャラ化したり、もある。 せんじつ、出家した女流作家が亡くなったとき、ネットは冥福を祈りつつも非難ごうごうだった。かくゆうわたしも好きではなかった。業に満ちた人生はともかく、いいかげんで内容のない発言しかしない人だった。若い人に「たくさん恋をしなさい」とか、スッカスカの愚にも付かないアドバイスをする人だった。 個人的な見解だがかのじょの出家はキャラ化だったと思う。やらかしたけれどテヘペロで生きるために頭を丸めた──わけである。安い禊ではなかろうか。人間はなんらかのキャラクターに回ってしまうことで贖罪できる──ことがある。とわたしは思う。それは良いか悪いかは置いても、卑怯には見える。 だが、前提として他人様の生き方はわたし/あなたには関係がない。まして不倫なんてなんの関係もない。だいいち提供された情報だけではものごとをはかり知ることはできない。他人様の不倫をあーだこーだ言ってはいけない理由は、関係ないから、てより、事情をわかっていないから──が大きい。 不倫は、やった側の後悔とやられた側の怒りで成り立っている。 一個の殺人と、「ひどいじゃないか」と「ごめんなさい」が映画の結論だった。それは過酷すぎる代償だった。 コニー(ダイアンレイン)がテヘペロをして、エドワード(リチャードギア)が「こいつめ、もううわきなんかするんじゃないぞ」とか言っちゃって、予定調和で不倫が終わる──わけじゃなかった。 エドワードは失望し赫怒から犯罪加害者となり、コニーは深く悔いる。ふたりは一生それを背負うのだ。 不倫をストレートに描いていた。(こんな言い方はおかしいが)とてもまっとうな不倫の様相が描かれていた。キャラもテヘペロもない。取り返しのつかない喪失で終わるのが不倫──なのだ。 気になるのはUnfaithfulの英題にたいする運命の女──である。運命とは、出会いからの情事を肯定もしくは不可抗力としてとらえる意味合いがある。ご覧になればわかるが映画は「運命の女」なんてことはひとことも言っていない。いつもながら寝ぼけた邦題だった。 ──とは言うものの、あいてがダイアンレインなら、いけるならいくだろう。夫がいようと、溺れるとわかっていても、なにがなんでも挑むだろう。男にとってはいわゆるmilf。これとブラックサイト(2008)のかのじょがもっとも艶っぽいと思う。
好きになれない女
どうもかわいそうなリチャード・ギアに感情移入してしまう。ダイアン・レインは美人で、きっと自慢の奥さんと楽しい我が家だったはず。それなのに、奥さんのちょっとしたよろめきが、全てを破壊する。おお、こわ。 やっぱダメ、こういう女性。
BSテレ東吹替版鑑賞。ダイアン・レイン版「危険な情事」とな。カット...
BSテレ東吹替版鑑賞。ダイアン・レイン版「危険な情事」とな。カットしまくりだが見るしかない。 どんな風やねん、でスタート。これはもうダイアン・レインが一方的に悪い。あんな理想の旦那(こんな旦那はほぼ皆無)がありながら。 おい旦那リチャード・ギア、なんとか言うたれ! よっしゃ、よう言うた!と思たら結局許すんかい、どんなけ嫁好きやねん。私なら無理、絶対無理。 ラストまでかわいそ過ぎる旦那でした。 これ見て「仕方ないじゃない」とか言う女は逮捕だ(笑)そんな女はこうも言うだろう「本当に私が好きなら許せるはずよ」ぶっ飛ばすぞ(笑) いやーなかなか面白かった。待てよ、よく考えたらカットしたシーンって本当は私の一番見たかったシーンばかりじゃないのか(笑) 完全版再見決定。
新型コロナウイルスの影響で自粛生活が続く中、家で見る映画が今の唯一の楽しみかもしれない。
BSテレ東で映画「運命の女」(2002)を見た。 (原題:Unfaithful)とは不貞のこと。 新型コロナウイルスの影響で映画館が軒並み営業自粛を余儀なくされている。 なので、家族で映画を見るなど出かけることや外食する機会も以前よりもかなり減っている。 楽しみと言えばTVで見る映画である。 毎週土曜日にはBSテレ東で放映されている「男はつらいよ」シリーズが楽しみなのだが、 今日は18年前に撮られたエイドリアン・ライン監督によるこの作品を見ることができた。 ニューヨークの郊外に住む、リチャード・ギアとダイアン・レイン夫婦。小学生の一人息子がいる。 ダイアン・レインがニューヨークの街でたまたま知り合った男と恋仲になってしまう。 それを知ることになったリチャード・ギアがとった行動とは? これはジャンルで言うと悲しさを伴うサスペンス作品である。 当時38歳のダイアンレインがとても美しい。 スーパーマンの母親役など今のダイアンレインも変わらず美しい。 上映時間は124分。長いが長さは感じなかった。 満足度は5点満点で5点☆☆☆☆☆です。
不倫がテーマの作品でも抵抗なく見られる話もあるけど、この作品の妻の...
不倫がテーマの作品でも抵抗なく見られる話もあるけど、この作品の妻の行動には共感しかねる部分が。。 ナインハーフや危険な情事を撮った監督ということで、世界観はそれらと共通している。ストーリーはさておきドラマティックで綺麗な映像。そこは好き。
シーン毎の美しさ
不倫がテーマで、ありがちな展開ですが、何が良かったかといえば、ダイアン・レイン、リチャード・ギア、そしてフランス人俳優のオリヴィエ・マルティネスこの3方のそれぞれが実に魅力的なこと。そして、全般通して映像の美しさ、特にカメラワークが女性好みでした!マンハッタン突風の日の運命の出会い・二人の逢瀬・過ちを犯してしまった夫婦の切ないラストシーンは必見です。しっとりと畳み掛けるように心を揺さぶられる作品です。
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