ぼくを葬(おく)るのレビュー・感想・評価
全3件を表示
I'm a gay
31歳の若さで余命わずかと診断されるなんて・・・これはキラがノートに書き込んだために違いない。
新進気鋭のファッション・カメラマンであるロマン(メルヴィル・プポー)は撮影中に突如として倒れてしまう。自分がエイズじゃないかとも疑い医者に尋ねるが、ガンがあちこちに転移して手の施しようがないほどだった。エイズだと疑ったのも、実は彼はゲイだったからだ。家族も皆彼をゲイだとわかっているのですが、“I'm a gay”と冗談ぽく会話したりする。
キラに狙われるなんて、いったい彼が何か悪いことをしたのだろうか。姉との不和もさることながら、恋人サーシャへの愛情がなくなったこと?ひょっとすると子供時代に教会で小便をしたことが原因なのかもしれないけど、やはりキラはゲイを社会悪だと思い込んでいることが原因か・・・と考えてみると、“I'm a gay”という言葉を逆から読んでみると“yagami”になるという符号に気づいてしまうのです。これで日本への撮影旅行をもキャンセルしたことが因縁あることのように思えてきます。
映画『死ぬまでにしたい10のこと』をも思い出しますが、彼の取った行動は特別なことではなく、とりあえず祖母(ジャンヌ・モロー)に「愛している」と伝えに行くことだった。さすがに日本では考えられないようなスキンシップ溢れる家族愛でしたが、その愛している祖母にだけ自分に死期が近づいていることを告白する姿には彼の心が手にとるようにわかるシーンでした。それ以降は他の家族たちもすべて優しく感じられて、改めて自分の家族を愛していかねばならないという気持ちになりました。
全体的には静かな流れ。突如、子どもに恵まれない夫婦のエピソードにもビックリさせられましたが、おばあちゃんと一緒に寝るなんてシーンも凄かった。一番好きなところは、本業のカメラマンからは離れるものの、個人的なデジカメでお姉ちゃんとその子供の写真を撮るシーンです。普通、カメラマンなら何枚も撮るところを、一発勝負でパチリと撮るだけ。邂逅という言葉がぴったりくるような一瞬の出来事。ラストの海岸で少年時代の自分と出会う瞬間とともに心に残る映像でした。
最期までぼくらしく生(逝)きたいから
フランソワ・オゾン監督作品は色々観て来ましたが、今作が一番好きかもしれません。「まぼろし」に続いて、描こうとしているテーマは人間の「死」。
若手カメラマンでゲイのロマンは末期がんで余命3ヶ月と宣告されてしまいます。彼は(祖母を除く)家族や愛する人に口外することなく、彼なりの別れ方を実践していき、それから、自分なりに残された日々を悔いなく(突如行きつけの店員に依頼されたあることを最期のほうで決意するのですが)できるだけ、心地よく死というものを迎える準備をしていくわけです。
美しく、やるせなく、穏やかに、迎い入れるその時まで。一筋の涙がこぼれ落ちるようです。きらきらと輝く海辺、静かな波の音に包まれながら、最後に人は自然というものに溶け込みたくなるのだろうかと考えさせられるような終わり方。
個人的には今まで私が鑑賞した「イン・トゥ・ザ・ワイルド」や黒澤明監督の「生きる」はたまた、「最期の授業」というやはり死期を知っている大学教授の講演本などがわぁ~っと脳裏をかすめました。皆、共通するのは「能動的な生き様」ということです。尊厳死という言葉の意味が昨今、問われるようになりましたが、この主人公のような死に方はまさしく「どう生きるか」には「どう死ぬか」が包括されているという、人間のテーマの行き着くところを秀逸に描き出しているものと思いました。私の理想とする死がここにはありました。好きな作品です。
さみしいひと。
なんだか余韻のある映画で、自分だったら…と、考えてしまいます。そんなことをしていると、ひとりぼっちで死ぬことを選んだロマンのさみしさや強さややさしさ、身勝手さを思い、いたたまれない、なんとも言えない気持ちになります。最後のの表情が救い。
全3件を表示